SSブログ

「箱根ユリ」   竹田市岡城跡⑩ [お城(跡)歩き]

梅雨明け前の岡城跡です。
この日は、近戸門から。
葛に覆われそうな近戸門。


P7270933.jpg



近戸門横の石垣。


P7270926.jpg


そこから近戸門下の七曲がりを眺めます。緑に包まれています。


P7270932.jpg



本丸に向かう途中で雨が降り始めました。


P7270934.jpg


P7270937.jpg





そろそろ出会えるのではないかなと思っていた「箱根ユリ」。
本丸の東側の石垣に咲いていました。


P7270941.jpg


こんなところに!


P7270946.jpg



ぐるっと回って、東側から本丸の石垣下へ。



P7270959.jpg




こちらでは普通に「箱根ユリ」と言いますが、「ヤマユリ」が正式な名前。
ウィキさんによると、
生息地は、「北陸地方を除く本州の近畿地方以北の山地に分布」とあり、
「地方によって様々な別の呼び名があり、ヨシノユリ(吉野百合、芳野百合)、エイザン ユリ(叡山百合)、ホウライジユリ(蓬莱寺百合、鳳来寺百合)などともよばれていて、 各産地に因んで名付けられている。 」
ですって。


では、九州竹田でなぜ「箱根ユリ」?


P7270961.jpg



それはですね、
「岡藩第四代藩主中川久恒公が参勤交代の際に、箱根から鑑賞用として、また、非常時の食料とするために持ち帰ったもの」だから……ということらしいです。
また、「八代藩主中川久貞公は深くこの花を賞玩したとも伝えられ、以後竹田地方に広く分布するようになった」
のですって。


P7270965.jpg



私たちが子どもの頃、山の斜面に咲いているのをよく見かけました。
草刈りをしても、ユリはちゃんと刈らないで残してあったものです。

「里人の刈り残してあり百合の花」

私の知り合いの方の句ですが、こちらではこんなふうに大事にしてたんですよ。



P7270967.jpg



また、こんな話を伝え聞いたこともあります。これは、本当かどうか……さて?


「岡城の殿様が箱根から種を持ってかえってきて、本丸から東に向かって
ふっと息を吹きかけた。種は風に乗って広がった。
だから、岡城の東の地域(私たちのふるさと)にたくさん生えている。」


P7270969.jpg



うちの庭ではお母ちゃんがテッポウユリを植えたんですが、
咲いた花をそのままにしておいたら、実が膨らんで、
種がわらわら弾けて飛んで、今や雑草並みに芽を出します。
(庭の風通しを阻害するようになったので、お母ちゃんに内緒で駆逐しています。).




「箱根ユリ」もそうなのかなと思ったら、
球根が美味しいので、イノシシ等が掘って食べちゃうらしいのです。
岡城の箱根ユリは一時はなくなってしまったとか。


P7270973.jpg


いつ岡城に行っても、イノシシが土を掘り返した現場に出会うからなあ!
夜の岡城はイノシシ天国なのかも。
岡城では、ユリが石垣に生えていた理由がよくわかりました。
さすがのイノシシも石垣は登れないでしょう。



P7270975.jpg



竹田市では、「箱根ユリ」を大事に育てている地域もあります。


殿様が持って帰ってきて、大事にしていた「箱根ユリ」。
本丸の岡神社の天井絵にも「箱根ユリ」の絵がありましたよ。


P7270950.jpg



岡城跡のお土産屋さんも大事にしています。


P7270995.jpg


P7270994.jpg



事務所の横の自販機の向こうにも裏側の斜面にも。


P7270997.jpg


P7270998.jpg



近戸口の近くでも。



P7291131.jpg



そう言えば、竹田市の看板は、石垣とユリのデザインだった!



下原門そばで、咲くのを楽しみにしていたユリ。
16日の写真。


P7160834.jpg



きっときれいに咲いているだろうと思ったら……。
ありー。


P7270979.jpg


P7270978.jpg



こんな処まで来て悪さをする人はいないだろうから、
虫?鳥?獣のたぐい?
もしかしたら、球根を大きくするために、花を摘んだのかな。

ま、いいや。来年、また会おうね。





……この日は、降り出した雨に促され早々に退散。
4㎞も歩けませんでした。
ま、箱根ユリが見られたから、いいか。


P7270988.jpg




殿様が持ち帰って藩の人たちが大事にした「箱根ユリ」。
岡城跡だけでなく、国道502号沿いでもよく見かけます。



P7291053.jpg



ところで、九州の他の地域や四国にはヤマユリはないんですか?



