水力発電所 [ふるさと]
最近は久住や岡城跡をよく歩いているが、
春先は地元の丘陵地帯や川沿いの道を歩くことが多かった。
そんな道筋に水力発電所がある。
私の実家から そう遠くない場所である。
構造的には、「河から長い水路で水を引き込み、落差が得られる場所で発電する」
という「水路式」の発電所である。
大野川の上流から取り込まれた水は、
山間部の長い長い水路のトンネルを通って、発電所の上までやってくる。
私の実家と近いところに、
この発電所への導水路の開渠(かいきょ)部分があった。
トンネルから姿を現した部分は、30メートルはあったろうか。
幅も広く、かなり深かったように記憶している。
暗渠(あんきょ=トンネル)から姿を現した水が勢いよく流れ、
再び暗渠に吸い込まれる様は子ども心にも怖かった。
幼い頃、私は近所の悪ガキ達から、トウモロコシやグミ、ナツメなどの盗み方を教わった。
その度 母からえらく叱られたものだ。
あるとき導水路の近くで悪ガキ達と遊んでいて、
私が水路に落ちてもおかしくないような状況になったことがあった。
母はひどく神経質になって、
悪ガキ達と遊ぶのを厳しく禁じた。無理もない。
(なんだかんだ言っても、その後も一緒に悪さをしていたが……。)
無事に大きくなって、導水路に近づくこともなくなったが、
一度弟たちと導水路の先にある発電所まで遊びに行ったことがあった。
発電所のおじさんが中を見せてくれ、発電のしくみを教えてくれた。
そのときのことを作文に書いて、作文コンクールに入選したこともあったっけ。
今は無人の発電所だが、昔は多くの人が働いていて、社宅もあった。
実は、夫の母の父親は九電の職員で、この発電所にいたこともあった。
長くいたのは、この発電所の導水路の取り入れ口である。
「取り入れ」とお母ちゃんが口にするその場所は、
竹田市に近い大野川の上流の深い谷間で、
お母ちゃんの一家が住んでいた社宅もそこにあり、
父親は取水の管理をしていたようだ。
谷間のポツンと一軒家である。
今は何もない。
お母ちゃんは、そこから一里の小学校に通い、
後には竹田の女学校に二里の道のりを通った。
4月のある日、お母ちゃんが育った場所まで行ってみた。
水は川から分流して流れていく。かなりの水量である。
これが私の実家の近くで姿を現し、
再び水路のトンネルを通ってあの発電所まで流れていくのかと
長い長い水路トンネルを通した当時の技術開発に驚くばかりである。
「取り入れ」のすぐ上流は、
岡城の下原門から東に下った十川(そうがわ)というところで、
お母ちゃんは度々父親から舟で岡城の下まで送ってもらい、
そこから稲葉川沿いの道を歩いて竹田の女学校に向かったという。
二里の道のりを歩くよりずっと楽なので、
お母ちゃんは時々父親に甘えていたようだ。
三人でお母ちゃんの通学路を確かめに行ったことがあったが、
残念ながらこの道は、途中から水害で流されてしまって、
今は通ることができない。
お母ちゃんの歴史と私の歴史は
「発電所」というキーワードでちょっとだけ交わる。
ウォーキングの休憩場所は発電所の上にある導水路の最終地点だ。
桜の古木がある。
導水路は深い碧色で、水が満々と流れているのは、昔も今も変わらない。
水が吸い込まれていく場所を見ると、何となく足がすくむ思いがする。
導水路の危険をヒステリックに諭した母の思いが
今も残っているのかも知れない。
あの開渠部分は、今はコンクリートの蓋が施され、子どもの危険はなくなっている。
春先は地元の丘陵地帯や川沿いの道を歩くことが多かった。
そんな道筋に水力発電所がある。
私の実家から そう遠くない場所である。
構造的には、「河から長い水路で水を引き込み、落差が得られる場所で発電する」
という「水路式」の発電所である。
大野川の上流から取り込まれた水は、
山間部の長い長い水路のトンネルを通って、発電所の上までやってくる。
私の実家と近いところに、
この発電所への導水路の開渠(かいきょ)部分があった。
トンネルから姿を現した部分は、30メートルはあったろうか。
幅も広く、かなり深かったように記憶している。
暗渠(あんきょ=トンネル)から姿を現した水が勢いよく流れ、
再び暗渠に吸い込まれる様は子ども心にも怖かった。
幼い頃、私は近所の悪ガキ達から、トウモロコシやグミ、ナツメなどの盗み方を教わった。
その度 母からえらく叱られたものだ。
あるとき導水路の近くで悪ガキ達と遊んでいて、
私が水路に落ちてもおかしくないような状況になったことがあった。
母はひどく神経質になって、
悪ガキ達と遊ぶのを厳しく禁じた。無理もない。
