風景が変わったなあ。 [ヨット]
久しぶりにハーバーへ。
ヨットで海に出る時間はないのですけれど。
いや、船検を受けてないから
どっちにしても出られません。
……というわけで、船検の手続きへ。
「O社長さん、こんにちは。お世話になります。」
ハーバーそばの大きなホテルが完成に近いですね。
なんだか風通しが……。
色?
圧迫感は、高級ホテルという「ハク」を私が感じるから?
目が慣れるまで時間がかかりそう。
ま、今のところ、行く予定はなし。
だから、見ない。
海がきれい。
このところ、感染者も少ない大分県。
油断大敵だけど、少し安心。
しばらくエンジンをかけて、それから帰ります。
春の海でのんびりセーリングしたいねえ。
舫いが解けるのはいつかな。
帰り道。
手続き完了。
私は車でぼやっとしていただけですが。
ヨットで海に出る時間はないのですけれど。
いや、船検を受けてないから
どっちにしても出られません。
……というわけで、船検の手続きへ。
「O社長さん、こんにちは。お世話になります。」
ハーバーそばの大きなホテルが完成に近いですね。
なんだか風通しが……。
色?
圧迫感は、高級ホテルという「ハク」を私が感じるから?
目が慣れるまで時間がかかりそう。
ま、今のところ、行く予定はなし。
だから、見ない。
海がきれい。
このところ、感染者も少ない大分県。
油断大敵だけど、少し安心。
しばらくエンジンをかけて、それから帰ります。
春の海でのんびりセーリングしたいねえ。
舫いが解けるのはいつかな。
帰り道。
手続き完了。
私は車でぼやっとしていただけですが。
フラワーウォッチング岡城跡 [花や木]
岡城ウォーキングの帰り道は
お土産屋のおばちゃんがお茶をふるまってくださって
少しだけお話をして帰るのが恒例になってきた。
ただのお茶を「毎度」は申し訳ないけれど、おばちゃんのお茶は美味しい。
「今年の桜の頃はお客さんが来られるといいですねえ。」
先日はそんな話題。
………
このところマクロを持ち歩いているのは
桜を前にいろんな花が咲き始めたから。
歩きつつせわしなく撮っているからブレブレのが多いけれど。
近戸門七曲がりのホトケノザ
大手門石垣のスミレと?
桜馬場あたりのヤブツバキ
二の丸のブンゴウメ
中川覚左衛門屋敷跡のモクレン あれ?コブシだったかも。
滑瀬坂上のスミレ
……御廟所辺りは、9月初めの台風で桜や梅が何本も強風に倒された。
去年の2月19日に撮っていた梅の木。
この写真の奥にも白く見えている。
9月にはこの木も倒れていた。
倒れたままになって、今年の1月15日。
倒木に近づいてみると、
「あ、蕾!」
2月1日。
2月10日。
根っことかこんな状態だけど、
蕾にエネルギーがどんどん貯まっていく。
2月17日、激しい吹雪の後。一輪だけ花が見えた。
2月20日。
そして、2月24日。
感動がうまく言葉にならないけれど……春の「生命力」に感動している。
倒木の周りをウロウロしながら何枚も何枚も撮ったけれど、
思うような感動が伝えられない。
……この木を残してくださったことに感謝した。
お土産屋のおばちゃんがお茶をふるまってくださって
少しだけお話をして帰るのが恒例になってきた。
ただのお茶を「毎度」は申し訳ないけれど、おばちゃんのお茶は美味しい。
「今年の桜の頃はお客さんが来られるといいですねえ。」
先日はそんな話題。
………
このところマクロを持ち歩いているのは
桜を前にいろんな花が咲き始めたから。
歩きつつせわしなく撮っているからブレブレのが多いけれど。
近戸門七曲がりのホトケノザ
大手門石垣のスミレと?
桜馬場あたりのヤブツバキ
二の丸のブンゴウメ
中川覚左衛門屋敷跡のモクレン あれ?コブシだったかも。
滑瀬坂上のスミレ
……御廟所辺りは、9月初めの台風で桜や梅が何本も強風に倒された。
去年の2月19日に撮っていた梅の木。
この写真の奥にも白く見えている。
9月にはこの木も倒れていた。
倒れたままになって、今年の1月15日。
倒木に近づいてみると、
「あ、蕾!」
2月1日。
2月10日。
根っことかこんな状態だけど、
蕾にエネルギーがどんどん貯まっていく。
2月17日、激しい吹雪の後。一輪だけ花が見えた。
2月20日。
そして、2月24日。
感動がうまく言葉にならないけれど……春の「生命力」に感動している。
倒木の周りをウロウロしながら何枚も何枚も撮ったけれど、
思うような感動が伝えられない。
……この木を残してくださったことに感謝した。
猫の日……なのか、今日は。 [猫]
竹田の城下を歩こう③墓石の短歌 [街歩き]
2月17日、吹雪の後の西の丸です。
強い風が吹いています。
雪雲が騎牟礼城の背後に近づいて、おかげで古城がくっきり。
話題を円の中、唐橋君山先生のお墓がある竹林に戻しましょう。
墓碑銘が写真に上手く撮れていない、
記事にしようとしたら写真の構図が悪い……とか何とかで、
この記事をアップするまでに4回も通った私たちです。
最初は「え?ここ?」というような竹藪をくぐって行ったのですが、
きちんとした道もあって、そこは散策にはもってこいの道なのです。
佐藤義美記念館そばの駐車場から大正公園に登る道を使います。
川沿いの階段を登れば、まあ、よい眺め。竹田駅がよく見えます。
愛染堂の裏道を通って、立派なお墓のある区画を通れば
唐橋君山先生のお墓が見えました。
夫が取り憑かれたのは、君山先生の顕彰碑の奥の「一対」の墓石です。
普通のお墓と自然石のお墓が同じ囲みの中にあります。
囲みの中には「八雲會員」と銘がうたれた灯籠があります。
もう誰もお参りする人は居ないのでしょうか。
雑木が生え、葛が絡まり、苔が生え……。
普通の墓石の方は明治44年9月に亡くなっています。
お名前と没年月日のみ刻まれています。戒名はありません。
隣のお墓の方は、大正2年11月に亡くなられているのですが、
お名前は無く、「一睡老人墓」と書かれているだけ。
そして、歌が一首。
夫はこの三十一文字がどうしても気になるようです。
解読が始まりました。
変体仮名がその場ではわからないので、写真に撮って帰って調べ始めました。
夫の机の上には、「くずし字用例辞典」「くずし字解読辞典」……。
幸いきれいな仮名文字なので、歌は解読できました。
「左をし可能ふむ音多えしや萬可希農 に者能落葉にあら禮婦類也 〇〇」
↓
「さをしかのふむ音たえしやまかげの にはの落葉にあられふるなり 〇〇」
三十一文字は解読できました。ただ、そのそばに書かれた〇〇が読めないのです。
「子」と「菲」なのかなあ?
