県境の「荻岳」へ [山歩き]
双眼鏡で阿蘇山を見ていますね。
噴火が気になる?
いえいえ、これは10月8日。噴火の前です。
(噴火のニュースは20日でした。)
ここは、荻岳(おぎだけ)。
「ちょっと眺めのよいところに行こう。」という話になって、
車でやってきました。家から40分ちょっと。
岡城跡から見ると阿蘇山と重なって見える、この山です。
阿蘇山の一部に見えますね。
冬の写真がわかりやすいかも。
でも、阿蘇と荻岳はけっこう離れているんですよ。
ずっと東の御嶽から見たら、ここ。左奥が阿蘇。
久住山の麓から見ると、ここ。右の方が阿蘇五岳の根子岳です。
「荻岳にわらび取り。」
うちのお母ちゃんはその季節になると、よく話題にしていました。
お母ちゃんが車の運転をして、親戚とも行ってたみたいです。
そんな馴染みの山なのですが、私は行ったことがありませんでした。
夫は子どもの頃にわらび摘みに行ったことがあるそうです。
国道57号を熊本方面に向かって走ると、案内板があって、
それに従って山の上まで車で行くことができます。
ほら、もう山頂が見えてきましたよ。
駐車場は、二つのピークの間にあって、
私たちはまず、西側のピークに登ります。
まあ、なんて美しい場所なのでしょう!
阿蘇やくじゅう連山、祖母や傾山が一望。
東側のピークに行きましょう。
岡藩を西から眺めることができるのですね!
さっき登った所です。阿蘇が近いなあ。
岡城跡からいつも眺めている山です。
写真ではわかりにくいけれど、
岡城跡の西の丸が見えています。
こんなステキな所だったなんて!
すすきの野原もすばらしい。
ああ、もう少し写真の腕前がよかったらなあ!
写真を撮りながらウロウロしていると、
夫が「あれ~?」
「なんで熊本県知事さんの石碑があるの?」
「ここ、熊本県なの?」
私も「え~?荻岳って熊本県だったの?」
「この紋どころは~細川?」
はい、熊本県でした。
細川藩の見張り場所でしたか~!
大分県 竹田市の中に荻町というところがあって、
荻岳は荻町に在る山だとずっとずっと思っていました。
豊肥線の滝水駅に立ち寄ったときの写真です。
豊後荻という駅がありますよね。大分県です。
だから、荻岳も大分県にあると信じて疑いもしませんでした。
お母ちゃん達が蕨摘みに行く身近な山でもあるし……。
なんてこと!
まあ、大分でも熊本でもいいです。
眺めはとにかくすばらしいです。
また行こうと思います。
あ、荻岳からの眺望を動画にしていたのがあったんだ。
どうぞ~♪
噴火が気になる?
いえいえ、これは10月8日。噴火の前です。
(噴火のニュースは20日でした。)
ここは、荻岳(おぎだけ)。
「ちょっと眺めのよいところに行こう。」という話になって、
車でやってきました。家から40分ちょっと。
岡城跡から見ると阿蘇山と重なって見える、この山です。
阿蘇山の一部に見えますね。
冬の写真がわかりやすいかも。
でも、阿蘇と荻岳はけっこう離れているんですよ。
ずっと東の御嶽から見たら、ここ。左奥が阿蘇。
久住山の麓から見ると、ここ。右の方が阿蘇五岳の根子岳です。
「荻岳にわらび取り。」
うちのお母ちゃんはその季節になると、よく話題にしていました。
お母ちゃんが車の運転をして、親戚とも行ってたみたいです。
そんな馴染みの山なのですが、私は行ったことがありませんでした。
夫は子どもの頃にわらび摘みに行ったことがあるそうです。
国道57号を熊本方面に向かって走ると、案内板があって、
それに従って山の上まで車で行くことができます。
ほら、もう山頂が見えてきましたよ。
駐車場は、二つのピークの間にあって、
私たちはまず、西側のピークに登ります。
まあ、なんて美しい場所なのでしょう!
阿蘇やくじゅう連山、祖母や傾山が一望。
東側のピークに行きましょう。
岡藩を西から眺めることができるのですね!
さっき登った所です。阿蘇が近いなあ。
岡城跡からいつも眺めている山です。
写真ではわかりにくいけれど、
岡城跡の西の丸が見えています。
こんなステキな所だったなんて!
すすきの野原もすばらしい。
ああ、もう少し写真の腕前がよかったらなあ!
写真を撮りながらウロウロしていると、
夫が「あれ~?」
「なんで熊本県知事さんの石碑があるの?」
「ここ、熊本県なの?」
私も「え~?荻岳って熊本県だったの?」
「この紋どころは~細川?」
はい、熊本県でした。
細川藩の見張り場所でしたか~!
大分県 竹田市の中に荻町というところがあって、
荻岳は荻町に在る山だとずっとずっと思っていました。
豊肥線の滝水駅に立ち寄ったときの写真です。
豊後荻という駅がありますよね。大分県です。
だから、荻岳も大分県にあると信じて疑いもしませんでした。
お母ちゃん達が蕨摘みに行く身近な山でもあるし……。
なんてこと!