(なんだかんだ言っても、その後も一緒に悪さをしていたが……。)
無事に大きくなって、導水路に近づくこともなくなったが、
一度弟たちと導水路の先にある発電所まで遊びに行ったことがあった。
発電所のおじさんが中を見せてくれ、発電のしくみを教えてくれた。
そのときのことを作文に書いて、作文コンクールに入選したこともあったっけ。
今は無人の発電所だが、昔は多くの人が働いていて、社宅もあった。
実は、夫の母の父親は九電の職員で、この発電所にいたこともあった。
長くいたのは、この発電所の導水路の取り入れ口である。
「取り入れ」とお母ちゃんが口にするその場所は、
竹田市に近い大野川の上流の深い谷間で、
お母ちゃんの一家が住んでいた社宅もそこにあり、
父親は取水の管理をしていたようだ。
谷間のポツンと一軒家である。
今は何もない。
お母ちゃんは、そこから一里の小学校に通い、
後には竹田の女学校に二里の道のりを通った。
4月のある日、お母ちゃんが育った場所まで行ってみた。
水は川から分流して流れていく。かなりの水量である。
これが私の実家の近くで姿を現し、
再び水路のトンネルを通ってあの発電所まで流れていくのかと
長い長い水路トンネルを通した当時の技術開発に驚くばかりである。
「取り入れ」のすぐ上流は、
岡城の下原門から東に下った十川(そうがわ)というところで、
お母ちゃんは度々父親から舟で岡城の下まで送ってもらい、
そこから稲葉川沿いの道を歩いて竹田の女学校に向かったという。
二里の道のりを歩くよりずっと楽なので、
お母ちゃんは時々父親に甘えていたようだ。
三人でお母ちゃんの通学路を確かめに行ったことがあったが、
残念ながらこの道は、途中から水害で流されてしまって、
今は通ることができない。
お母ちゃんの歴史と私の歴史は
「発電所」というキーワードでちょっとだけ交わる。
ウォーキングの休憩場所は発電所の上にある導水路の最終地点だ。
桜の古木がある。
導水路は深い碧色で、水が満々と流れているのは、昔も今も変わらない。
水が吸い込まれていく場所を見ると、何となく足がすくむ思いがする。
導水路の危険をヒステリックに諭した母の思いが
今も残っているのかも知れない。
あの開渠部分は、今はコンクリートの蓋が施され、子どもの危険はなくなっている。
「日本一のマラソン練習コース」を歩いてきた [今日の私]
久住山が間近に見えます。大船も。
ここは久住連山の南の裾野、松の並木道。肥後の殿様が植えたものです。
ここは大分県竹田市ですが、昔は岡藩ではなく、肥後藩だった土地。
何でも加藤清正公が肥後一国をもらったときに、
「天草はいらん。代わりに瀬戸内への道として豊後の国に二万石を。」
と申し出て、この久住の一部も肥後になったとか。
……あ、今日は参勤交代の話じゃありません。
現在の大分県竹田市久住町には、これがあったのです。
https://runnippon.jp/kyushu/oita/course4242/
いつも見ている場所なんですけれど、
駅伝有名校の生徒やランナーがたくさんいて、
私どもには縁のない場所だと思ってました。
まさか自由に使ってよいとは知らなくて……。
6月3日、「天空のプロムナード」で歩くつもりだったのですが、
途中のこの場所に車を停めました。
「ここ、歩いてもいいのかなあ?」
コースのそばの「星ふる館」で
「あそこを歩いてもよいのですか?」と聞いたら、
「自由に歩いてもかまいませんよ~♪」
というわけで「日本一のマラソン練習コース」でウォーキングしてきました。
これがまあ、いいコースなんです。
よく手入れされた芝生の道で足に優しく、適度な勾配での上り下り。
眺めはよいし、木莓摘みの楽しみも……。
松も立派。
コース途中にはこんな歴史も垣間見えます。
コースを使っているのは私たちとカラスだけ。
最後の直線の上りはけっこうキツイですが、3キロコースを2周してきました。
協力金を少し、投函箱に入れてきました。
6月8日もまたこのコースへ。この日もほぼ貸し切り。
平野部は30度超えの真夏日。
高原の気温は28度と高めだったけれど、
風があったので気持ちよく歩けました。
木莓もよく熟れて……。
カッコウやホトトギスの声を聞きながら3キロコースを2周。
そのあと、「星降る館」でお昼ご飯を食べて帰ってきました。
そして、6月20日。すっかりこのコースがお気に入り。
梅雨の晴れ間に、やっと歩く時間がとれました。
思いの外涼しい風が吹いて、
前回よりずっと気持ちよかったですよ。
夏場もここなら、昼間でも歩けるかも。
土曜日だったから、家族連れが何組か遊んでいたし、
珍しくコースを走る人も一人見かけました。
まだ残ってた!