これは、名前なのでしょうか。それとも?……わかりません。
この墓石をめぐって
二人でいろんなことを想像しています。
ふたつの墓石の人の関係は?
歌の作者はどういう人なの?
灯籠の「八雲会」とは?
「小牡(男)鹿のふむ音が絶える」という歌の意味するところは?
……などなど。
唐橋君山先生のお墓のすぐそばというのも興味深いですね。
かつては、竹田のお城や町を眺められたであろう場所に、
並んだ墓石があって、その一つには歌がしたためられている。
さりげなく、いつ朽ちてもよいように、でも何かの「想い」が残るように……。
そんな「想い」に囚われて、まだいろいろ調べています。
「知りたいこと・調べたいこと」に出会えるのも楽しい街歩きです。
竹田の街も奥が深い。
……さて、過去に遡る街歩きを楽しんでいる私たちですが、
街歩きで「未来」にも出会いました。
これについては、また今度。
ホントに竹田っておもしろいわ。
強い風が吹いています。
雪雲が騎牟礼城の背後に近づいて、おかげで古城がくっきり。
話題を円の中、唐橋君山先生のお墓がある竹林に戻しましょう。
墓碑銘が写真に上手く撮れていない、
記事にしようとしたら写真の構図が悪い……とか何とかで、
この記事をアップするまでに4回も通った私たちです。
最初は「え?ここ?」というような竹藪をくぐって行ったのですが、
きちんとした道もあって、そこは散策にはもってこいの道なのです。
佐藤義美記念館そばの駐車場から大正公園に登る道を使います。
川沿いの階段を登れば、まあ、よい眺め。竹田駅がよく見えます。
愛染堂の裏道を通って、立派なお墓のある区画を通れば
唐橋君山先生のお墓が見えました。
夫が取り憑かれたのは、君山先生の顕彰碑の奥の「一対」の墓石です。
普通のお墓と自然石のお墓が同じ囲みの中にあります。
囲みの中には「八雲會員」と銘がうたれた灯籠があります。
もう誰もお参りする人は居ないのでしょうか。
雑木が生え、葛が絡まり、苔が生え……。
普通の墓石の方は明治44年9月に亡くなっています。
お名前と没年月日のみ刻まれています。戒名はありません。
隣のお墓の方は、大正2年11月に亡くなられているのですが、
お名前は無く、「一睡老人墓」と書かれているだけ。
そして、歌が一首。
夫はこの三十一文字がどうしても気になるようです。
解読が始まりました。
変体仮名がその場ではわからないので、写真に撮って帰って調べ始めました。
夫の机の上には、「くずし字用例辞典」「くずし字解読辞典」……。
幸いきれいな仮名文字なので、歌は解読できました。
「左をし可能ふむ音多えしや萬可希農 に者能落葉にあら禮婦類也 〇〇」
↓
「さをしかのふむ音たえしやまかげの にはの落葉にあられふるなり 〇〇」
三十一文字は解読できました。ただ、そのそばに書かれた〇〇が読めないのです。
「子」と「菲」なのかなあ?
これは、名前なのでしょうか。それとも?……わかりません。
この墓石をめぐって
二人でいろんなことを想像しています。
ふたつの墓石の人の関係は?
歌の作者はどういう人なの?
灯籠の「八雲会」とは?
「小牡(男)鹿のふむ音が絶える」という歌の意味するところは?
……などなど。
唐橋君山先生のお墓のすぐそばというのも興味深いですね。
かつては、竹田のお城や町を眺められたであろう場所に、
並んだ墓石があって、その一つには歌がしたためられている。
さりげなく、いつ朽ちてもよいように、でも何かの「想い」が残るように……。
そんな「想い」に囚われて、まだいろいろ調べています。
「知りたいこと・調べたいこと」に出会えるのも楽しい街歩きです。
竹田の街も奥が深い。
……さて、過去に遡る街歩きを楽しんでいる私たちですが、
街歩きで「未来」にも出会いました。
これについては、また今度。
ホントに竹田っておもしろいわ。
二の丸で「吹雪」に遭遇 竹田市「岡城跡」㉒ [お城(跡)歩き]
岡城跡に通い始めてちょうど一年。
「雪景色を撮るチャンスがなかった、今年はもう無理かも。」なんて
先日の記事に書いたばかり。
ところが、昨日2月17日、岡城跡できわめつけの雪景色に遭遇しました。
(例のお墓のことは後回しにしますね。)
いつもの大手門入り口。
「風が強くて雪が舞っているけれど、一週間ぶりにきちんと歩きましょう。」
ちょうど一年前も小雪の舞う日でしたが、今日はふっと明るく陽がさすことも……。
いつもの岡城跡です。
歩けば、体もぽかぽかします。
昨日は、御廟所の梅を撮るつもりで、マクロレンズを装着していました。
整備の進む岡城跡です。
この辺りは、ちょっと前から遺構の調査中です。
排水をよくするための工事にあたって、
遺構をきちんと使うのだと教育委員会のお兄さんが教えてくださいました。
寒いのに、一つ一つ置き石の具合を書き記していらっしゃいました。
お兄さんと話しているうちにだんだん風が冷たくなってきて、
雪が舞い始めました。
そのとたん激しく雪が舞い始めて、あっという間にブリザード。
二の丸にいたのですが、
風に吹き倒されそうだし、周囲は真っ白で何も見えない。
とにかく冷たくて、指先が凍えてきました。
廉太郎さんも見えなくなってきた!
こりゃ、大変!と休憩所に逃げ込みました。
(休憩所のそばに居てよかった。)
この様子を動画でどうぞ。
ここの休憩所はきれいだし、トイレもあります。
自販機もあるから、温かい飲み物も確保できます。
事務所の人たちが心配しているかもね……なんて話しています。
「こんな寒い日は観光客もいなくて。がんばってウォーキングしてください。」
と励まされて登城してきたのでした。
お茶をご馳走してくださるお土産屋のおばちゃんも
今日はお店を閉めると言っていました。
おばちゃん、正解でしたね。
しばらくすると、手先の冷たさも消えてきました。
階段を使って建物の中から本丸に登ることができるので、そちらに行ってみます。
本丸へのドアを開けると、わあ、こんな本丸の風景、初めて見た!!!