P7291060.jpg


nice!(0)  コメント(8) 

夫はトマトにこだわる [美味しいもの]

毎年、トマトは苗選びから大変。
夫は、一般的な「桃太郎」では飽き足らず、
生食用、煮込み用と苗を求めて、大分市の量販店まで行くのだ。

4月。
今年は「こんな年」だから、人が集まるところには行きたくなかったのだが、
需要のない田舎では欲しい苗が手に入らない。

いつもは人が多い量販店もちょっと隙間が多い感じだったが、
それでも田舎とは違う。人が多い~。でも、種類はさすが~!!
「ズッカ」「ルンゴ」「ボンディッシュ」など、欲しい苗を見つくろって、
他の野菜の苗も大急ぎで選んで買い込んで、そそくさと帰ってきた。
肥料などは田舎に帰ってからコ〇リで購入。


P4241973.jpg


ハウスを建て、苗を植えて、
夫は例年より念入りに手入れをしていた。
肥料や水の管理、芽摘み、病気……朝夕監視を怠らなかった。
病気や虫はいち早く対応し、薬は未使用。

(凝り性やね、やっぱり。)

その結果、
7月の始めには実がゴロゴロなって、
いい感じに色づいて、どんどん収穫できるようになった。


P7080757.jpg


P7080759.jpg


P7080758.jpg



カラスから実を護るネットも装着。(キュウリは数回被害に遭っている。)


P7080762.jpg


P7080765.jpg





下は19日の写真。夫が収穫してきた。


P7190894.jpg


この数年の中でも会心のトマト。


変な形で大きなズッカは、生食が美味しい。


P7190896.jpg


庭のバジルもちょうど良い具合。
ウスダさんのバゲットでブルスケッタ。カプレーゼも最高。

下は、モッツァレラチーズ、バジル、オリーブオイル、塩だけのサラダ。


IMG_20200709_183640.jpg



細長いルンゴは肉詰めで、イタリアン風。
カレーに入れても美味。


P7190898.jpg


IMG_20200705_181928.jpg



丸いボンディッシュは煮込み用。
庭に生えてるオレガノを使って、トマトソースをたっぷり作った。


P7190899.jpg


P6270545.jpg



去年植えたハーブ類は、今年も元気!!

P5243243.jpg



ディルは、庭の思いがけない場所で芽を出して大きくなった。
これもトマトのサラダによく合う。

P6270546.jpg




桃太郎は、湯むきして、めんつゆに浸け込むとお母ちゃんが喜んで食べる。
ミニトマトは、食感がよくて、そのままぱくぱく食べている。畑でも食べてる。
間引いたチンゲンサイとラディッシュもしっかり食べる!


1595321528449.jpg



ご近所などにお裾分けして喜ばれている。
ナスにキュウリ、ピーマンも、夫の「こだわり」のおかげで美味しかった!!!


P7190890.jpg



ニンニク、唐辛子、オリーブオイルがあれば
STAYHOMEでもイタリアン気分なんだけど、
ビールやワインが進むのは考えもの。
それでなくても雨続きでウォーキングに出られないので!!



早く梅雨が明けてくれないと野菜の病気の進行が早くなる。
今日も警報が出るような降り方で、
夫は畑を眺めつつ、体重計を気にしつつ、ため息をついている。


P5162985.jpg


……余談だけど、「赤い色」の写真は元気が出るなあ。


nice!(0)  コメント(4) 

被災の歴史 竹田市岡城跡⑨ [お城(跡)歩き]