まあ、大分でも熊本でもいいです。
眺めはとにかくすばらしいです。
また行こうと思います。
あ、荻岳からの眺望を動画にしていたのがあったんだ。
どうぞ~♪
2021-10-30 16:54
コメント(2)
迷子にならない山歩きコース 神角寺山系「秀峰」 [山歩き]
何かのニュースで、山での遭難のことを取り上げていました。
「高い山より低い山の方が迷子になりやすい。」という主旨。
気軽に入って遭難するので、ネットでも多方面から注意が喚起されています。
低い山が遭難しやすい理由はいくつかあるのですが、
「わかる、わかる」と納得させられたのが、
「低い山の尾根筋には、昔から何かしら道があるんですね。」
というベテラン山岳ガイドの言葉でした。
そこに迷い込んで山から出られなくなるケースもあるというのです。
そうです。尾根筋には古い道があるんです。
使われなくなった道は途中で消えていますからねえ……。
この一年、歩き回って実感しております。
私たちは迷子になるような場所は歩いていませんが、
事故には気を付けて、人様の迷惑にはならないようにしたいです。
(海でも言えることなんですが……。)
さて、下の写真をごらんください。
大分県豊後大野市の北側の山並みです。山の向こうは由布市、大分市。
由布岳が見えていますね。
昨年の春に登った御嶽からの写真です。
「神角寺山系」とか「神角寺山塊」とか言われているらしいです。
下は町から眺めた神角寺山系。
②~③のそれぞれのピークにはちゃんと名前があって、
秀峰、日平山、鎧ヶ岳、烏帽子岳、雨乞岳……とか言うらしいです。
標高は800メートル以上900メートル以下。
日々眺めている山に、そんな名前があったとは!……どれがどれやら。
地元にいても知りませんでしたよ。(今後確認します。)
①と②は、最近になって登りました。
①が、鳥屋城跡のある城山。
②が、やすらぎ公園展望台。神角寺から登って360度のパノラマを楽しんだところです。
②から③辺りにかけては、「県民の森」として尾根筋に整備された縦走路があって
ピークを極めながらトレッキングできるようになっています。
ということで、今回は4月の終わりに
②から「⇩」の「秀峰」というピークまで
縦走路の一部を歩いてきたことを記事にしました。
下は、②のやすらぎ公園展望台から見た秀峰。
「車の所に戻ることを考えて、この距離が妥当かな。」と夫。
この尾根筋の縦走路と並行して「平成パークライン」という道路が走っているので
迷子になる心配が全くないのです。
では、神角寺の上、やすらぎ展望台下の駐車場に車を置いてスタート。
道がはっきりしているので、縦走路を歩く人が多いのかと思いきや、
ちょっと荒れた感じでもあります。
「登って下って」を何度も繰り返します。
下るとすぐ横をパークライン。
また登って下りて、パークラインを見て……。
若葉の下の道はすがすがしい気分になります。
おや、東屋も。あまり利用者はなさそう。
ずっと道路と並行した縦走路だから、やめようと思ったらいつでも止められる?
また、登って下りて……。
縦走路の南側の山中に落ちないように。
縦走路が壊れないようにワイヤーで保護されているようです。
雑木で南側の風景は見ることができませんが、
落葉の積もる道筋はわかりやすくて、無理なく歩けます。
登って下りて……飽きてきたところで、縦走路がなくなりました。
往きの縦走路は、道路の右側になるのですが、
一旦縦走路はなくなり、道路を歩いて、左側に渡って秀峰の登山口。
這い上っていくと眼下に豊後大野市。
一つピークを越えて、また下って、また登って……山頂です。
標高は862メートルと書いてましたが、
実際の標高は840メートルらしいです。何、この差。
(ま、登山口は標高815メートルくらいなので、いずれにしてもたいした登山ではないですね。)
山頂の不動明王の前でお弁当。
ただ、山頂は木立に邪魔されて視界はよくないのです。
せっかく望遠レンズを持っていったのに。
すき間から高崎山と別府湾が見えましたよ。
さて、帰ります。
下りる途中からふるさとの風景を眺めます。
双眼鏡をのぞくと、わが家がちゃんと見えました。
帰りは平成パークラインの舗装道路を歩くことにします。
夫が「あ、ネコ!」
標高700メートル以上の山中にネコがいるでしょうか?
「キツネでしょ。」と私。
山椒の葉っぱを嗅いだりカンカラの葉があるところをチェックしたりしながら
遊び遊び帰ってきました。
行きは登ったり下ったり、帰りは楽な道で、往復6.2㎞歩きました。
杉の間に秀峰。
残りの縦走路や他のピークに挑戦するのはまた今度。
5月になってからは、ほとんど動けてないし写真も撮ってないので、
この雨が上がったら……いつになるかなあ。
……あれから、裏庭に出る度、わが家から見える「登った場所」を確認してしまいます。
実際に歩いて、さらに身近になったふるさとの山々です。
「高い山より低い山の方が迷子になりやすい。」という主旨。
気軽に入って遭難するので、ネットでも多方面から注意が喚起されています。
低い山が遭難しやすい理由はいくつかあるのですが、
「わかる、わかる」と納得させられたのが、
「低い山の尾根筋には、昔から何かしら道があるんですね。」
というベテラン山岳ガイドの言葉でした。
そこに迷い込んで山から出られなくなるケースもあるというのです。
そうです。尾根筋には古い道があるんです。
使われなくなった道は途中で消えていますからねえ……。
この一年、歩き回って実感しております。
私たちは迷子になるような場所は歩いていませんが、
事故には気を付けて、人様の迷惑にはならないようにしたいです。
(海でも言えることなんですが……。)
さて、下の写真をごらんください。
大分県豊後大野市の北側の山並みです。山の向こうは由布市、大分市。
由布岳が見えていますね。
昨年の春に登った御嶽からの写真です。
「神角寺山系」とか「神角寺山塊」とか言われているらしいです。
下は町から眺めた神角寺山系。
②~③のそれぞれのピークにはちゃんと名前があって、
秀峰、日平山、鎧ヶ岳、烏帽子岳、雨乞岳……とか言うらしいです。
標高は800メートル以上900メートル以下。
日々眺めている山に、そんな名前があったとは!……どれがどれやら。
地元にいても知りませんでしたよ。(今後確認します。)
①と②は、最近になって登りました。
①が、鳥屋城跡のある城山。
②が、やすらぎ公園展望台。神角寺から登って360度のパノラマを楽しんだところです。
②から③辺りにかけては、「県民の森」として尾根筋に整備された縦走路があって
ピークを極めながらトレッキングできるようになっています。
ということで、今回は4月の終わりに
②から「⇩」の「秀峰」というピークまで
縦走路の一部を歩いてきたことを記事にしました。
下は、②のやすらぎ公園展望台から見た秀峰。
「車の所に戻ることを考えて、この距離が妥当かな。」と夫。
この尾根筋の縦走路と並行して「平成パークライン」という道路が走っているので
迷子になる心配が全くないのです。
では、神角寺の上、やすらぎ展望台下の駐車場に車を置いてスタート。
道がはっきりしているので、縦走路を歩く人が多いのかと思いきや、
ちょっと荒れた感じでもあります。
「登って下って」を何度も繰り返します。
下るとすぐ横をパークライン。
また登って下りて、パークラインを見て……。
若葉の下の道はすがすがしい気分になります。
おや、東屋も。あまり利用者はなさそう。
ずっと道路と並行した縦走路だから、やめようと思ったらいつでも止められる?