下原門方向も見えない……。
雪があまり降らない地域なので、ちょっとわくわく。
写真を撮りまくっていたのですが、
すっと明るくなってきました。
雪雲は通り過ぎたようです。
あっさり雪は止みました。
そして、下原門の方向へのウォーキングは続くのでありました。
見たかった雪景色とはちょっと違うけれど、
まあよかったかな?
三寒四温とは言いますが、
今日も冷たい風が吹いて家から出られません。
皆様、ご自愛くださいませ。
「雪景色を撮るチャンスがなかった、今年はもう無理かも。」なんて
先日の記事に書いたばかり。
ところが、昨日2月17日、岡城跡できわめつけの雪景色に遭遇しました。
(例のお墓のことは後回しにしますね。)
いつもの大手門入り口。
「風が強くて雪が舞っているけれど、一週間ぶりにきちんと歩きましょう。」
ちょうど一年前も小雪の舞う日でしたが、今日はふっと明るく陽がさすことも……。
いつもの岡城跡です。
歩けば、体もぽかぽかします。
昨日は、御廟所の梅を撮るつもりで、マクロレンズを装着していました。
整備の進む岡城跡です。
この辺りは、ちょっと前から遺構の調査中です。
排水をよくするための工事にあたって、
遺構をきちんと使うのだと教育委員会のお兄さんが教えてくださいました。
寒いのに、一つ一つ置き石の具合を書き記していらっしゃいました。
お兄さんと話しているうちにだんだん風が冷たくなってきて、
雪が舞い始めました。
そのとたん激しく雪が舞い始めて、あっという間にブリザード。
二の丸にいたのですが、
風に吹き倒されそうだし、周囲は真っ白で何も見えない。
とにかく冷たくて、指先が凍えてきました。
廉太郎さんも見えなくなってきた!
こりゃ、大変!と休憩所に逃げ込みました。
(休憩所のそばに居てよかった。)
この様子を動画でどうぞ。
ここの休憩所はきれいだし、トイレもあります。
自販機もあるから、温かい飲み物も確保できます。
事務所の人たちが心配しているかもね……なんて話しています。
「こんな寒い日は観光客もいなくて。がんばってウォーキングしてください。」
と励まされて登城してきたのでした。
お茶をご馳走してくださるお土産屋のおばちゃんも
今日はお店を閉めると言っていました。
おばちゃん、正解でしたね。
しばらくすると、手先の冷たさも消えてきました。
階段を使って建物の中から本丸に登ることができるので、そちらに行ってみます。
本丸へのドアを開けると、わあ、こんな本丸の風景、初めて見た!!!
下原門方向も見えない……。
雪があまり降らない地域なので、ちょっとわくわく。
写真を撮りまくっていたのですが、
すっと明るくなってきました。
雪雲は通り過ぎたようです。
あっさり雪は止みました。
そして、下原門の方向へのウォーキングは続くのでありました。
見たかった雪景色とはちょっと違うけれど、
まあよかったかな?
三寒四温とは言いますが、
今日も冷たい風が吹いて家から出られません。
皆様、ご自愛くださいませ。
竹田の城下を歩こう② [街歩き]
竹田の城下で「歩く人」をやっております。
願成院愛染堂への石段を登っております。
竹田に観光に来られたら、この一帯を歩かれるとよいですね。
興味深いものがたくさんありますし、眺めもよいのですよ。
愛染堂に着きました。
竹田市で一番古い建物で、国の重要文化財にも指定されています。
「明治になってここにあった大勝院というお寺が廃寺になった。
岡城の願成院がここに移ってきて、旧大勝院の愛染堂を本堂とした。」
というようなことが案内板に書かれてありました。
愛宕山の願成院は、江戸時代の岡藩における密教の中心寺院でした。
ですから、大量の「密教仏画」のお宝を保管していたのだそうです。
岡城の願成院って、藪になる前は本当にすごいところだったんですねえ……。
https://chihaya2011.blog.ss-blog.jp/2021-02-03
「大分県埋蔵文化センター(大分市牧緑町)で、願成院のお宝を公開している」
と由学館の学芸員さんが教えてくださったので、
カワサキプラザに行った後、ついでに見てきたんですよ。
現在は曼荼羅を展示中でした。
これがまたすばらしい。
このお宝はもともと「今は藪」のあそこにあったのか……と
藪の探索をしたおかげで、感慨もひとしおなのでした。
歩くって大事。
今年初めておみくじ引きました。まずまず。
愛染堂の裏に回っていくと散策道があります。
「四国八十八カ所?」
ここだけ参拝すればよいのでしょうか?
愛染堂は裏から見る佇まいもよいですね。
散策道は、見晴らしの良い高台にある大正公園にも続いていますが、
私たちは円通閣の方に向かいます。
円通閣は何とも味わい深い構造になっています。
ちょっと唐風で、エキゾチック。
江戸時代の竹田の文人画聖、儒学者達が集った場所と思うと
なおさらそう感じるのかも知れません。
円通閣から丘の中腹を散策道が続き、
東に竹田の城下やお城を眺めながら歩いて行きます。
西からの竹田の城下。通ってきた瑞泉寺も見えます。
瑞泉寺の裏山と岡城の間には谷がふたつありますが、写真では近くに見えますね。
竹田の街を見下ろす山の中には墓地がたくさんあります。
おや、先ほどの円通閣に集った学者の一人、唐橋君山先生のお墓がありますね。
唐橋君山先生は、「豊後国史」の編纂者で
岡藩八代藩主に招かれ、岡藩の医学、教育等に貢献された方です。
岡藩の藩校「由学館」の教授として多くの人材を育てました。
南画家田能村竹田もその一人です。
知れば知るほど立派な人じゃないですか。そんな岡藩の恩人のお墓が……ここ?
田能村竹田先生の墓所は立派だったよ~。
また、藪?