ネットのニュースに、「岡城跡の石垣が豪雨で崩落」と出ていたので
気になって、16日に見に行ってきました。


P7160855.jpg


崩落の場所は、西の丸の西の端っこで、下の駐車場からも見えるところです。
あらまあ……


P7160798.jpg


P7160799.jpg



8日にわかったとのことでしたが、
雨音に眠れなかったのが7日の深夜でしたから、あの雨で崩れたのですね。
1時間に約110ミリという恐ろしい勢いで降った雨でした。



P7160800.jpg



実は、8日は私たちも梅雨の合間を狙って岡城を歩いていたのでした。
大雨の痕跡があちこちに残っていました。


近戸口からの上り坂。

P7080626.jpg


P7080629.jpg


お城の下の道。

P7080644.jpg


P7080653.jpg


P7080660.jpg



P7080667.jpg


西の丸も歩いたのですが、崩落には気づきませんでした。

P7080706.jpg


大雨のせいで、稲葉川も濁流。

P7080673.jpg


下流の蝙蝠の滝がすごいことになっていた日でした。
こんな日ですから、お天気は好かったのですが、岡城跡も貸し切りでした。


P7080669.jpg


P7080683.jpg




16日は、曇り空。


大手門から登城、西の丸で崩落現場を確認して、二の丸、本丸と攻めて、下原門へ。
下原門から東に下り、岡城下の道を大手門方向にてくてく。

雨の後は大手門の坂は滑るんです。
8日に行ったとき、ずるずる滑ったのですが、この日は滑り止めの敷物と注意書きが……。

P7160792.jpg


P7160839.jpg


P7160807.jpg


P7160812.jpg


P7160818.jpg


P7160829.jpg


稲葉川は落ち着いていました。

P7160825.jpg


あらまあ、ここも危ないねえ。

P7160835.jpg



再び大手門を上がって(こんな歩き方をする観光客はいないでしょうねえ)
最後は近戸門から下るという5キロのダイエットコース。

P7160840.jpg


P7160842.jpg


P7160849.jpg



岡城はNHK「最強の城」に選ばれたこともあるのですが、
難攻不落のこの城も、被災と復旧を繰り返していました。


IMG_20200721_111537.jpg


岡藩の知識はこの本から得ることが多いのですが、
この本に詳しく受難の歴史が書かれています。

1698年    大地震 城内各施設、石垣が被災。
1705年 4月 大地震 石垣破損箇所は、53カ所
1707年10月 またもや大地震 
         二の丸月見櫓が壊れたほか城中の破損箇所200カ所あまり。
1765年11月 西の丸より出火、大火災。
1771年 1月 足軽屋敷から出火、本丸、二の丸、三の丸が焼失。
1789年 6月及び11月 大火災。
1799年12月 風雨、洪水で城内外に被害。
1804年 8月 大風雨により櫓や門、塀の屋根が破損など
1822年 6月 大雨と洪水で城内、侍屋敷が被害。
      7月 大風雨と洪水で城内に被害。
1835年 7月 大風雨と洪水で城内に被害。
1836年    大風雨と洪水で城内に被害。
1850年    西日本を襲った大風雨により大被害。
1854年    安政南海地震により本丸が大破。


うへえ……こんなに。


「災害による復旧と維持管理には相当の労力と財政的な負担を強いられた。」と
書かれていますが、
美しく荘厳なほどの石垣を見る度に、藩の苦労が思われるのでした。


P7080658.jpg


と同時に、これだけ繰り返されている地震や風水害の被害の歴史は、
「災害は起こるのだ。」と根拠のない「安心」を戒めているようにも思いました。


月に2~3回は岡城跡を歩いていますが、
毎回整備の方のご苦労に頭が下がる思いをしています。
草が増えたな……と思っても、次に行くときれいに刈られています。
きれいになったなと思っても、少し時間が経てばもう草がいっぱい。


P7160822.jpg


P7160794.jpg


……名城は今も大変な努力で護られています。




20日には、くじゅう主要登山道の多くが土砂で寸断されたという記事が出ていました。
復旧の見通しはたっていないということです。




改めて、被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
一日でも早く復旧がかないますように。


P7160834.jpg

nice!(0)  コメント(4) 

舟が森を走る③ 蝙蝠の滝の偉業 [歴史探訪]

明治5年の秋に犬飼~沈堕の滝の通舟工事が終わると、
早速明治6年には、上流の沈堕の滝~竹田の通舟について切実な嘆願が県に提出される。
しかし、地形が複雑な上に蝙蝠の滝などの難所があることから、なかなか工事の許可が出なかった。