木莓は誰も採らないんだろうな。美味しかった!
一周め、私はショートカットで夫が3キロ歩いて帰ってくるのを待ちました。
二周目は、2.5キロで。
いろいろ頭の痛いこともあったのですが、
ちょっと鬱な気分も高原の風が吹き飛ばしてくれました。
阿蘇山の噴火は小康状態。
その後岡城跡に戻って、大手門から上がって、下原門折り返しで近戸門から下城。
歩けるようになったもんだなあ!
岡城跡も天空のプロムナードもマラソン練習コースも
ほとんど人に会わなくて、贅沢な空間の使い方をしております。
「ダイエットしたければ、竹田市近辺に四ヶ月ほど滞在して
あちこち歩き回ったらいいんじゃないの?」
「いや、美味しいモノも多いからなあ……。」
「お酒、お肉、お米、パン、その他もろもろ。」
などと話して帰ってきたことでした。竹田市、ありがたい。
「殿様、どこを通ったの?」岡藩参勤交代の道④ [歴史探訪]
岡城本丸跡から見た久住連山。
5月7日、その久住山方面に行く途中、県道47号線から岡城方向を眺めてみた。
岡城跡がよく見えた。
私たちは、岡城跡から見れば、下の写真の水色の矢印の下にいる。
実は、手前の山の稜線の向こう側に参勤交代道路の名残がある。
黄色の矢印の下辺り。岡城跡から約10キロの地点である。
……雨で何もできない今日は、
山の中の参勤交代道路を探して、杉山の中をうろついた話でも。
私たちは、県道47号線(水色矢印)から参勤交代道路のある場所を眺めている。
「あの辺りだね。」
実際に杉林の下の参勤交代道路を確認したのは、
4月22日のことだった。
岡藩の殿様が通った参勤交代の道を確認しようと
いつもながらの好奇心で山道に入っていった。
資料で確認したルートを実際に見てみようというわけだ。
県道47号線に沿った集落の名前をたどれば旧道が推測できる。
夫はこのところ資料を手がかりにGoogleマップで旧道を探していた。
現在の県道とは違った険しい山道だ。
県道から山中の集落に向かう道(上の写真)があって、
そこから少しそれた谷間の道に残骸が残されている。
ここは、まだ山の下の方。
確かに石畳の跡がある。
県道47号線に戻り、さらに車で広い道を登り、
また、山の中に向かうわき道に入る。
「ポツンと一軒家」に行くような道だ。
途中の狭い上り坂で、地元の方の軽トラと離合した。
(※「離合」……方言と言うけれど、他の言い方がわからない。)
運転席から
「参勤交代の道がこの辺りにあると聞いたのですが。」
と夫が尋ねると
軽トラのおじさんは丁寧に場所を示して、情報をくださった。
「……新しく林道ができている。その近くにある。
林道は、参勤交代道路の石畳を保存するために、
石畳を避けて、道の上の方に作られた。
林道から下って、杉林の中に入れば殿様道はあるのだが、
今はあまり状態はよくない。…………。」
地元の人は殿様道として大事に思っているようだが、
すでに時の流れの中に埋没している道のようだ。
おじさんから聞いたとおりに山の中腹にある林道にやって来た。
車を置いて、林道下の南斜面をうろうろ。
高いところに来たなあ。
石垣の積まれた段々畑があり、梅の木などが植えられている。
この辺りは、中川氏が初めて岡に入封する際に通ったところだ。
ところが、大友氏の残党百余人が抵抗し、
中川秀成から徹底して踏みつぶされた……そんなコワイ場所らしい。
村境にさらし首が並んだとか……。
伐採した杉を運び出す道から、杉林を目指す。
夫は獲物でも探すかのようにずんずん進んで行く。
私は、もう面倒くさくなっていた。
「本当に道があるのかよ。もう帰りたい……。」
(*`Д´*)
杉山の奥の上の方から夫の声がする。
あった。石畳だ。おじさんの説明通り!