また、登って下りて……。
縦走路の南側の山中に落ちないように。
縦走路が壊れないようにワイヤーで保護されているようです。
雑木で南側の風景は見ることができませんが、
落葉の積もる道筋はわかりやすくて、無理なく歩けます。
登って下りて……飽きてきたところで、縦走路がなくなりました。
往きの縦走路は、道路の右側になるのですが、
一旦縦走路はなくなり、道路を歩いて、左側に渡って秀峰の登山口。
這い上っていくと眼下に豊後大野市。
一つピークを越えて、また下って、また登って……山頂です。
標高は862メートルと書いてましたが、
実際の標高は840メートルらしいです。何、この差。
(ま、登山口は標高815メートルくらいなので、いずれにしてもたいした登山ではないですね。)
山頂の不動明王の前でお弁当。
ただ、山頂は木立に邪魔されて視界はよくないのです。
せっかく望遠レンズを持っていったのに。
すき間から高崎山と別府湾が見えましたよ。
さて、帰ります。
下りる途中からふるさとの風景を眺めます。
双眼鏡をのぞくと、わが家がちゃんと見えました。
帰りは平成パークラインの舗装道路を歩くことにします。
夫が「あ、ネコ!」
標高700メートル以上の山中にネコがいるでしょうか?
「キツネでしょ。」と私。
山椒の葉っぱを嗅いだりカンカラの葉があるところをチェックしたりしながら
遊び遊び帰ってきました。
行きは登ったり下ったり、帰りは楽な道で、往復6.2㎞歩きました。
杉の間に秀峰。
残りの縦走路や他のピークに挑戦するのはまた今度。
5月になってからは、ほとんど動けてないし写真も撮ってないので、
この雨が上がったら……いつになるかなあ。
……あれから、裏庭に出る度、わが家から見える「登った場所」を確認してしまいます。
実際に歩いて、さらに身近になったふるさとの山々です。
川沿いの旧道を歩く [山歩き]
(今日のカテゴリは何にしたらいいんだ?とりあえず、山の中だから……)
岡城跡の料金所の案内板に、江戸時代後期の地図がある。
武家屋敷や当時の道筋など丁寧に記されていて、
現在と重ね合わせると興味深い。
4月24日は、けっこう歩いた。
まず料金所とお店のおばちゃんに挨拶をし、大手門から北の近戸門を下って、
碧雲寺界隈から城北町の旧道を歩き、
挾田集落に出て、大歳神様でお弁当を食べて、
岡城の東の端、十川(そうがわ)というところにきた。
ここまでの行程がこれ。
「ここ」と記した場所に、ここから城内であることを示す門柱が残っている。
この位置に昔は橋がかかっていて、東の下原門を通って登城したのである。
24日は私たちもそのコースを辿る予定であった……、が。
昔はここから、橋を渡って城内へと向かう道の他に、
稲葉川沿いを竹田の城下に向かう道があった。
昔と言っても、十川のちょっと川下に住んでいたお母ちゃんが、
竹田の女学校に通うのに使うこともあったから、
わりと最近(?)までは利用されていた道である。
簡易舗装など一部施されていたようだが、
度重なる稲葉川の水害で大水に洗われ、川沿いの道は消滅した。
……地元の人からもそう聞いていた。
この日、何を思いついたか、川沿いの登城口を確かめたとき、
河原が白く乾いているのに気づき、
いつもの好奇心から、足をそちらに向けることになった。
行けるところまで行ってみようというつもりだったが、
ずっと雨も降っていなかったので水量も少なく、
けっこう河原を遡ることができる。
途切れ途切れに旧道も確認できる。
今時こんな所を歩くのは、私たちとイノシシくらいであろう。
左手を見上げれば岡城の山。
下原門から見えた河原は、この辺りだろうか。
(1月の写真)
まだ行ける?
行ける、行ける。
立派に道が残っている場所もある。
夫はずいずいと先を行く。
行ける?
大丈夫。
こんなことを繰り返しているうちに、
岡城二の丸の下、三日月岩が見えるところまできてしまった。
二の丸が見えている。
ここまで来たら、来た道を戻ることはしたくない。
最後の難関?
岩を這い登って、竹藪をくぐり抜けて、広いところに出た。
やれやれと振り返ってみる。
たどり着いた広い場所は、
お殿様がお城から下りてきて、水浴びなどして遊んだ場所である。
案内板によると、三日月岩を掘ったのは元禄の頃、五代藩主らしい。
天明年間(1781年~1789年)の地図では、お茶屋と書かれており、
お城から下りてきてこちらがわに渡る橋もあったようだ。
城跡(二の丸)から見下ろした写真。
下は、昨年7月の大雨の後。
この後、きちんとした川沿いの道を歩き、
また碧雲寺前の道に戻って、近戸門から再び登城した。
歩いてきた川沿いの道をオレンジ色でマークした。
あ、いいものを思い出した。由学館のジオラマ。
岡城との位置関係がわかるはず。
下の星から上の星まで稲葉川沿いを遡った。
昭和23年に上空から米軍が撮影した写真には、
川沿いの道もしっかり写っていると夫が言う。
(お母ちゃんがこの道を使っていた頃だ!)