2009,10.12 空の旅 149.jpg
写真左が下流


明治7年には再三の嘆願書が提出され、
地域住民への説明会なども開かれて、9月、着工に漕ぎ着ける。

その工事も困難を極めたが、明治8年3月に工事の終了を見る。
沈堕の滝~竹田までの工事期間約五ヶ月、実働した人員は約二万六千人。
数々の困難を克服しての通舟工事だった。


……なんて、さらりと経過報告を書いたが、
残された資料は、本当に大変な工事だったことを物語っている。



大野川流域の人々の思いを一つにした「舟を通そう」という「熱情」は、
堅い岩を穿ち、岩盤を爆破、巨石を動かすという難工事を克服し、
しかも冬の寒さに耐えつつ流水と戦うエネルギーとなったのだから、
すさまじいとしか言いようがない。




工事区間最大の難所が蝙蝠の滝であった。


P7160882.jpg



岡城東側の下にも十川(そうがわ)の滝があったが、ここは滝の岩盤を斜めに割り掘って、
舟路を完成させ、岡城下への舟道が切り拓かれた。

岡城散歩の時、ときどき通っている場所だ。


(これって、自然にできた流れじゃなかったんだ……。)

P4181675.jpg

P4181667.jpg




蝙蝠の滝は高さがあるから、斜めに削ることができなかった。
どうやってこの高さを克服しようとしたか、現在の写真と一緒にご覧いただこう。



IMG_20200416_124049.jpg


わかりにくいが、矢印が舟路。

P4161390.jpg




①滝の上は、凝灰岩の川底を割り掘って水路のように舟路が作られた。 山林入り口付近には、舟路の水量調整のための溝が掘られている。

   (これは堅いよ……。)

P4161484.jpg


 
   (工事の跡?)

P4161445.jpg

   (ノミの跡とかあるらしいよ。)


P4161480.jpg



P4161561.jpg



P4161487.jpg



   (これが水量調整用の排水溝だね。これを作るだけでも大変……。)


P4161490.jpg





②滝を迂回するために山林内に深い掘り割りを作った。


   (おおっ!ここを舟が……。)

P4161530.jpg


P4161518.jpg

 
  (約60メートル、舟が森の中を走ったんだ……。)

IMG_20200416_123134.jpg




   (幅3~4.5メートル、深さ2.5~4.5メートル。)

P4161503.jpg



   (ここにも工事の跡があるね。)

P4161516.jpg





IMG_20200416_121948.jpg



IMG_20200416_122113.jpg





③掘り割りだけでは、滝下の水面に着水できないから、滝下に行くために長い石垣を組み上げて、その上に大きな滑り台(木造の樋)を作って、舟が滑り降りるようにした。


   (ここは掘り割りの出口、滑り台の上の方だね。ここから斜めに滑り台があった。)

P4161505.jpg


 

P4161507.jpg



   (横から見れば石垣が見えるはず。その写真が欲しかったな。石垣は50メートル!!)

IMG_20200416_122310.jpg


   (かなりの傾斜だよ。ここに滑り台-木造の樋-があったの?)
   (よく舟が壊れなかったなあ!)
   (いやいや、実際に壊れたこともあったらしいよ。)


IMG_20200416_122304.jpg





大野川通舟を企画した殿様と領民の思いは、新しい時代になってようやく叶えられた。
開通当時の人々の喜びは大きく、明治10年頃からは舟運業が始まっている。
明治30年ごろまでは経済効果があったことも碑文などから推察できるという。




しかし、蝙蝠の滝の滑り台(木造の樋)は毎年の洪水の度に壊れ、
その修復はかなり煩わしいことであったようだ。

出水時の写真からもわかるように、
雨が続けば、滝だけでなく大野川全体にも大きな危険が生じたはずだ。
明治18、9年頃には山間部も県道村道が整備され始めたというから、
しだいに川は使われなくなっていったのだろう。
沈堕から下流の大野川に比べ、上流の方は早く通舟が終わったらしい。
いつが終わりの時かはわからない。


P4161537.jpg


後に、使われなくなった舟路を狭め、水車小屋ができた。その跡が遺されている。

  (この石垣は水路を狭くしてたんだ……。)