あきらめなくてよかった。
急に写真の色調が変わったのは、さっき転んだせい。 ↑(*`Д´*)のところで。
転んだはずみで、レバーを動かしたのだろう。
崩れやすいところは石垣を積んで補修したようだ。
こんな山の斜面を殿様一行は通って行ったのだ。
その頃は杉もなく、道も明るかったとは思うが、
ちょっとでも雨が降れば崩れ落ちそうな道だ。
牛、馬、人肩に頼るばかりで、荷車などは到底通れそうにない。
確認したところで引き返すのかと思ったら、夫はさらに道なき道を登っていく。
姿が見えなくなったので、私も慌てて後を追い、
笹の中をやっと這い上って林道にたどり着いた。
とんでもないウォーキングである。
夫は先に林道に出て、涼しい顔をして、私を待っていた。
林道から下の谷間を眺めた。
昔の人は、よくまあこんな峠をこんな谷間から……と感心するばかり。
参勤交代ともなれば行列がぞろぞろと……殿様は御駕籠?
お尻が痛くなるだろうし、こんな坂道じゃ、斜めに揺れて気持ち悪いんじゃないかな。
私が殿様なら、
「予は馬で先に行く。駕籠はあとからついて参れ。」
とかなんとか言って、竹田の町を出たら、
この先の宿泊地「今市」まで20キロちょっと、
少数の家来を連れて馬で駆け抜けるよな……なんて、勝手な想像をしていた。
現在は広い県道を車ですいすいと楽に登る。
江戸時代は山の斜面を這い上るような狭い道を行かなくてはならなかった。
途中で一泊して、大分方面へ向かう。
難儀だなあ。
参勤交代の道は、さらに登って標高621メートルの峠まで行く。
標高差は岡城の下から約400メートル。
標高620メートルを越す参勤交代道路、
「天空の参勤交代道路」という言葉が浮かんだが、
有名な箱根峠は標高800メートルを越えなきゃならないし、
全国には、まさに「天空」、1000メートルを越す峠越えをする藩も多くあったようで、
つくづく参勤交代って難儀なモノだと思ったことだった。
今回の探索の場所を再確認。
たぶん、二度と行くことはない!
後の世、岡藩の殿様は、
竹田から大野川沿いの犬飼まで行って、そこから舟を使うルートを利用するようになる。
(年によってはこの道を使うこともあっただろうが、)
舟路を使うようになるのは当然だと思える。
……というわけで、岡藩の殿様の参勤交代の峠越えルートは「けり」をつけて、
次は舟路コースについて。
記事にまとまるのはいつになるかわかりませんが、
よろしかったらおつきあいください。
5月7日、その久住山方面に行く途中、県道47号線から岡城方向を眺めてみた。
岡城跡がよく見えた。
私たちは、岡城跡から見れば、下の写真の水色の矢印の下にいる。
実は、手前の山の稜線の向こう側に参勤交代道路の名残がある。
黄色の矢印の下辺り。岡城跡から約10キロの地点である。
……雨で何もできない今日は、
山の中の参勤交代道路を探して、杉山の中をうろついた話でも。
私たちは、県道47号線(水色矢印)から参勤交代道路のある場所を眺めている。
「あの辺りだね。」
実際に杉林の下の参勤交代道路を確認したのは、
4月22日のことだった。
岡藩の殿様が通った参勤交代の道を確認しようと
いつもながらの好奇心で山道に入っていった。
資料で確認したルートを実際に見てみようというわけだ。
県道47号線に沿った集落の名前をたどれば旧道が推測できる。
夫はこのところ資料を手がかりにGoogleマップで旧道を探していた。
現在の県道とは違った険しい山道だ。
県道から山中の集落に向かう道(上の写真)があって、
そこから少しそれた谷間の道に残骸が残されている。
ここは、まだ山の下の方。
確かに石畳の跡がある。
県道47号線に戻り、さらに車で広い道を登り、
また、山の中に向かうわき道に入る。
「ポツンと一軒家」に行くような道だ。
途中の狭い上り坂で、地元の方の軽トラと離合した。
(※「離合」……方言と言うけれど、他の言い方がわからない。)
運転席から
「参勤交代の道がこの辺りにあると聞いたのですが。」
と夫が尋ねると
軽トラのおじさんは丁寧に場所を示して、情報をくださった。
「……新しく林道ができている。その近くにある。
林道は、参勤交代道路の石畳を保存するために、
石畳を避けて、道の上の方に作られた。
林道から下って、杉林の中に入れば殿様道はあるのだが、
今はあまり状態はよくない。…………。」
地元の人は殿様道として大事に思っているようだが、
すでに時の流れの中に埋没している道のようだ。
おじさんから聞いたとおりに山の中腹にある林道にやって来た。
車を置いて、林道下の南斜面をうろうろ。
高いところに来たなあ。
石垣の積まれた段々畑があり、梅の木などが植えられている。
この辺りは、中川氏が初めて岡に入封する際に通ったところだ。
ところが、大友氏の残党百余人が抵抗し、
中川秀成から徹底して踏みつぶされた……そんなコワイ場所らしい。
村境にさらし首が並んだとか……。
伐採した杉を運び出す道から、杉林を目指す。
夫は獲物でも探すかのようにずんずん進んで行く。
私は、もう面倒くさくなっていた。
「本当に道があるのかよ。もう帰りたい……。」
(*`Д´*)
杉山の奥の上の方から夫の声がする。
あった。石畳だ。おじさんの説明通り!