24日に歩いた全行程。
約10キロメートル、道なき道をよくもまあ歩いたものだ。
昨日今日(28、29日)とけっこう雨が降った。
あの道は、今はもう通れないかもしれない。
岡城跡の料金所の案内板に、江戸時代後期の地図がある。
武家屋敷や当時の道筋など丁寧に記されていて、
現在と重ね合わせると興味深い。
4月24日は、けっこう歩いた。
まず料金所とお店のおばちゃんに挨拶をし、大手門から北の近戸門を下って、
碧雲寺界隈から城北町の旧道を歩き、
挾田集落に出て、大歳神様でお弁当を食べて、
岡城の東の端、十川(そうがわ)というところにきた。
ここまでの行程がこれ。
「ここ」と記した場所に、ここから城内であることを示す門柱が残っている。
この位置に昔は橋がかかっていて、東の下原門を通って登城したのである。
24日は私たちもそのコースを辿る予定であった……、が。
昔はここから、橋を渡って城内へと向かう道の他に、
稲葉川沿いを竹田の城下に向かう道があった。
昔と言っても、十川のちょっと川下に住んでいたお母ちゃんが、
竹田の女学校に通うのに使うこともあったから、
わりと最近(?)までは利用されていた道である。
簡易舗装など一部施されていたようだが、
度重なる稲葉川の水害で大水に洗われ、川沿いの道は消滅した。
……地元の人からもそう聞いていた。
この日、何を思いついたか、川沿いの登城口を確かめたとき、
河原が白く乾いているのに気づき、
いつもの好奇心から、足をそちらに向けることになった。
行けるところまで行ってみようというつもりだったが、
ずっと雨も降っていなかったので水量も少なく、
けっこう河原を遡ることができる。
途切れ途切れに旧道も確認できる。
今時こんな所を歩くのは、私たちとイノシシくらいであろう。
左手を見上げれば岡城の山。
下原門から見えた河原は、この辺りだろうか。
(1月の写真)
まだ行ける?
行ける、行ける。
立派に道が残っている場所もある。
夫はずいずいと先を行く。
行ける?
大丈夫。
こんなことを繰り返しているうちに、
岡城二の丸の下、三日月岩が見えるところまできてしまった。
二の丸が見えている。
ここまで来たら、来た道を戻ることはしたくない。
最後の難関?
岩を這い登って、竹藪をくぐり抜けて、広いところに出た。
やれやれと振り返ってみる。
たどり着いた広い場所は、
お殿様がお城から下りてきて、水浴びなどして遊んだ場所である。
案内板によると、三日月岩を掘ったのは元禄の頃、五代藩主らしい。
天明年間(1781年~1789年)の地図では、お茶屋と書かれており、
お城から下りてきてこちらがわに渡る橋もあったようだ。
城跡(二の丸)から見下ろした写真。
下は、昨年7月の大雨の後。
この後、きちんとした川沿いの道を歩き、
また碧雲寺前の道に戻って、近戸門から再び登城した。
歩いてきた川沿いの道をオレンジ色でマークした。
あ、いいものを思い出した。由学館のジオラマ。
岡城との位置関係がわかるはず。
下の星から上の星まで稲葉川沿いを遡った。
昭和23年に上空から米軍が撮影した写真には、
川沿いの道もしっかり写っていると夫が言う。
(お母ちゃんがこの道を使っていた頃だ!)
24日に歩いた全行程。
約10キロメートル、道なき道をよくもまあ歩いたものだ。
昨日今日(28、29日)とけっこう雨が降った。
あの道は、今はもう通れないかもしれない。
シャクナゲの寺(神角寺)から展望台へ [山歩き]
この頃集中力に欠けていて、何をやっても中途半端です。
目が疲れるんですよ。眼鏡のせいかなあ。(いや、歳のせい。)
そんなこんなで
4月9日の記事がこんなに遅くなってしまいましたが、
ジオパークが一望できる展望台は是非とも紹介したくて……。
最近は豊後大野市朝地町の山をうろついています。
竹田市の隣町です。
前に登った城山(朝地町鳥屋)。
9日は、城山(鳥屋城跡)が気に入って三度目の登城をするつもりでした。
でも、かすんだ風景ではおもしろくないので、
まず東隣のお山の神角寺(じんかくじ)に車で行ってみて
展望が好いかどうか確認しようという計画でした。
神角寺は標高750メートルという高い場所にあって、重要文化財もあるし、
この時期はシャクナゲが美しく咲くということでも有名なお寺なのです。
ここに来るのはずいぶん久しぶりです。
シャクナゲが見頃を迎えようとしています。
例年より早いのではないでしょうか。
ここの展望台でもジオパーク豊後大野が一望できて
まことに良い場所なのですが、
ちょっと外れた場所の墓地がナイスな眺め。
東から眺めた城山です。
確かに歴史的には何かあってもおかしくない地形。
西側は険しい谷ですが、東側は調査したらおもしろいんじゃないかな……などと
話しております。
神角寺の駐車場に朝地町の地図がありました。
神角寺の裏手を登ったところに展望台があります。
城山はやめて、そちらに歩いて行ってみようかということになりました。
神角寺の裏山から山の尾根筋を走る県道に出て、
坂道をえっちらおっちら。
城山がこちらより低く見えます。
車で来ればあっという間なのでしょうが、私たちは約25分歩いて、
標高820メートルのやすらぎ公園展望台に着きました。
おお、要塞みたい。
階段を昇れば、360度のパノラマ。
これはすばらしい。
空気がもっと澄んでいたら、最高なんですけれど。
岡城跡も良いけれど、ここも案内したい場所です。ぜひ、遊びに来て。
(車でささっと来ることができますよ。)
城山とくじゅう連山。ナイスな構図。
わあ、由布岳もよく見える!
持ってきた望遠レンズにすると、岡城がよく見える!
この前うろついた城山のてっぺん辺り。
あ、あそこの墓地は、さっき夫が双眼鏡で眺めていた場所!