P4161527.jpg



山林中の掘り割りの入り口は、水が通らないように石垣が積まれ、
舟路は閉鎖されてしまっている。



IMG_20200416_123043.jpg



明治42年、上流に発電所の取り入れ口ができたから、この頃には舟運も途絶えていたらしい。
 
  (発電所に行く水って、けっこう多いんだね。)

2009,10.12 空の旅 150.jpg




竹田の町を流れる稲葉川。
大きな洪水があってから河川工事が進み、当時の面影は残っていない。

  (どこを舟が通ったのかな?船着き場はこのちょっと上流だね。)

P5042260.jpg





通舟の悲願達成なるも半世紀も続かなかった大野川通舟の歴史。



私の祖父は次のように書き残している。

「……あのコウモリの滝に大樋を架して舟を実際に通した当時の人たちの強烈な意欲は、驚くべくして且つ忘るべからざるものがある。大野直入という山地居住者-我々郷土の先人達-の苦渋と、何とかしてこれを打開しようとした大野川通舟という事業の価値を無視することはできない。」

  (じいちゃん、本当にそう思うよ。じいちゃんからもっと話が聞きたかったよ。)



そして、市内の子どもたちが利用するジオパークの教本では、こう結ばれている。

「蝙蝠の滝は、自然の眺めがすばらしいだけでなく、大野川を利用し生活を豊かにしようと試みた人々の歴史も色濃くのこされています。蝙蝠の滝は、人の営みと自然景観が結びついた貴重な遺産です。」



                                        
蝙蝠の滝は、「蝙蝠滝舟路跡」として平成9年に大分県指定史跡と成り、
平成19年7月26日に国登録記念物になっている。


P4161499.jpg




山間部の深い谷間に眠っている「舟を森に走らせた」物語を
ここでまとめることができて、今、ちょっと達成感。
これもウォーキングの成果かな。
(今回書けなかったこの滝の工事のエピソードは、いつか書くかも。)





P7160867.jpg

7月16日 少し水が引いた蝙蝠の滝




動画、追加しました。


  
nice!(0)  コメント(4) 

舟が森を走る②  蝙蝠(こうもり)の滝 [歴史探訪]

雨が一日途切れた8日、蝙蝠の滝の展望所まで行ってみた。



4月、好天が続いていたときの蝙蝠の滝。

P4161394.jpg



そして、雨が続いた後の蝙蝠の滝。驚いた。

P7080745.jpg



動画でご覧いただこう。





大野川河口から約55キロメートル上流。
幅が120メートル、高さが約10メートル。

昔は、滝の上流にダムもなく、水力発電所に水を取られることもなかったから、
豊かな水量であったことだろう。

私の弟がくれた文献に、蝙蝠の滝は
「滝が水しぶきをとばして流れ、大きな音をたてている。滝の白い流れが虹を作っている。」
と書かれていたが、まさにこれかと思ったことだった。


P7080735.jpg



この滝を越えて舟が通った。
なぜこんなところを?どうやって?



以前、大分から犬飼を経て竹田に入るときの旧道について書いた。
険しい山道で、物流はどうなってたんだと疑問に思った。



大野川沿いの川港犬飼から河口の大分三佐までは舟が行き来していた。
じゃあ、竹田と犬飼の間は?
山間部に位置する岡藩、物流は山を越え、谷を渡る難路を、
徒歩、人肩と牛馬の背に頼るしかなかった。


P4221893.jpg


車というわけにはいかないのだ。荷馬車が通れるような道ではない。
崩れやすいところは石垣を積んだり石畳にしたり。それでも道は崩れる。
この数ヶ月、いろんな旧道を歩き回ったおかげで、
岡藩の人々の苦労が身にしみてわかってきている。



岡藩の殿様は考えた。
参勤交代や物資の往来について、
竹田から大野川全域を利用する川舟交通路はできないものかと。
竹田の町、岡城の北側を流れる稲葉川は、大野川の本流と合流し、東に流れる。
下の写真が稲葉川。(最近はこの辺りをうろうろしている。)

2009,10.12 空の旅 142.jpg


2009,10.12 空の旅 145.jpg



今回使っているのは、10年前にセスナに乗ったときに撮った写真。
今頃役立つなんて!