あきらめなくてよかった。
急に写真の色調が変わったのは、さっき転んだせい。 ↑(*`Д´*)のところで。
転んだはずみで、レバーを動かしたのだろう。
崩れやすいところは石垣を積んで補修したようだ。
こんな山の斜面を殿様一行は通って行ったのだ。
その頃は杉もなく、道も明るかったとは思うが、
ちょっとでも雨が降れば崩れ落ちそうな道だ。
牛、馬、人肩に頼るばかりで、荷車などは到底通れそうにない。
確認したところで引き返すのかと思ったら、夫はさらに道なき道を登っていく。
姿が見えなくなったので、私も慌てて後を追い、
笹の中をやっと這い上って林道にたどり着いた。
とんでもないウォーキングである。
夫は先に林道に出て、涼しい顔をして、私を待っていた。
林道から下の谷間を眺めた。
昔の人は、よくまあこんな峠をこんな谷間から……と感心するばかり。
参勤交代ともなれば行列がぞろぞろと……殿様は御駕籠?
お尻が痛くなるだろうし、こんな坂道じゃ、斜めに揺れて気持ち悪いんじゃないかな。
私が殿様なら、
「予は馬で先に行く。駕籠はあとからついて参れ。」
とかなんとか言って、竹田の町を出たら、
この先の宿泊地「今市」まで20キロちょっと、
少数の家来を連れて馬で駆け抜けるよな……なんて、勝手な想像をしていた。
現在は広い県道を車ですいすいと楽に登る。
江戸時代は山の斜面を這い上るような狭い道を行かなくてはならなかった。
途中で一泊して、大分方面へ向かう。
難儀だなあ。
参勤交代の道は、さらに登って標高621メートルの峠まで行く。
標高差は岡城の下から約400メートル。
標高620メートルを越す参勤交代道路、
「天空の参勤交代道路」という言葉が浮かんだが、
有名な箱根峠は標高800メートルを越えなきゃならないし、
全国には、まさに「天空」、1000メートルを越す峠越えをする藩も多くあったようで、
つくづく参勤交代って難儀なモノだと思ったことだった。
今回の探索の場所を再確認。
たぶん、二度と行くことはない!
後の世、岡藩の殿様は、
竹田から大野川沿いの犬飼まで行って、そこから舟を使うルートを利用するようになる。
(年によってはこの道を使うこともあっただろうが、)
舟路を使うようになるのは当然だと思える。
……というわけで、岡藩の殿様の参勤交代の峠越えルートは「けり」をつけて、
次は舟路コースについて。
記事にまとまるのはいつになるかわかりませんが、
よろしかったらおつきあいください。
8キログラムを実感 [今日の私]
この半年で夫が確実に落とした体重。
8キログラム。ペットボトル2リットル4本分。
去年の10月頃は、
測るのがイヤになっていたと言うから、実際はもっと多いはずだ。
その頃、甥っ子の結婚式もあり式服を新調した。
サスペンダーを利用しなければならなかった。
今は、サスペンダーが違った意味で必要。
ご覧あれ。
先日お葬式の後、サスペンダーを外したら、
ボタンをかけたままなのに、ズボンがずるりと抜け落ちたそうだ。
私の場合、ストレスと一緒に脂肪を貯めまくった一年前と比べれば、
やはり8キログラム減。
あきらめていたスカートやパンツが履けるようになったが、
この数年に買ったものはお蔵入り。
嬉しいような悲しいような。
岡城ダイエット、久住ダイエット、三社参りダイエットなどと称して
地元をよく歩き回った成果である。
人のいないところを狙ってコースを限定しないのと、
「歴史」を楽しんだのはよかったかも。
もう一つ、成果があったのは、HIITトレーニング。
この正月にテレビが壊れたのは天佑だったかも。
新しいテレビでYouTubeが見られるようになったから、
きれいでスタイルの良いお姉さんに励まされながら、
「地獄の4分」「やせるダンス19分」を居間で楽しん(?)でいる。
毎日は無理だけど、BGMはすっかり耳に残るくらい身体を動かした。
成果が見えれば、不思議なもので、
食べ方にも気を付けるようになっている。
昨年は冷凍庫に常備していたアイスの類が、今年は全く存在しない。
ペットボトル2リットルを4本。
こりゃ重たいわ。
この重さを身にまとっていれば、腰や膝が悪くなるのは無理もないだろう。
……雨が続いている。
畑仕事も庭の草むしりもウォーキングもできない。
ペットボトル2リットル4本の重さを頭に置いて、
リバウンドに気を付けなくては。
8キログラム。ペットボトル2リットル4本分。
去年の10月頃は、