竹藪を抜けると立派なお墓がありました。
このお墓は、小富士山にある八代藩主中川久貞公のお墓と同じ形です。
君山先生の功績と関係があるのかもしれません。
こちらのお墓に来るには散策道からではなくて、
大正公園への登り口から入った方がきちんとした道になっています。
でも、案内板の所からだと踏み込むのを躊躇します。
岡藩の恩人のお墓が竹林の中に埋もれてしまっているのはちょっと残念な気がしました。
実は、ここで夫が取り憑かれたんです。
唐橋君山先生のお墓ではなくて、その近くにあるお墓に……。
このお墓の写真がよく撮れてないじゃないかとのたもうて、
ここにあと二回も墓石を見にくることになったんです。
え~、何でそんなお墓にこだわるのかわかんない。
もう取り憑かれたとしか思えないんだけど。
この人の好奇心って、いったい……。 もう少し続けます。
願成院愛染堂への石段を登っております。
竹田に観光に来られたら、この一帯を歩かれるとよいですね。
興味深いものがたくさんありますし、眺めもよいのですよ。
愛染堂に着きました。
竹田市で一番古い建物で、国の重要文化財にも指定されています。
「明治になってここにあった大勝院というお寺が廃寺になった。
岡城の願成院がここに移ってきて、旧大勝院の愛染堂を本堂とした。」
というようなことが案内板に書かれてありました。
愛宕山の願成院は、江戸時代の岡藩における密教の中心寺院でした。
ですから、大量の「密教仏画」のお宝を保管していたのだそうです。
岡城の願成院って、藪になる前は本当にすごいところだったんですねえ……。
https://chihaya2011.blog.ss-blog.jp/2021-02-03
「大分県埋蔵文化センター(大分市牧緑町)で、願成院のお宝を公開している」
と由学館の学芸員さんが教えてくださったので、
カワサキプラザに行った後、ついでに見てきたんですよ。
現在は曼荼羅を展示中でした。
これがまたすばらしい。
このお宝はもともと「今は藪」のあそこにあったのか……と
藪の探索をしたおかげで、感慨もひとしおなのでした。
歩くって大事。
今年初めておみくじ引きました。まずまず。
愛染堂の裏に回っていくと散策道があります。
「四国八十八カ所?」
ここだけ参拝すればよいのでしょうか?
愛染堂は裏から見る佇まいもよいですね。
散策道は、見晴らしの良い高台にある大正公園にも続いていますが、
私たちは円通閣の方に向かいます。
円通閣は何とも味わい深い構造になっています。
ちょっと唐風で、エキゾチック。
江戸時代の竹田の文人画聖、儒学者達が集った場所と思うと
なおさらそう感じるのかも知れません。
円通閣から丘の中腹を散策道が続き、
東に竹田の城下やお城を眺めながら歩いて行きます。
西からの竹田の城下。通ってきた瑞泉寺も見えます。
瑞泉寺の裏山と岡城の間には谷がふたつありますが、写真では近くに見えますね。
竹田の街を見下ろす山の中には墓地がたくさんあります。
おや、先ほどの円通閣に集った学者の一人、唐橋君山先生のお墓がありますね。
唐橋君山先生は、「豊後国史」の編纂者で
岡藩八代藩主に招かれ、岡藩の医学、教育等に貢献された方です。
岡藩の藩校「由学館」の教授として多くの人材を育てました。
南画家田能村竹田もその一人です。
知れば知るほど立派な人じゃないですか。そんな岡藩の恩人のお墓が……ここ?
田能村竹田先生の墓所は立派だったよ~。
また、藪?
竹藪を抜けると立派なお墓がありました。
このお墓は、小富士山にある八代藩主中川久貞公のお墓と同じ形です。
君山先生の功績と関係があるのかもしれません。
こちらのお墓に来るには散策道からではなくて、
大正公園への登り口から入った方がきちんとした道になっています。
でも、案内板の所からだと踏み込むのを躊躇します。
岡藩の恩人のお墓が竹林の中に埋もれてしまっているのはちょっと残念な気がしました。
実は、ここで夫が取り憑かれたんです。
唐橋君山先生のお墓ではなくて、その近くにあるお墓に……。
このお墓の写真がよく撮れてないじゃないかとのたもうて、
ここにあと二回も墓石を見にくることになったんです。
え~、何でそんなお墓にこだわるのかわかんない。
もう取り憑かれたとしか思えないんだけど。
この人の好奇心って、いったい……。 もう少し続けます。
竹田の城下を歩こう① [街歩き]
昨夜はかなり揺れたそうですね。
東北地方の皆様にはご心配のことと拝察致します。
どうか無事に落ち着きますように。
1月の中頃の暖かい日、竹田の城下町を歩きました。
この日の目的は願成院(がんじょういん)。
岡城の愛宕山、願成院跡の藪をうろついたとき、
一応現在の願成院を知っておこうと思ったわけです。
それはどこかというと、何のことはない
竹田市の名所の一つ、「愛染堂」(あいぜんどう)なのでした。
正式名称が「願成院愛染堂」だったなんて~。
私は知らなかったわ。(夫は知っていたらしい。)
車で直接行かず、街の中をうろつきながら目的地へ行くことにします。
竹田の街は昔からお馴染みの街なのですが、
「歩く」ということが新しい発見をもたらします。
「へえ、知らなかったな。」と思うことのなんと多いことか。
「一歩踏み出し角を曲がれば…、見知らぬ世界が待っています。」 まさにこれ!
これはNHK「歩く人」(谷口ジロー原作)のコピーだけど、
私たちはこの一年近く、竹田の街で「歩く人」をやっているみたい……。
岡城跡下の近戸口の駐車場に車を止めると、
岡城の方へは登らず、稲葉川沿いに城下町の方へ向かいます。
おや、この前登った古城「騎牟礼城」がこんなところからも見えていますね。
(道路の奥)
通ったことのない坂道を登ります。
城下の東側の丘の中腹に来ました。
竹田向井町というあたりです。
古い石段がありました。登ってみます。
ここは瑞泉寺。
今は廃寺なのでしょうか?