大野川は、別府湾まで滔滔と流れている。この川を利用しない手はないではないか。
これは殿様だけでなく、岡藩領民の願いであったようだ。
舟で岡藩からの荷が運べたら、どんなに楽だろう。


2009,10.12 空の旅 158.jpg





ところが領地の関係でうまくいかないんだなあ。




大野川を犬飼まで下るとき、一部だけお隣の臼杵藩領が入り込んでいる。
片側だけでも岡藩領なら問題ない。
ところがわずかな距離(2.9㎞)だけ、両岸とも臼杵藩という場所があるのだ。
だから、その間は、臼杵藩の許可がなくては岡藩は舟を通すことができない。
まさにのど元に刺さった骨。


うまいこと その辺りの写真もあった!


2009,10.12 空の旅 097.jpg





岡藩も臼杵藩に交渉を繰り返したようだ。
しかし、再三の交渉にも受け付けてもらえない。
とうとう幕末まで、竹田から犬飼まですいっと舟で……という目的は叶えられなかった。
岡も臼杵も小藩、隣同士でいろんなお国事情が絡んでいたのだろう。



で、時代はあっという間に明治へ。


明治4年、廃藩置県。
岡藩も臼杵藩もなくなった!境界もない!今こそ、大野川を使って経済発展を!
という岡藩の人たちの江戸時代からの悲願が果たされるときがやってきたのだ。
早速明治5年には大野川流域の人たちから
「大野川通船」の要望が県へ提出されたというから、
本当に切望していたのだ。


ここでは書ききれないくらいの陳情や準備を経て、
第一段階の犬飼~沈堕の滝の舟路ができた。


2009,10.12 空の旅 100.jpg



第二段階は沈堕の滝からさらに上流の竹田まで。


2009,10.12 空の旅 105.jpg




沈堕の滝は、舟を乗り換えることとして、蝙蝠の滝の落差をどうクリアする?


2009,10.12 空の旅 151.jpg



ここに「滝を迂回して森の中に舟道を作る」という大事業が計画されたのだ。
今も残る舟道を黄色い線で示してみた。


P7080744.jpg




ああっ、空の旅を楽しんでいたら、紙面取り過ぎ。

舟道の様子は、また次で。
                                      


※この文章を書くにあたっては、
郷土史を研究していた祖父が書き残したものと弟がくれた資料が役に立ってます。
じいちゃん、弟よ、ありがとう。

                                                                             
nice!(0)  コメント(6) 

ヨットの水抜き [ヨット]

あまりに雨が降り続くので、
ヨットのビルジ溜まりもあふれているのでは……?
と、水抜きに行ってきました。


IMG_20200709_114532.jpg



先週の木曜日、雨は止んでいましたが、すっきりしないお天気です。



IMG_20200709_115326.jpg



ハーバーは満潮で
ゴミもたっぷり。


IMG_20200709_114636.jpg



別府湾にはこの雨で川からかなり流れ込んでいるのでしょう。
浮遊物を避けながら遠征に出かけたこともありました。
何年か前の佐伯のレースだったかなあ。


IMG_20200709_114523.jpg



IMG_20200709_114657.jpg



幸い水はあまり溜まっていなかったので、
エンジンをかけて、お昼ご飯へ。


とよ常、久しぶりです。
外食もほとんどしていなかったなあ!
熱をピッと測ってもらって席に着きましたよ。
「さあ、食べるぞ!!」


IMG_20200709_121712.jpg



……ご飯少なめに頼んだのですが、食べきれませんでした。ごめんなさい。



再び降り出した雨の中を大急ぎで帰りました。



P6270553.jpg



……佐伯湾のイルカに会いに行きたいなあ。




nice!(0)  コメント(2) 

雨音に眠れない夜。 [今日の私]