測るのがイヤになっていたと言うから、実際はもっと多いはずだ。
その頃、甥っ子の結婚式もあり式服を新調した。
サスペンダーを利用しなければならなかった。
今は、サスペンダーが違った意味で必要。
ご覧あれ。
先日お葬式の後、サスペンダーを外したら、
ボタンをかけたままなのに、ズボンがずるりと抜け落ちたそうだ。
私の場合、ストレスと一緒に脂肪を貯めまくった一年前と比べれば、
やはり8キログラム減。
あきらめていたスカートやパンツが履けるようになったが、
この数年に買ったものはお蔵入り。
嬉しいような悲しいような。
岡城ダイエット、久住ダイエット、三社参りダイエットなどと称して
地元をよく歩き回った成果である。
人のいないところを狙ってコースを限定しないのと、
「歴史」を楽しんだのはよかったかも。
もう一つ、成果があったのは、HIITトレーニング。
この正月にテレビが壊れたのは天佑だったかも。
新しいテレビでYouTubeが見られるようになったから、
きれいでスタイルの良いお姉さんに励まされながら、
「地獄の4分」「やせるダンス19分」を居間で楽しん(?)でいる。
毎日は無理だけど、BGMはすっかり耳に残るくらい身体を動かした。
成果が見えれば、不思議なもので、
食べ方にも気を付けるようになっている。
昨年は冷凍庫に常備していたアイスの類が、今年は全く存在しない。
ペットボトル2リットルを4本。
こりゃ重たいわ。
この重さを身にまとっていれば、腰や膝が悪くなるのは無理もないだろう。
……雨が続いている。
畑仕事も庭の草むしりもウォーキングもできない。
ペットボトル2リットル4本の重さを頭に置いて、
リバウンドに気を付けなくては。
天空のプロムナード [山歩き]
なにやらカッコいいネーミングである。
つい最近まで知らなかった。
久住山の裾野にある芝歩道のことである。
https://www.pref.oita.jp/site/taketa17008/guruttokujyuu.html
今回は、その「プロムナード(散歩道)」の紹介を。
久住山がとっても澄んで見えて、「青嵐」という季語にぴったりの日、
夫が「久住まで行こう。」と言う。
連休明けの5月7日のことだ。
この時点では、どこをどう歩くか決めていたわけではなかった。
県道47号の峠道を上り、岡城方向を眺めて……。
(岡城が左の中程に見えている。)
久住山の方向に向かった。
県道669号「阿蘇くじゅう公園線」を西の方向に走らせていると、
左側の歩道に芝生が貼られていることに気づき、
あの歩道を歩こうということになった。
ガンジー牧場などの観光地を通り過ぎ、
阿蘇山がきれいに見える場所に駐車スペースがあって、
そこから、来た道を逆に歩くことにする。
何度か来た道ではあるが、芝生の歩道があったとは気づかなかった。
歩き始めると、
靴底に伝わる芝生の感触が心地よい。
風は強いが、最高の眺めである。
右に祖母傾を眺め、左に久住連山を仰ぎながら歩いて行く。振り返れば阿蘇。
こんな空気の澄んだ美しい景色の中にいると、
悪い病気がはやっているなんてウソのようだ。
休みには賑わいを見せるガンジー牧場やホテルレゾネイトくじゅうの駐車場は
がらんとしていて、車もほとんどなく、
そのことがコロナの流行を思い出させた。
「……三百の牧の若馬耳吹かれけり」
与謝野晶子の歌の上二句が思い出せないでいる。
……何だったかな、こんな風景なんだけどな。
芝生の歩道が終わり、もう少し歩いた。
道ばたの記念碑を風よけにしてお昼ご飯。
一人だけ芝歩道を歩く人を見かけた。
来た道を折り返す。
芝歩道の起点はここで、2.6㎞あるらしい。
再びレゾネイトくじゅうの前を通り
来客もほとんどいないガンジー牧場でチーズとクッキーを買って
車の置いてある場所まで戻った。往復5.8キロ。
芝歩道はもう少し先まで続いていた。
阿蘇の噴火は活発な様子だった。
5月23日、再び芝歩道へ。
この日は薄曇りだったが、暑くもなくウォーキング日和。
芝歩道の「終点」から歩き始める。
芝歩道は前回と同じで歩く人はいなかったが、
車やバイクの通りは驚くほど多かった。
ガンジー牧場は賑わいを取り戻していた。
669号線の車は多いけれど、芝歩道は今回も貸し切り状態。
草を刈って丸めていく牧場の作業に見入ったり馬を眺めたり。
「夏の風山より来たり三百の牧の若馬耳吹かれけり」
やっと全部思い出した。
三百はいないけどね。レゾネイトくじゅうでは乗馬もできるらしい。
ん?