夫がスマホのパノラマ機能を使って撮影しました。
阿蘇山の9万年前の噴火が作った風景です。
外輪山を見ると、噴火する前はどれだけ大きな山だったのか……。
私は、東から南、西、北とゆっくり動画にしました。
①東から南の傾山まで。
②傾山から祖母山方向。外輪山の直線。途中、岡城方向を眺めています。
③阿蘇を眺めて、西のくじゅう連山まで。城山の風景は面白いなあ。
④北方向へ。由布山がきれいです。これでほぼ一周。
そろそろ帰ります。
展望台の下は広場。
結局、誰も来なくて、しばらく展望台を独占してました。
ここの展望台は面白かったですよ。こんな良いところがあったんだ。
しかし、岡藩は広いなあ。
神角寺まで戻ってきました。
もっと空気が澄んだときに来ようと思います。
シャクナゲも今頃は満開になっていることでしょう。
目が疲れるんですよ。眼鏡のせいかなあ。(いや、歳のせい。)
そんなこんなで
4月9日の記事がこんなに遅くなってしまいましたが、
ジオパークが一望できる展望台は是非とも紹介したくて……。
最近は豊後大野市朝地町の山をうろついています。
竹田市の隣町です。
前に登った城山(朝地町鳥屋)。
9日は、城山(鳥屋城跡)が気に入って三度目の登城をするつもりでした。
でも、かすんだ風景ではおもしろくないので、
まず東隣のお山の神角寺(じんかくじ)に車で行ってみて
展望が好いかどうか確認しようという計画でした。
神角寺は標高750メートルという高い場所にあって、重要文化財もあるし、
この時期はシャクナゲが美しく咲くということでも有名なお寺なのです。
ここに来るのはずいぶん久しぶりです。
シャクナゲが見頃を迎えようとしています。
例年より早いのではないでしょうか。
ここの展望台でもジオパーク豊後大野が一望できて
まことに良い場所なのですが、
ちょっと外れた場所の墓地がナイスな眺め。
東から眺めた城山です。
確かに歴史的には何かあってもおかしくない地形。
西側は険しい谷ですが、東側は調査したらおもしろいんじゃないかな……などと
話しております。
神角寺の駐車場に朝地町の地図がありました。
神角寺の裏手を登ったところに展望台があります。
城山はやめて、そちらに歩いて行ってみようかということになりました。
神角寺の裏山から山の尾根筋を走る県道に出て、
坂道をえっちらおっちら。
城山がこちらより低く見えます。
車で来ればあっという間なのでしょうが、私たちは約25分歩いて、
標高820メートルのやすらぎ公園展望台に着きました。
おお、要塞みたい。
階段を昇れば、360度のパノラマ。
これはすばらしい。
空気がもっと澄んでいたら、最高なんですけれど。
岡城跡も良いけれど、ここも案内したい場所です。ぜひ、遊びに来て。
(車でささっと来ることができますよ。)
城山とくじゅう連山。ナイスな構図。
わあ、由布岳もよく見える!
持ってきた望遠レンズにすると、岡城がよく見える!
この前うろついた城山のてっぺん辺り。
あ、あそこの墓地は、さっき夫が双眼鏡で眺めていた場所!
夫がスマホのパノラマ機能を使って撮影しました。
阿蘇山の9万年前の噴火が作った風景です。
外輪山を見ると、噴火する前はどれだけ大きな山だったのか……。
私は、東から南、西、北とゆっくり動画にしました。
①東から南の傾山まで。
②傾山から祖母山方向。外輪山の直線。途中、岡城方向を眺めています。
③阿蘇を眺めて、西のくじゅう連山まで。城山の風景は面白いなあ。
④北方向へ。由布山がきれいです。これでほぼ一周。
そろそろ帰ります。
展望台の下は広場。
結局、誰も来なくて、しばらく展望台を独占してました。
ここの展望台は面白かったですよ。こんな良いところがあったんだ。
しかし、岡藩は広いなあ。
神角寺まで戻ってきました。
もっと空気が澄んだときに来ようと思います。
シャクナゲも今頃は満開になっていることでしょう。
久住高原「歴史の道」 [山歩き]
久住高原では、「天空のプロムナード」「日本一のマラソンコース」など
誠に風光明媚な道を歩いてきました。
今回は、またもや「こんな素敵な散歩道があったんだ~♪」
以前、小春さんが紹介してくださった松並木です。
国道442号にそったこの小道は、「歴史の道」という名前が付けられています。
最近、地元のテレビ番組で、
元気の良いお姉ちゃんが自転車でこの辺りを走り回っていました。
10月最後の日、「日本一のマラソンコース」の駐車場に車を止めて、
いつも歩くコースを左に見ながら西の方向に歩き始めました。
お天気が好くて、展望は最高。
南東に祖母傾山、南西に目を向ければ阿蘇山、北にはどーんと久住連山。
石碑など眺めつつ、ゆっくり歩きます。
松と久住山と……良い眺めです。
ドライブの時も楽しいのですが、歩けばまた違った楽しさがあります。
少し歩けば……。
たくさんの車が止まっていましたよ。
人が多いところには行きませ~ん。
木々の隙間からのぞくと、あらきれい。
そう言えば、去年の今頃、ここに遊びに来たのでした。
年間パスを買うとか言って、あれから一度も来ていませんでしたね~。
コロナで休園していた時期もあったしな~。
久住の山々が近いです。
写真を大きくすると、頂上近辺にはたくさんの人が登っているようでした。
阿蘇山も大きく見えます。
久住高原国道442号線で見られる「小国往還松並木」の風景は誠に見応えがあります。
古い松の枝振りから
肥後藩と岡藩と天領日田を結ぶ重要な道であったことが偲ばれます。
この辺りは肥後藩でした。
この「歴史の道」はいつごろ整備されたのでしょうね。
松並木を堪能できる良い道です。
それにしても、誰にも会いません。
花公園付近にはあんなに人がいたのに。
国道に出会うところで橋?
いつも車で通り過ぎるだけなので、こんな橋があったなんて気づきませんでした。
橋から見た紅葉がきれい。
国道を渡って久住山の方向へ少し歩きます。
この木何の木気になる木……久住山とのコラボが素敵。
マユミ?