今年も大雨に気が滅入ります。
被災された地域の皆様に心からお見舞い申し上げます。


P7080586.jpg




今日は雨が上がり、この時を逃してなるものかと
洗濯に精を出しました。



P7080608.jpg





……夕べ(7日の夜)は参りました。


「線状降水帯」のしくみなどをネットで確認した後、寝たのが12時頃。


うつらとしたら、にわかに大きな雨音。雷の音も混じっていました。
午前1時頃だったでしょうか。
久しぶりのすさまじい雨音に
動顛してしまいました。


P7080619.jpg



スマホで雨雲レーダーを何度も確認。
「これが線状降水帯の雨か?」と
怖くなってしまいました。


「これからどうしたらよいのだろう。」
そう考えているうちに
雨音は静かになり、雨雲レーダーの赤い色は
我が町を通り過ぎたようでした。



P7080599.jpg


午前2時半でしたが、
起き出してテレビを見ると、
短時間にかなりの雨が降ったと我が町の名前が出ていました。


多くの方が心配してくださいました。
本当にありがとうございます。


P7080589.jpg




あの雨が長時間続いていたら……と思うとぞっとします。



P7080601.jpg


P7080602.jpg




昨日、わが家の近くを流れる川は、あまり増水していませんでした。



P7080605.jpg



今日確認に行ったら、
夜の間に増えた様子が見て取れました。


P7080612.jpg


P7080614.jpg


P7080615.jpg




上流の滝のおかげで、川はわが家の近くではけっこう低いところを流れていますが、
このところの雨の降り方を考えると、
今までのように大丈夫だとは言い切れません。


P7080618.jpg



深夜の豪雨。
避難するタイミングはいつなのか、どう避難するのか、
直面すると、おろおろしているばかりの自分がいます。


「命を守る行動をとってください。」
繰り返される呼びかけを、
本気で、本気に考えないとやばい……そんな深夜の雨音でした。



P7080610.jpg



カラリとした梅雨明けはまだ来ないようです。
これ以上の被害が出ませんように。
皆様、どうかお気をつけください。



nice!(0)  コメント(4) 

舟が森を走る①  蝙蝠(こうもり)の滝 [歴史探訪]

このブログでよく登場する風景が「原尻の滝」。
P1160187.jpg


雪舟の訪れた「沈堕の滝」も何度か紹介した。
P1210248.jpg

P1210251.jpg

いずれも別府湾に注ぐ大野川水系の滝である。




実はもう一つ、豊後大野市には有名な滝がある。
その名を「蝙蝠(こうもり)の滝」と言う。

写真をご覧いただこう。


P4161397.jpg


なるほど蝙蝠の形と言えばその形である。


この滝は、原尻の滝や沈堕の滝のように
「ちょっと寄って見てこよう。」という場所にはないのが残念だ。



もうずいぶん前になるが、この春、国道沿いの神社に車を置いて、
蝙蝠の滝まで歩いたことがあった。


P4161374.jpg


前の記事のお母ちゃんが育った場所、
発電所の取り入れ口の近くである。


P4161378.jpg


ウグイスの声が響いて、新緑がまぶしい日だった。


P4161380.jpg


P4161383.jpg


P4161388.jpg



棚田に続く細い道を歩いていくと、展望所の看板が出ている。


P4161577.jpg


これまで何度も聞いた名前であるが、
実際に見るのは初めてである。地元なのに。
それだけ行くにはちょっと気合いの要る場所。
夫は前に来たことがある。


P4161387.jpg



へえ、ここが蝙蝠の滝……と、滝を上からしばらく眺めていた。



P4161393.jpg





さて、あの滝壺を傍から見てみたい。
さらに、山道を川の方へ下る。


P4161403.jpg



川の傍まで下って、発電所の取り入れ口から行けると思っていたが近寄れない。
杉林の中をうろついて、やっとたどり着いた。


P4161437.jpg


P4161439.jpg




おお、ここが!