好いお顔の仏様がたくさんいらっしゃいました。
城下を東から眺めるには良い場所です。
荒れたままにしておくのはもったいない気がするのですが……。
お城から西に1㎞ほど離れた城下町は
中川氏によって碁盤の目のように整備されました。
小さな盆地は、周囲の丘のどこから眺めても趣があります。
目的地はNTTの塔のすぐ左に見えています。
あの塔は目印にはもってこいですね。
どこからでも見えますから。
では、城下に下りて願成院まで歩きましょう。たいした距離ではありません。
竹田市の市立図書館です。私が高校生の頃は、ここにはなかったですね。
2017年に開館。ここに来て調べたいことがたくさんあります。
この辺りは、私の通学路でした。
ここからの風景は変わらないな~。
高校時代のことを思い出します。
当時、列車の時間があったので、竹田の街で遊ぶなんてことはありませんでした。
学校から駅への道を往復するだけの高校時代でした。
寄り道は途中の本屋くらいでしたが、その本屋ももうありません。
あら、姫だるま。これも竹田の風景。
この道筋は、昔はもっと生活感あふれる街並みでしたが、
今は観光地らしく整えられていますね。
ずいぶん近づきました。
願成院愛染堂の下には広場があります。
この辺りは見所の多いところです。
「子育観音」がいらっしゃいます。
この像の作者渡辺長男は、岡城跡の滝廉太郎像の作者朝倉文夫の兄です。
この兄弟についてはまたいずれ。
おや、この辺りは「八幡山」と言われていましたか。
京都の「八幡山」はよく知っていますよ(^O^)v
ここのことは、知らなかったなあ。
石段を登りましょう。
石段の右上は観音寺。そして十六羅漢さん。
NTTの塔とのコラボが面白い。
「塔が無粋だ」という人も居るようですが、
「東京タワー&増上寺と同じだ。」と思えば、これはこれで……。
石段のすぐ上が目的地なんですが、
「歩く人」をやっていたら、写真が多すぎて……このシリーズ、続きます。
東北地方の皆様にはご心配のことと拝察致します。
どうか無事に落ち着きますように。
1月の中頃の暖かい日、竹田の城下町を歩きました。
この日の目的は願成院(がんじょういん)。
岡城の愛宕山、願成院跡の藪をうろついたとき、
一応現在の願成院を知っておこうと思ったわけです。
それはどこかというと、何のことはない
竹田市の名所の一つ、「愛染堂」(あいぜんどう)なのでした。
正式名称が「願成院愛染堂」だったなんて~。
私は知らなかったわ。(夫は知っていたらしい。)
車で直接行かず、街の中をうろつきながら目的地へ行くことにします。
竹田の街は昔からお馴染みの街なのですが、
「歩く」ということが新しい発見をもたらします。
「へえ、知らなかったな。」と思うことのなんと多いことか。
「一歩踏み出し角を曲がれば…、見知らぬ世界が待っています。」 まさにこれ!
これはNHK「歩く人」(谷口ジロー原作)のコピーだけど、
私たちはこの一年近く、竹田の街で「歩く人」をやっているみたい……。
岡城跡下の近戸口の駐車場に車を止めると、
岡城の方へは登らず、稲葉川沿いに城下町の方へ向かいます。
おや、この前登った古城「騎牟礼城」がこんなところからも見えていますね。
(道路の奥)
通ったことのない坂道を登ります。
城下の東側の丘の中腹に来ました。
竹田向井町というあたりです。
古い石段がありました。登ってみます。
ここは瑞泉寺。
今は廃寺なのでしょうか?
好いお顔の仏様がたくさんいらっしゃいました。
城下を東から眺めるには良い場所です。
荒れたままにしておくのはもったいない気がするのですが……。
お城から西に1㎞ほど離れた城下町は
中川氏によって碁盤の目のように整備されました。
小さな盆地は、周囲の丘のどこから眺めても趣があります。
目的地はNTTの塔のすぐ左に見えています。
あの塔は目印にはもってこいですね。
どこからでも見えますから。
では、城下に下りて願成院まで歩きましょう。たいした距離ではありません。
竹田市の市立図書館です。私が高校生の頃は、ここにはなかったですね。
2017年に開館。ここに来て調べたいことがたくさんあります。
この辺りは、私の通学路でした。
ここからの風景は変わらないな~。
高校時代のことを思い出します。
当時、列車の時間があったので、竹田の街で遊ぶなんてことはありませんでした。
学校から駅への道を往復するだけの高校時代でした。
寄り道は途中の本屋くらいでしたが、その本屋ももうありません。
あら、姫だるま。これも竹田の風景。
この道筋は、昔はもっと生活感あふれる街並みでしたが、
今は観光地らしく整えられていますね。
ずいぶん近づきました。
願成院愛染堂の下には広場があります。
この辺りは見所の多いところです。
「子育観音」がいらっしゃいます。
この像の作者渡辺長男は、岡城跡の滝廉太郎像の作者朝倉文夫の兄です。
この兄弟についてはまたいずれ。
おや、この辺りは「八幡山」と言われていましたか。
京都の「八幡山」はよく知っていますよ(^O^)v
ここのことは、知らなかったなあ。
石段を登りましょう。
石段の右上は観音寺。そして十六羅漢さん。
NTTの塔とのコラボが面白い。
「塔が無粋だ」という人も居るようですが、
「東京タワー&増上寺と同じだ。」と思えば、これはこれで……。
石段のすぐ上が目的地なんですが、
「歩く人」をやっていたら、写真が多すぎて……このシリーズ、続きます。
バードウォッチング岡城跡 [鳥]
ダイエットの岡城歩きも一年になります。
四季折々の写真を撮って楽しんでいますが、あとは「雪景色」を残すのみ。
年末寒波の時は少し降ったみたいだけれど、
雪景色を撮るチャンスは得られないまま。もう無理かも。
さて、岡城歩きをしていると
撮影や歴史探訪だけでなく他の楽しみも出てきます。
バードウォッチングもその一つ。
「今日はどんな鳥に出会えるかな~。」なんて。
夫は双眼鏡を持って歩いているんですよ。
冬は渡ってくる鳥に会えて楽しいですね。
私はいつも適当に撮影。
今日の写真はブレブレだけど、どこにどんな鳥が居たかを忘れないために……。
観光客が多い大手門から本丸への道筋では
あまり鳥は見られません。
人がいないときにツグミがトコトコ歩いています。
スズメも意外と少ないです。
廉太郎さんがいる二の丸ではシジュウカラに会えます。
本丸の石垣下を通って東中仕切の方に行きます。
おやスズメ?
何だか違うみたいです。
この辺を縄張りにしているシロハラをいつも見かけます。うちの畑にもいますよ。
人が少ない御廟所の辺りでは、たくさんの鳥を見ることができます。
アトリの群れがいました。
アトリの仲間にはいろんな種類がいるようですね。
クチバシが大きくて「ブサカワイイ」という話。
これはイカル?