小道をウロウロ……紅葉を楽しみました。
この辺りにはホテルとかペンションとかあるらしいです。
さらに歩けば、まだ素敵な風景に出会えそうです。
橋のそばの東屋で昼ご飯。
それにしてもヒトに会わない道です。道の出口で二人連れに会っただけ。もったいない。
こんなにきれいな道なのに。
(そう言えば、花公園の近くで自転車で遊んでいる親子がいましたね。それくらい?)
来た道を戻ります。
何かいる。
モズだ~。
秋の高原を散策するにはとっても良い道でした。
我がふるさとの傾山が見えて、終点です。
往復6.8㎞のウォーキングでした。
誠に風光明媚な道を歩いてきました。
今回は、またもや「こんな素敵な散歩道があったんだ~♪」
以前、小春さんが紹介してくださった松並木です。
国道442号にそったこの小道は、「歴史の道」という名前が付けられています。
最近、地元のテレビ番組で、
元気の良いお姉ちゃんが自転車でこの辺りを走り回っていました。
10月最後の日、「日本一のマラソンコース」の駐車場に車を止めて、
いつも歩くコースを左に見ながら西の方向に歩き始めました。
お天気が好くて、展望は最高。
南東に祖母傾山、南西に目を向ければ阿蘇山、北にはどーんと久住連山。
石碑など眺めつつ、ゆっくり歩きます。
松と久住山と……良い眺めです。
ドライブの時も楽しいのですが、歩けばまた違った楽しさがあります。
少し歩けば……。
たくさんの車が止まっていましたよ。
人が多いところには行きませ~ん。
木々の隙間からのぞくと、あらきれい。
そう言えば、去年の今頃、ここに遊びに来たのでした。
年間パスを買うとか言って、あれから一度も来ていませんでしたね~。
コロナで休園していた時期もあったしな~。
久住の山々が近いです。
写真を大きくすると、頂上近辺にはたくさんの人が登っているようでした。
阿蘇山も大きく見えます。
久住高原国道442号線で見られる「小国往還松並木」の風景は誠に見応えがあります。
古い松の枝振りから
肥後藩と岡藩と天領日田を結ぶ重要な道であったことが偲ばれます。
この辺りは肥後藩でした。
この「歴史の道」はいつごろ整備されたのでしょうね。
松並木を堪能できる良い道です。
それにしても、誰にも会いません。
花公園付近にはあんなに人がいたのに。
国道に出会うところで橋?
いつも車で通り過ぎるだけなので、こんな橋があったなんて気づきませんでした。
橋から見た紅葉がきれい。
国道を渡って久住山の方向へ少し歩きます。
この木何の木気になる木……久住山とのコラボが素敵。
マユミ?
小道をウロウロ……紅葉を楽しみました。
この辺りにはホテルとかペンションとかあるらしいです。
さらに歩けば、まだ素敵な風景に出会えそうです。
橋のそばの東屋で昼ご飯。
それにしてもヒトに会わない道です。道の出口で二人連れに会っただけ。もったいない。
こんなにきれいな道なのに。
(そう言えば、花公園の近くで自転車で遊んでいる親子がいましたね。それくらい?)
来た道を戻ります。
何かいる。
モズだ~。
秋の高原を散策するにはとっても良い道でした。
我がふるさとの傾山が見えて、終点です。
往復6.8㎞のウォーキングでした。
初秋「天空のプロムナード 」 [山歩き]
酷暑の夏が過ぎ、ウォーキング「秋の陣」である。
まずは岡城跡から。
9月14日はアプリを使いながら、みどころポイントで「岡城時空散歩」を楽しんで、
9月19日は見残したポイントを見て、28か所を完全制覇。
達成特典の画像をいただいた。
ところが、四連休の週には、夫の伯父(お母ちゃんの兄)が亡くなった。
昭和4年生まれ91歳だった。
そんな中で、畑の準備もやって、ちょっと慌ただしかった。
それでも、大根やカブの芽も無事に出たことだし、
今日は、ウォーキングを再開。
久しぶりの「天空のプロムナード」である。
車を降りたら、久住高原はもう秋風が冷たくて、薄着を心配したほどだった。
歩き始めれば風の冷たさはなくなって、夫は上着を脱いでいた。
三か月ぶり、すっかり秋めいた風景である。
私たちは芝歩道の「終点」から歩き始めて、
「ガンジー牧場」でトイレを借りて、
「レゾネイトくじゅう」を横目に見ながら、芝生の道を歩いたのだが、
いずれの駐車場も車が増えて、
以前の賑わいを取り戻しつつあるようだった。
周遊道路も、月曜日なのに車やバイクがとても多かった。
レゾネイトくじゅうをちょっと過ぎたところ辺り、
折り返し地点まであと少しというところで、
道路の状況が少し変わっていることに気づいた。
舗装が新しくなって、芝歩道の芝が植え替えられている。
7月7日の豪雨の際、くじゅう周辺はかなりの被害が出た。
そのときの雨で道路が壊されたのかも知れないと推測したのだが、
家に帰って調べたら、
やはり「 山からの鉄砲水が大きな岩と共に道路と草原へ流れ込んで来た」ということだった。
コロナの上に、豪雨災害、酷暑といろいろありすぎる夏だった。
せめて、この秋は、
台風も来ないで、落ち着いた秋であってほしいなと願うばかり。
まずは岡城跡から。
9月14日はアプリを使いながら、みどころポイントで「岡城時空散歩」を楽しんで、
9月19日は見残したポイントを見て、28か所を完全制覇。
達成特典の画像をいただいた。
ところが、四連休の週には、夫の伯父(お母ちゃんの兄)が亡くなった。
昭和4年生まれ91歳だった。
そんな中で、畑の準備もやって、ちょっと慌ただしかった。
それでも、大根やカブの芽も無事に出たことだし、
今日は、ウォーキングを再開。
久しぶりの「天空のプロムナード」である。
車を降りたら、久住高原はもう秋風が冷たくて、薄着を心配したほどだった。
歩き始めれば風の冷たさはなくなって、夫は上着を脱いでいた。
三か月ぶり、すっかり秋めいた風景である。
私たちは芝歩道の「終点」から歩き始めて、
「ガンジー牧場」でトイレを借りて、
「レゾネイトくじゅう」を横目に見ながら、芝生の道を歩いたのだが、
いずれの駐車場も車が増えて、
以前の賑わいを取り戻しつつあるようだった。
周遊道路も、月曜日なのに車やバイクがとても多かった。
レゾネイトくじゅうをちょっと過ぎたところ辺り、
折り返し地点まであと少しというところで、
道路の状況が少し変わっていることに気づいた。
舗装が新しくなって、芝歩道の芝が植え替えられている。
7月7日の豪雨の際、くじゅう周辺はかなりの被害が出た。
そのときの雨で道路が壊されたのかも知れないと推測したのだが、