芝歩道はこんなオシャレな名前で呼ばれていたのだと
ここで初めて知った。
「天空のプロムナード」……、知らなかったなあ。
芝歩道の「起点」を通り過ぎて
前と同じ記念碑のそばでお昼ご飯。
また来た道を戻る。
前回より花の種類が増えていた。
往復で7キロぐらい歩いてきた。
この芝歩道を歩くイベントも予定されていたようだが、この春は中止。
イベントはなくても、久住山の麓を阿蘇や祖母傾山を眺めながら歩くのは素敵。
九州の真ん中にはこんな広々とした風景が広がっている。
家から車で30分も走らせればこんなウォーキングコースもあって、
いろいろ楽しんでいるダイエット夫婦なのである。
つい最近まで知らなかった。
久住山の裾野にある芝歩道のことである。
https://www.pref.oita.jp/site/taketa17008/guruttokujyuu.html
今回は、その「プロムナード(散歩道)」の紹介を。
久住山がとっても澄んで見えて、「青嵐」という季語にぴったりの日、
夫が「久住まで行こう。」と言う。
連休明けの5月7日のことだ。
この時点では、どこをどう歩くか決めていたわけではなかった。
県道47号の峠道を上り、岡城方向を眺めて……。
(岡城が左の中程に見えている。)
久住山の方向に向かった。
県道669号「阿蘇くじゅう公園線」を西の方向に走らせていると、
左側の歩道に芝生が貼られていることに気づき、
あの歩道を歩こうということになった。
ガンジー牧場などの観光地を通り過ぎ、
阿蘇山がきれいに見える場所に駐車スペースがあって、
そこから、来た道を逆に歩くことにする。
何度か来た道ではあるが、芝生の歩道があったとは気づかなかった。
歩き始めると、
靴底に伝わる芝生の感触が心地よい。
風は強いが、最高の眺めである。
右に祖母傾を眺め、左に久住連山を仰ぎながら歩いて行く。振り返れば阿蘇。
こんな空気の澄んだ美しい景色の中にいると、
悪い病気がはやっているなんてウソのようだ。
休みには賑わいを見せるガンジー牧場やホテルレゾネイトくじゅうの駐車場は
がらんとしていて、車もほとんどなく、
そのことがコロナの流行を思い出させた。
「……三百の牧の若馬耳吹かれけり」
与謝野晶子の歌の上二句が思い出せないでいる。
……何だったかな、こんな風景なんだけどな。
芝生の歩道が終わり、もう少し歩いた。
道ばたの記念碑を風よけにしてお昼ご飯。
一人だけ芝歩道を歩く人を見かけた。
来た道を折り返す。
芝歩道の起点はここで、2.6㎞あるらしい。
再びレゾネイトくじゅうの前を通り
来客もほとんどいないガンジー牧場でチーズとクッキーを買って
車の置いてある場所まで戻った。往復5.8キロ。
芝歩道はもう少し先まで続いていた。
阿蘇の噴火は活発な様子だった。
5月23日、再び芝歩道へ。
この日は薄曇りだったが、暑くもなくウォーキング日和。
芝歩道の「終点」から歩き始める。
芝歩道は前回と同じで歩く人はいなかったが、
車やバイクの通りは驚くほど多かった。
ガンジー牧場は賑わいを取り戻していた。
669号線の車は多いけれど、芝歩道は今回も貸し切り状態。
草を刈って丸めていく牧場の作業に見入ったり馬を眺めたり。
「夏の風山より来たり三百の牧の若馬耳吹かれけり」
やっと全部思い出した。
三百はいないけどね。レゾネイトくじゅうでは乗馬もできるらしい。
ん?