写真はないけれど、シメもいましたよ。
アトリの群れを見た後、エナガ好きの夫が
「エナガにも会いたいな~。」
そうしたら、本当に本当にエナガが現れたんです。
夫のために大きくしてみました。
ヤマガラも居ます。
ジョウビタキのメスが縄張りにしています。
どこのジョウビタキもよく写真を撮らせてくれますね。紋付き、バッチリ。
この辺りは観光客が少ないので、
「大きくてはっきりした写真」を撮るために、
三脚を置いて、暖かい日にじっくり構えて撮ってみようと話しています。
御廟所あたりの下の道で
あまり動かないカラスを見かけたことがありました。
ケガをしているような雰囲気で、そばによっても逃げないのでした。
その辺の枯れ葉をかき分けてやって、ミミズでも捕りなさいと言って別れました。
そのカラスかなあ?
つい最近、御廟所の前で会ったカラスは逃げません。
桜の木からこちらの様子を窺ったり、ポーズをとったり?
夫と一緒に記念撮影をしたら、飛んでいきました。
私たちはいつも下原門から東に下りますが、
そこではソウシチョウの群れを見かけました。
声と色はやはり目立ちますね。
けっこう見かけます。
輸入された鳥で、日本の野鳥の生態を崩しかねない鳥なんだそうです。
岡城北側の稲葉川沿い、中川家の墓所「おたまや公園」では
サギがのんびりしています。
下の写真、「望遠を持ってくればよかった~!」と嘆いた一枚。
わかります?カワセミが居たんです。真ん中の青いシミ。
おたまや公園もカメラを据えて撮影するとよいかもしれません。
ここではお馴染みのツグミやメジロなどものんびりしています。
そして、これは? 稲葉川でシンクロナイズドスイミングを見て
近戸門から登城して中川民部屋敷跡辺り。
ここでは、いつもアトリの仲間が石垣や大きな木にわらわらと留まっています。
望遠は抱えて歩くには重すぎるので、
鳥撮りのときは、それが目的で行かなくては。
……望遠も要らず、向こうもしっかりポーズをとってくれるのは
やはりわが家のジョウビタキ君なのでした。
マクロで花を撮っていたら、すぐそばに来てモデル顔。
カワイイので、庭の枯れ葉を掃き寄せて虫が捕れるようにしてやりました。
四季折々の写真を撮って楽しんでいますが、あとは「雪景色」を残すのみ。
年末寒波の時は少し降ったみたいだけれど、
雪景色を撮るチャンスは得られないまま。もう無理かも。
さて、岡城歩きをしていると
撮影や歴史探訪だけでなく他の楽しみも出てきます。
バードウォッチングもその一つ。
「今日はどんな鳥に出会えるかな~。」なんて。
夫は双眼鏡を持って歩いているんですよ。
冬は渡ってくる鳥に会えて楽しいですね。
私はいつも適当に撮影。
今日の写真はブレブレだけど、どこにどんな鳥が居たかを忘れないために……。
観光客が多い大手門から本丸への道筋では
あまり鳥は見られません。
人がいないときにツグミがトコトコ歩いています。
スズメも意外と少ないです。
廉太郎さんがいる二の丸ではシジュウカラに会えます。
本丸の石垣下を通って東中仕切の方に行きます。
おやスズメ?
何だか違うみたいです。
この辺を縄張りにしているシロハラをいつも見かけます。うちの畑にもいますよ。
人が少ない御廟所の辺りでは、たくさんの鳥を見ることができます。
アトリの群れがいました。
アトリの仲間にはいろんな種類がいるようですね。
クチバシが大きくて「ブサカワイイ」という話。
これはイカル?
写真はないけれど、シメもいましたよ。
アトリの群れを見た後、エナガ好きの夫が
「エナガにも会いたいな~。」
そうしたら、本当に本当にエナガが現れたんです。
夫のために大きくしてみました。
ヤマガラも居ます。
ジョウビタキのメスが縄張りにしています。
どこのジョウビタキもよく写真を撮らせてくれますね。紋付き、バッチリ。
この辺りは観光客が少ないので、
「大きくてはっきりした写真」を撮るために、
三脚を置いて、暖かい日にじっくり構えて撮ってみようと話しています。
御廟所あたりの下の道で
あまり動かないカラスを見かけたことがありました。
ケガをしているような雰囲気で、そばによっても逃げないのでした。
その辺の枯れ葉をかき分けてやって、ミミズでも捕りなさいと言って別れました。
そのカラスかなあ?
つい最近、御廟所の前で会ったカラスは逃げません。
桜の木からこちらの様子を窺ったり、ポーズをとったり?
夫と一緒に記念撮影をしたら、飛んでいきました。
私たちはいつも下原門から東に下りますが、
そこではソウシチョウの群れを見かけました。
声と色はやはり目立ちますね。
けっこう見かけます。
輸入された鳥で、日本の野鳥の生態を崩しかねない鳥なんだそうです。
岡城北側の稲葉川沿い、中川家の墓所「おたまや公園」では
サギがのんびりしています。
下の写真、「望遠を持ってくればよかった~!」と嘆いた一枚。
わかります?カワセミが居たんです。真ん中の青いシミ。
おたまや公園もカメラを据えて撮影するとよいかもしれません。
ここではお馴染みのツグミやメジロなどものんびりしています。
そして、これは? 稲葉川でシンクロナイズドスイミングを見て
近戸門から登城して中川民部屋敷跡辺り。
ここでは、いつもアトリの仲間が石垣や大きな木にわらわらと留まっています。
望遠は抱えて歩くには重すぎるので、
鳥撮りのときは、それが目的で行かなくては。
……望遠も要らず、向こうもしっかりポーズをとってくれるのは
やはりわが家のジョウビタキ君なのでした。
マクロで花を撮っていたら、すぐそばに来てモデル顔。
カワイイので、庭の枯れ葉を掃き寄せて虫が捕れるようにしてやりました。
ちはやパパの「Z2」な毎日㉖ 名義変更? [オートバイ]
11月の終わりにこのシリーズの記事を書いてから二か月。
この間は、ガレージが寒すぎるので作業は全く進んでいません。
しかたないですね~。
まあ、寒さとコロナの収束が何とかなれば
助っ人をお呼びして本格的に動かす手立てを整えて……。
ところが、大事な「書類上」の問題が発覚していたのです。
「所有者の名義変更をしようとしたら、会社が存在しない。」
ちょっと待て、何でそんな問題が今さら起こる?
買ってから46年経ったバイクの所有者の問題だよ?
所有者って、あなたじゃなかったの?