P4161447.jpg


P4161452.jpg



この日はマクロレンズしか持っていなくて、全体を捉えるのが難しかった。
滝の位置の関係で、正面はあの展望所からしか見られない。


P4161455.jpg



何とか構図を決めようとするが……。


P4161456.jpg



なるほど、岩肌は原尻の滝とよく似ている。


P4161457.jpg


阿蘇溶結凝灰岩の堅い岩間を流れ落ちる滝。
天気の好い日が続いていたので水量は多くないが、
発電所もダムもなかった昔は、見事な滝であったろう。


P4161459.jpg



原尻の滝、沈堕の滝、蝙蝠の滝と、本当に名瀑の多いところだ。
面白い景色だ。


P4161463.jpg


P4161544.jpg


P4161545.jpg


大きな鯉もいるなあ。


P4161468.jpg



でも、この蝙蝠の滝がすごいのは景色だけじゃない。


すんごい谷間に蝙蝠の滝はある。
滝の上流へさらに大野川を遡ると岡城跡のある竹田市。


竹田から大野川を使った舟路を切り拓いた先人のドラマが
この滝には残されている。



P4161391.jpg



P4161392.jpg




※広域が見られるようにスクロールしてください。
 深い谷間にあることがよりわかります。



国道10号や豊肥線沿いを流れる大野川。
昔、豊後大野市犬飼から河口までは、舟が利用できるほど水量も多かった。
国道が整備されるまでは、舟が行き交う様が見られたという。
岡藩の殿様も、犬飼まで出て船に乗って川を下った。

蝙蝠の滝はそのはるか上流だ。
「こんなところに舟を通そうとしたなんて。」
聞いたことはあったが、現場を実際に見てみると、
車社会に生きている私たちの生活からは考えられないような苦難があったんだなあと
しみじみ感じたことだった。


P4161541.jpg


舟路のことについて勉強した成果はまた次で……。


nice!(0)  コメント(10) 

裏庭の花など [花や木]

裏庭でビールやティータイムを楽しむことができるようになって、
ときどきお客さんも遊びに来てくれます。



P6090188.jpg



手前にビワ、ブルーベリー、そして右奥がスモモ。
スモモの枝は、道路からの目隠しにもなっています。
夫が肥料をやったり病気や害虫に気を配ったりして
それぞれ元気なんですが、
食べられる実はまだ少ないのです。


P6140218.jpg


その大事な実を啄みに来た不埒な輩がいます。
収穫直前にやられました。


P6190315.jpg


熟れた実が中途半端に食べられて落ちているのを見たときは
もう悔しくて悔しくて。


犯人はヒヨドリでした。
「ああっ!だめえっ!」
大きな声を出したら逃げていきました。
ヒヨドリにも分けられるくらい たくさん実をつけるようになるとよいのですが。


P6190313.jpg



今年の紫陽花は見事でした。


P6200337.jpg



一昨年剪定の失敗で去年は花がほとんどつかなかったのです。
今年一斉に咲いたので、来年咲く花はやや少ないかも知れません。


P6140249.jpg



剪定は、ネットで学びながらやっています。



P6200335.jpg



去年植えたコたち。


P6200353.jpg



P6270535.jpg



ラベンダーが去年より元気。


P6200342.jpg



ポプリを作るにはまだまだ……。


P6200343.jpg



冬には寂しい姿になってしまい、気を揉んでいたランタナ。
芽を出し始めたら、ぐんぐん伸びています。


P6200355.jpg



芽を出せない株もありましたので、
今年違う色を追加しました。


P6270567.jpg



雨が降った後、水滴がかわいい。


P6270560.jpg




今年植えたコたち。


P6200351.jpg


ヒメヒマワリは、どんどん花をつけてくれるので、
仏壇の供花に。


P6270542.jpg


P6270540.jpg



冬にもらったシクラメンを裏庭に置いてたら
なんとこの暑いときに花をつけています。



P6200325.jpg



ガザニアはいっときは勢いが良かったのですが、
この長雨で元気をなくしてしまいました。
さて、どう養生したものか……。


P6140223.jpg


量販店などで苗が安く売られていると
思わず買ってしまいます。
写真はありませんが、他にも何種類か増やしました。
この頃は、少し元気をなくして半額になってしまったのを
生き返らせる喜びも味わっております。


P6270537.jpg



種類だけはゴチャゴチャ増えてあまりまとまりのない
裏庭になっちゃいました。

どこにも遊びに行けないので花ばかり増えて……。


P6140226.jpg



梅雨が明けたら、菊の剪定をして秋にきれいに咲くようにしなくちゃ。
これもネットで勉強中。




ちなみに一枚目、右奥の低いベンチは猫用。
家族で庭にいるときは彼も裏庭のベンチにいますが、
自主的に使ってくれたのは一度だけでした。



P6270528.jpg


午前中は家の中で寝てばかりのハナですが、
午後になると裏庭の涼しい植木の下で過ごすことが多く、
草むしりの伽になっています。
ベンチを使ってよ。





nice!(0)  コメント(2)