家に帰って調べたら、
やはり「 山からの鉄砲水が大きな岩と共に道路と草原へ流れ込んで来た」ということだった。
コロナの上に、豪雨災害、酷暑といろいろありすぎる夏だった。
せめて、この秋は、
台風も来ないで、落ち着いた秋であってほしいなと願うばかり。
天空のプロムナード [山歩き]
なにやらカッコいいネーミングである。
つい最近まで知らなかった。
久住山の裾野にある芝歩道のことである。
https://www.pref.oita.jp/site/taketa17008/guruttokujyuu.html
今回は、その「プロムナード(散歩道)」の紹介を。
久住山がとっても澄んで見えて、「青嵐」という季語にぴったりの日、
夫が「久住まで行こう。」と言う。
連休明けの5月7日のことだ。
この時点では、どこをどう歩くか決めていたわけではなかった。
県道47号の峠道を上り、岡城方向を眺めて……。
(岡城が左の中程に見えている。)
久住山の方向に向かった。
県道669号「阿蘇くじゅう公園線」を西の方向に走らせていると、
左側の歩道に芝生が貼られていることに気づき、
あの歩道を歩こうということになった。
ガンジー牧場などの観光地を通り過ぎ、
阿蘇山がきれいに見える場所に駐車スペースがあって、
そこから、来た道を逆に歩くことにする。
何度か来た道ではあるが、芝生の歩道があったとは気づかなかった。
歩き始めると、
靴底に伝わる芝生の感触が心地よい。
風は強いが、最高の眺めである。
右に祖母傾を眺め、左に久住連山を仰ぎながら歩いて行く。振り返れば阿蘇。
こんな空気の澄んだ美しい景色の中にいると、
悪い病気がはやっているなんてウソのようだ。
休みには賑わいを見せるガンジー牧場やホテルレゾネイトくじゅうの駐車場は
がらんとしていて、車もほとんどなく、
そのことがコロナの流行を思い出させた。
「……三百の牧の若馬耳吹かれけり」
与謝野晶子の歌の上二句が思い出せないでいる。
……何だったかな、こんな風景なんだけどな。
芝生の歩道が終わり、もう少し歩いた。
道ばたの記念碑を風よけにしてお昼ご飯。
一人だけ芝歩道を歩く人を見かけた。
来た道を折り返す。
芝歩道の起点はここで、2.6㎞あるらしい。
再びレゾネイトくじゅうの前を通り
来客もほとんどいないガンジー牧場でチーズとクッキーを買って
車の置いてある場所まで戻った。往復5.8キロ。
芝歩道はもう少し先まで続いていた。
阿蘇の噴火は活発な様子だった。
5月23日、再び芝歩道へ。
この日は薄曇りだったが、暑くもなくウォーキング日和。
芝歩道の「終点」から歩き始める。
芝歩道は前回と同じで歩く人はいなかったが、
車やバイクの通りは驚くほど多かった。
ガンジー牧場は賑わいを取り戻していた。
669号線の車は多いけれど、芝歩道は今回も貸し切り状態。
草を刈って丸めていく牧場の作業に見入ったり馬を眺めたり。
「夏の風山より来たり三百の牧の若馬耳吹かれけり」
やっと全部思い出した。
三百はいないけどね。レゾネイトくじゅうでは乗馬もできるらしい。
ん?
芝歩道はこんなオシャレな名前で呼ばれていたのだと
ここで初めて知った。
「天空のプロムナード」……、知らなかったなあ。
芝歩道の「起点」を通り過ぎて
前と同じ記念碑のそばでお昼ご飯。
また来た道を戻る。
前回より花の種類が増えていた。
往復で7キロぐらい歩いてきた。
この芝歩道を歩くイベントも予定されていたようだが、この春は中止。
イベントはなくても、久住山の麓を阿蘇や祖母傾山を眺めながら歩くのは素敵。
九州の真ん中にはこんな広々とした風景が広がっている。
家から車で30分も走らせればこんなウォーキングコースもあって、
いろいろ楽しんでいるダイエット夫婦なのである。
つい最近まで知らなかった。
久住山の裾野にある芝歩道のことである。
https://www.pref.oita.jp/site/taketa17008/guruttokujyuu.html
今回は、その「プロムナード(散歩道)」の紹介を。
久住山がとっても澄んで見えて、「青嵐」という季語にぴったりの日、
夫が「久住まで行こう。」と言う。
連休明けの5月7日のことだ。
この時点では、どこをどう歩くか決めていたわけではなかった。
県道47号の峠道を上り、岡城方向を眺めて……。
(岡城が左の中程に見えている。)
久住山の方向に向かった。
県道669号「阿蘇くじゅう公園線」を西の方向に走らせていると、
左側の歩道に芝生が貼られていることに気づき、
あの歩道を歩こうということになった。
ガンジー牧場などの観光地を通り過ぎ、
阿蘇山がきれいに見える場所に駐車スペースがあって、
そこから、来た道を逆に歩くことにする。
何度か来た道ではあるが、芝生の歩道があったとは気づかなかった。
歩き始めると、
靴底に伝わる芝生の感触が心地よい。
風は強いが、最高の眺めである。
右に祖母傾を眺め、左に久住連山を仰ぎながら歩いて行く。振り返れば阿蘇。
こんな空気の澄んだ美しい景色の中にいると、
悪い病気がはやっているなんてウソのようだ。
休みには賑わいを見せるガンジー牧場やホテルレゾネイトくじゅうの駐車場は
がらんとしていて、車もほとんどなく、
そのことがコロナの流行を思い出させた。
「……三百の牧の若馬耳吹かれけり」
与謝野晶子の歌の上二句が思い出せないでいる。
……何だったかな、こんな風景なんだけどな。
芝生の歩道が終わり、もう少し歩いた。
道ばたの記念碑を風よけにしてお昼ご飯。
一人だけ芝歩道を歩く人を見かけた。
来た道を折り返す。
芝歩道の起点はここで、2.6㎞あるらしい。
再びレゾネイトくじゅうの前を通り
来客もほとんどいないガンジー牧場でチーズとクッキーを買って
車の置いてある場所まで戻った。往復5.8キロ。
芝歩道はもう少し先まで続いていた。
阿蘇の噴火は活発な様子だった。
5月23日、再び芝歩道へ。
この日は薄曇りだったが、暑くもなくウォーキング日和。
芝歩道の「終点」から歩き始める。
芝歩道は前回と同じで歩く人はいなかったが、
車やバイクの通りは驚くほど多かった。
ガンジー牧場は賑わいを取り戻していた。
669号線の車は多いけれど、芝歩道は今回も貸し切り状態。
草を刈って丸めていく牧場の作業に見入ったり馬を眺めたり。
「夏の風山より来たり三百の牧の若馬耳吹かれけり」
やっと全部思い出した。
三百はいないけどね。レゾネイトくじゅうでは乗馬もできるらしい。
ん?