夫の説明を聞いてみましょう。
(夫が娘のバイク乗りのつれあいとLINEでやりとりした内容をまとめました。)
夫は46年前Z2を買ったとき、バイク屋さんに
「車検証は所有者がカワサキ九州販売、使用者が私になっていますが、これでよいのですか?」
と聞きました。
バイク屋さんは、
「売るときに手続きが簡単だから、それでいいですよ。」
貧乏学生の購入ゆえに、何か事情があったのかもしれませんが、
詳しくは覚えてない様子。
バイク屋さんも、まさか45年以上もそのままになるとは想定していなかったのでしょう。
夫も乗り回している間は念頭になかったようで。
そして、今になって夫は車検証を見ながら考えたわけです。
「あとのことを考えると、やはり名義変更はしておかないとな……。」
で、46年も経って調べたわけですよ。動きそうだしね。
そうしたら、「カワサキ九州販売株式会社」という会社はとっくの昔になくなっている!
さすがに焦ったみたいで、いろいろ調べまくって
「どうしようもなかったら最終的には時効取得を理由に所有権存在確認訴訟でもやるしかないかなあ。」
と思ったそうです。
そこで、カワサキのお客様相談室に電話しました。
お返事は、
「カワサキプラザにご相談ください。」
去年Z900RSを買ったところですね。
ところが、こんな問題、カワサキプラザだってどうしていいかわからない。
でも、親切に対応してくださって、いろいろ調べてくださって、
なんと、この間一か月半。
とうとうカワサキ本体が譲渡証を発行するというかたちをとってくださったんです。
1月31日に車検証の写しを持って行き、
2月5日にいろんな譲渡書類をもらってきたんです。
夫は菓子折を持参し、お礼を言っておりました。
私もZ900RSの近況報告などし、お礼を申し上げました。
「本当に面倒くさい手続きをありがとうございました。」
あとはこの書類を陸運に持っていき、名義変更です。
キャブ調整も終わり、エンジンも復活、
あとはスプロケットカバーのボルトの折れ込みが解決すれば、
クラッチケーブルを取り付けて動くようにして、
車検をとって動かしながら調整……ということになるようです。
……なにやら電話でいろいろやりとりしていたのを聞いていただけで、
こんな大事になっているとは全く知らなかったちはやママであります。
私の感想。
「Z900RSを買っておいて良かったね。」
「バイク乗りバイク好きの娘婿で良かったね。」(記事を書くのに助かったわ。)
書類面も無事に何とかなりそうで春を迎えられそうなガレージ。
あと一つ、大きな宿題の解決がどうなるか、今後に請うご期待!
この間は、ガレージが寒すぎるので作業は全く進んでいません。
しかたないですね~。
まあ、寒さとコロナの収束が何とかなれば
助っ人をお呼びして本格的に動かす手立てを整えて……。
ところが、大事な「書類上」の問題が発覚していたのです。
「所有者の名義変更をしようとしたら、会社が存在しない。」
ちょっと待て、何でそんな問題が今さら起こる?
買ってから46年経ったバイクの所有者の問題だよ?
所有者って、あなたじゃなかったの?
夫の説明を聞いてみましょう。
(夫が娘のバイク乗りのつれあいとLINEでやりとりした内容をまとめました。)
夫は46年前Z2を買ったとき、バイク屋さんに
「車検証は所有者がカワサキ九州販売、使用者が私になっていますが、これでよいのですか?」
と聞きました。
バイク屋さんは、
「売るときに手続きが簡単だから、それでいいですよ。」
貧乏学生の購入ゆえに、何か事情があったのかもしれませんが、
詳しくは覚えてない様子。
バイク屋さんも、まさか45年以上もそのままになるとは想定していなかったのでしょう。
夫も乗り回している間は念頭になかったようで。
そして、今になって夫は車検証を見ながら考えたわけです。
「あとのことを考えると、やはり名義変更はしておかないとな……。」
で、46年も経って調べたわけですよ。動きそうだしね。
そうしたら、「カワサキ九州販売株式会社」という会社はとっくの昔になくなっている!
さすがに焦ったみたいで、いろいろ調べまくって
「どうしようもなかったら最終的には時効取得を理由に所有権存在確認訴訟でもやるしかないかなあ。」
と思ったそうです。
そこで、カワサキのお客様相談室に電話しました。
お返事は、
「カワサキプラザにご相談ください。」
去年Z900RSを買ったところですね。
ところが、こんな問題、カワサキプラザだってどうしていいかわからない。
でも、親切に対応してくださって、いろいろ調べてくださって、
なんと、この間一か月半。
とうとうカワサキ本体が譲渡証を発行するというかたちをとってくださったんです。
1月31日に車検証の写しを持って行き、
2月5日にいろんな譲渡書類をもらってきたんです。
夫は菓子折を持参し、お礼を言っておりました。
私もZ900RSの近況報告などし、お礼を申し上げました。
「本当に面倒くさい手続きをありがとうございました。」
あとはこの書類を陸運に持っていき、名義変更です。
キャブ調整も終わり、エンジンも復活、
あとはスプロケットカバーのボルトの折れ込みが解決すれば、
クラッチケーブルを取り付けて動くようにして、
車検をとって動かしながら調整……ということになるようです。
……なにやら電話でいろいろやりとりしていたのを聞いていただけで、
こんな大事になっているとは全く知らなかったちはやママであります。
私の感想。
「Z900RSを買っておいて良かったね。」
「バイク乗りバイク好きの娘婿で良かったね。」(記事を書くのに助かったわ。)
書類面も無事に何とかなりそうで春を迎えられそうなガレージ。
あと一つ、大きな宿題の解決がどうなるか、今後に請うご期待!