芝歩道はこんなオシャレな名前で呼ばれていたのだと
ここで初めて知った。
「天空のプロムナード」……、知らなかったなあ。
芝歩道の「起点」を通り過ぎて
前と同じ記念碑のそばでお昼ご飯。
また来た道を戻る。
前回より花の種類が増えていた。
往復で7キロぐらい歩いてきた。
この芝歩道を歩くイベントも予定されていたようだが、この春は中止。
イベントはなくても、久住山の麓を阿蘇や祖母傾山を眺めながら歩くのは素敵。
九州の真ん中にはこんな広々とした風景が広がっている。
家から車で30分も走らせればこんなウォーキングコースもあって、
いろいろ楽しんでいるダイエット夫婦なのである。
ちょっとだけハーバー [ヨット]
日曜日は、思わぬ時間が空いたので、
ちょっとだけハーバーへ。
この日は、ヨット好きのおじさま達が
みんなで遊ぶと聞いていたのですが、
相変わらずCHIHAYAは参加が無理で……。
いつもクルーに来てくださる皆様には
本当に申し訳ないです。
別府への山道を下っていると
ちょっとだけセールが見えました。
好い風が吹いてたんだなあ。
ちょっと大きくしてみよう。
ハーバーはきらきらしていて
夏、本格的!って感じでした。
お疲れ様でした!
楽しかったですか?
今日はDaisyの完全勝利?
いいなあ……。
エンジンをかけて、
カバーを簡単にオーニングにしてお昼ご飯。
ヨットの点検が済んだところで帰ります。
こうやってヨットに来ると、
「ああ、ここでビールを飲みたい。」と思うのでありました。
しかし、ヨットのことはすっかり忘れてしまっているのが悲しい。
ボタンを押してとか言われてもどれのことやら……。
みんなで楽しく遊んだおじさま達にご挨拶をして
山道を登って帰りました。
束の間の時間だけれど、潮風に当たるのは最高。
ちょっとだけハーバーへ。
この日は、ヨット好きのおじさま達が
みんなで遊ぶと聞いていたのですが、
相変わらずCHIHAYAは参加が無理で……。
いつもクルーに来てくださる皆様には
本当に申し訳ないです。
別府への山道を下っていると
ちょっとだけセールが見えました。
好い風が吹いてたんだなあ。
ちょっと大きくしてみよう。
ハーバーはきらきらしていて
夏、本格的!って感じでした。
お疲れ様でした!
楽しかったですか?
今日はDaisyの完全勝利?
いいなあ……。
エンジンをかけて、
カバーを簡単にオーニングにしてお昼ご飯。
ヨットの点検が済んだところで帰ります。
こうやってヨットに来ると、
「ああ、ここでビールを飲みたい。」と思うのでありました。
しかし、ヨットのことはすっかり忘れてしまっているのが悲しい。
ボタンを押してとか言われてもどれのことやら……。
みんなで楽しく遊んだおじさま達にご挨拶をして
山道を登って帰りました。
束の間の時間だけれど、潮風に当たるのは最高。
次の世界へ [美しいもの]
眼鏡が合わない! [今日の私]
いちばん目に合っている遠近両用眼鏡を壊しちゃったです。
予備はありますが、
どれも目に合わなくて困ります。
眼鏡を外せば、近くは見えるがその他は見えない。
従って、
パソコンに向かっているときは、
眼鏡をつけていたら、画面もキーもぼんやりで、
眼鏡を外していたら、画面にぐっと顔を近づけなくてはならなくて……。
(今、すごい変な顔でパソコンに向かってます。)
小さい字を見るときは
一回一回眼鏡を外さないと見えないのです。
今日は花の苗を買いに行きました。
育て方などを書いたラベルがポットについていて、
それを見るのに、
眼鏡を外して、花の苗をポットごと鼻先まで近づけて読んでいるので、
お店の人は、変に思ったかもしれない。
いちばん楽なのは、
眼鏡を外して漫画を読むこと。
ここまで書いたら
もう疲れました。
ブログネタも写真も貯まっていますが、
パソコンの作業がつらいので……。
今日はここまで。
おやすみなさい。
予備はありますが、
どれも目に合わなくて困ります。
眼鏡を外せば、近くは見えるがその他は見えない。
従って、
パソコンに向かっているときは、
眼鏡をつけていたら、画面もキーもぼんやりで、
眼鏡を外していたら、画面にぐっと顔を近づけなくてはならなくて……。
(今、すごい変な顔でパソコンに向かってます。)
小さい字を見るときは
一回一回眼鏡を外さないと見えないのです。
今日は花の苗を買いに行きました。
育て方などを書いたラベルがポットについていて、
それを見るのに、
眼鏡を外して、花の苗をポットごと鼻先まで近づけて読んでいるので、
お店の人は、変に思ったかもしれない。
いちばん楽なのは、
眼鏡を外して漫画を読むこと。
ここまで書いたら
もう疲れました。
ブログネタも写真も貯まっていますが、
パソコンの作業がつらいので……。
今日はここまで。
おやすみなさい。