「線彫磨崖仏」に会いたくて 竹田市「岡城跡」㉑ [お城(跡)歩き]
この頃寒暖の差が激しすぎて、
ちょっとでも寒いと動くのがおっくうになります。
しかし、引っ張り出されております。
1月16日は岡城の北にある愛宕山、願成院跡の探索。
前回の続きです。
近戸門への七曲がりの途中にある入り口から
驚きの立派な道を通って(黄色の←)、藪をくぐり抜け、愛宕山の端っこまで行きました。
ここは例のアブナイ旧道を下りてきたとき(赤の☆印)、こんなふうに見えます。
水色↓の辺りが見えています。
川沿いの道から。(ピンクの☆印)
反対に愛宕山から下を眺めると……。
高流寺やいつも歩く道が見えています。
神仏習合の聖地にふさわしい遺構がかなり見られました。
……(学術調査みたい?いえいえ、単なる好奇心。)
帰りに事務所に立ち寄って愛宕山を歩いてきた話をしたら、
「線彫磨崖仏を見ましたか?」と聞かれ、「まだです。」と答えると、
行き方を教えてくれたのでした。
そこで、1月25日。
「線彫磨崖仏」に会いに行ったのでした。
案内板には
「5分ほど進むと右下に道が分かれる」
「右に坂道を下ったところの左上岩壁にある」
ところが、右下の道への入り口がわからない……。
ここかな?と入ってみて、
またまた転びました。転びながらシャッター切ってたんですね。
磨崖仏がありそうな岩壁はありません。
あきらめて帰ってきました。
事務所の方に「見つからなかったです。」と話すと、
さらに詳しく行き方を教えてくださいました。
訪れる人もなく笹に覆われている道なので、
案内板とは違ったアクセスをするようアドバイスをくださいました。
この日の収穫?
再挑戦は、1月27日。
年間パスを見せに事務所に行くと、この日は別の方がいて、
「磨崖仏が見つからなかったって?道もわかりにくいし、磨崖仏自体も消えかかっているからなあ。」
……(事務所の中で、私たちの情報はどんな風に伝えられているんだろう?)
夫が「もう一度行ってみます。」と言うと、
「気を付けてね!」
「はあい。」
……(困った人たちだなんて思われてないかな。迷惑を掛けないようにしますね。)
本丸辺りからみた愛宕山。
近戸門で作業している方にあいさつをし、
再び藪の道をたどり、愛宕山の先まで行き、
笹に覆われた場所から古い石垣の裾を廻り
杉山の斜面を滑落しないように進みます。
もう意地というか何というか……。
先に行った夫の声が杉林に響きます。
「あったよ!」
ええ~、こんなところに?
いらっしゃいました!
確かに線彫り。でも、全体像はもうわからないくらいに苔むしています。
朝日が当たると浮かび上がるらしいのですが、さて。
下の写真の夫の指先のあたりでした。
で、藪を通り抜け、こんな場所を這うようにして帰ってきました。
……(家に帰ったら、即、お風呂に入らなくちゃ。)
磨崖仏は苔やシダを剥がないとわからないのですが、
たどりついたという達成感は味わえました。
……(5分じゃ行き着かないです。案内板、文面を変えた方が……。)
帰り道で休憩。
事務所の方に報告をすると、えらい感心してくださいました。
……(今後、ご心配をおかけするような動きは慎みますね。私ももっと気楽にウォーキングしたい。)
その次に行ったとき(1月29日)は、
アドバイスをしてくださった方がいて、
「(たどりついて)おめでとう!」
「今日も頑張って、ウォーキングしてください!」
私たち、岡城ではかなり「変わり者」で通っているのでは?
「要注意人物」指定されないよう、行動には気を付けたいと思います。
ちょっとでも寒いと動くのがおっくうになります。
しかし、引っ張り出されております。
1月16日は岡城の北にある愛宕山、願成院跡の探索。
前回の続きです。
近戸門への七曲がりの途中にある入り口から
驚きの立派な道を通って(黄色の←)、藪をくぐり抜け、愛宕山の端っこまで行きました。
ここは例のアブナイ旧道を下りてきたとき(赤の☆印)、こんなふうに見えます。
水色↓の辺りが見えています。
川沿いの道から。(ピンクの☆印)
反対に愛宕山から下を眺めると……。
高流寺やいつも歩く道が見えています。
神仏習合の聖地にふさわしい遺構がかなり見られました。
……(学術調査みたい?いえいえ、単なる好奇心。)
帰りに事務所に立ち寄って愛宕山を歩いてきた話をしたら、
「線彫磨崖仏を見ましたか?」と聞かれ、「まだです。」と答えると、
行き方を教えてくれたのでした。
そこで、1月25日。
「線彫磨崖仏」に会いに行ったのでした。
案内板には
「5分ほど進むと右下に道が分かれる」
「右に坂道を下ったところの左上岩壁にある」
ところが、右下の道への入り口がわからない……。
ここかな?と入ってみて、
またまた転びました。転びながらシャッター切ってたんですね。
磨崖仏がありそうな岩壁はありません。
あきらめて帰ってきました。
事務所の方に「見つからなかったです。」と話すと、
さらに詳しく行き方を教えてくださいました。
訪れる人もなく笹に覆われている道なので、
案内板とは違ったアクセスをするようアドバイスをくださいました。
この日の収穫?
再挑戦は、1月27日。
年間パスを見せに事務所に行くと、この日は別の方がいて、
「磨崖仏が見つからなかったって?道もわかりにくいし、磨崖仏自体も消えかかっているからなあ。」
……(事務所の中で、私たちの情報はどんな風に伝えられているんだろう?)
夫が「もう一度行ってみます。」と言うと、
「気を付けてね!」
「はあい。」
……(困った人たちだなんて思われてないかな。迷惑を掛けないようにしますね。)
本丸辺りからみた愛宕山。
近戸門で作業している方にあいさつをし、
再び藪の道をたどり、愛宕山の先まで行き、
笹に覆われた場所から古い石垣の裾を廻り
杉山の斜面を滑落しないように進みます。
もう意地というか何というか……。
先に行った夫の声が杉林に響きます。
「あったよ!」
ええ~、こんなところに?
いらっしゃいました!
確かに線彫り。でも、全体像はもうわからないくらいに苔むしています。
朝日が当たると浮かび上がるらしいのですが、さて。
下の写真の夫の指先のあたりでした。
で、藪を通り抜け、こんな場所を這うようにして帰ってきました。
……(家に帰ったら、即、お風呂に入らなくちゃ。)
磨崖仏は苔やシダを剥がないとわからないのですが、
たどりついたという達成感は味わえました。
……(5分じゃ行き着かないです。案内板、文面を変えた方が……。)
帰り道で休憩。
事務所の方に報告をすると、えらい感心してくださいました。
……(今後、ご心配をおかけするような動きは慎みますね。私ももっと気楽にウォーキングしたい。)
その次に行ったとき(1月29日)は、
アドバイスをしてくださった方がいて、
「(たどりついて)おめでとう!」
「今日も頑張って、ウォーキングしてください!」
私たち、岡城ではかなり「変わり者」で通っているのでは?
「要注意人物」指定されないよう、行動には気を付けたいと思います。