芝歩道はこんなオシャレな名前で呼ばれていたのだと
ここで初めて知った。
「天空のプロムナード」……、知らなかったなあ。
芝歩道の「起点」を通り過ぎて
前と同じ記念碑のそばでお昼ご飯。
また来た道を戻る。
前回より花の種類が増えていた。
往復で7キロぐらい歩いてきた。
この芝歩道を歩くイベントも予定されていたようだが、この春は中止。
イベントはなくても、久住山の麓を阿蘇や祖母傾山を眺めながら歩くのは素敵。
九州の真ん中にはこんな広々とした風景が広がっている。
家から車で30分も走らせればこんなウォーキングコースもあって、
いろいろ楽しんでいるダイエット夫婦なのである。
御嶽(おんだけ)山に登る② [山歩き]
御嶽は古くから信仰されている山で、お山そのものがご神体だ。
山頂の神社には、土地の神、山の神、薬の神が祭られているということだった。
勝負の神としても近郷の人たちから信仰されている……という記事があった。
へえ、知らなかったな。
調べたら、岡藩藩主の祈願所でもあったそうだ。
神社の裏手を5分ほど登ると、眺めのよい岩場になって、
ここには仙人が座したと言われているそうな。
その大きな岩の向こう(西)に阿蘇。
もうひと登りして、
仙の嶽のシンボルのような枯れ松。
そして……標高568メートル。
北に久住連山。その存在感!!
南に目をやれば
傾山が近い!!
ここからは祖母山の形もずいぶん違う。
県南から宮崎方面へと連なる山々が南に広がる。
分け入っても分け入っても青い山……山頭火だねえ。
仙の嶽の南面にはミツバツツジがすでに咲いている。
北面はまだ蕾。
北の方向を改めて眺めれば、写真の中程の山間の町が私たちのふるさと。
あ!由布岳も見えているよ!!
山頂からの風景にしばらく興奮して、やっとお昼ご飯。
私たちはこんなところにいる。
そして、また飽きず、風景を眺めている。
夫がリュックに入れてきた双眼鏡が役立っている。
「うちはどこ?実家はどこ?」
「うちは山陰で見えないな。」
「白い大きな建物が中学校だね~。実家はあの左方向だから……わからないよ~。」
「岡城はどこ?」
「イマイチわからない。あの辺りだと思うが……。」
西から北、北から東にかけての方向を再度眺める。海が見えるかな~。
「いいところに住んでいたんだねえ……。」
誰も来ない山頂。ゆっくりふるさとを眺めたら、「さあ、帰ろう。」
神様に会えたような気分。
原生林の一部が残ってる。
前回 しいたけの作業をしていた地元の方は、
子どもの頃、遠足でこのお山に来ると
帰りは下草のない原生林の中を
猿のように遊びながら麓まで駆け下ったのだという。
私たちは、さすがにそれはできないから、
桜並木のつづら折りの道を下り……
峠から林道に入って杉やクヌギの下を下る。
桜が咲いたらまた来よう。若葉の頃も良いかもね。
山頂の神社には、土地の神、山の神、薬の神が祭られているということだった。
勝負の神としても近郷の人たちから信仰されている……という記事があった。
へえ、知らなかったな。
調べたら、岡藩藩主の祈願所でもあったそうだ。
神社の裏手を5分ほど登ると、眺めのよい岩場になって、
ここには仙人が座したと言われているそうな。
その大きな岩の向こう(西)に阿蘇。
もうひと登りして、
仙の嶽のシンボルのような枯れ松。
そして……標高568メートル。
北に久住連山。その存在感!!
南に目をやれば
傾山が近い!!
ここからは祖母山の形もずいぶん違う。
※これが町から眺めるいつもの傾山と祖母山。
県南から宮崎方面へと連なる山々が南に広がる。
分け入っても分け入っても青い山……山頭火だねえ。
仙の嶽の南面にはミツバツツジがすでに咲いている。
北面はまだ蕾。
北の方向を改めて眺めれば、写真の中程の山間の町が私たちのふるさと。
あ!由布岳も見えているよ!!
山頂からの風景にしばらく興奮して、やっとお昼ご飯。
私たちはこんなところにいる。
そして、また飽きず、風景を眺めている。
夫がリュックに入れてきた双眼鏡が役立っている。
「うちはどこ?実家はどこ?」
「うちは山陰で見えないな。」
「白い大きな建物が中学校だね~。実家はあの左方向だから……わからないよ~。」
「岡城はどこ?」
「イマイチわからない。あの辺りだと思うが……。」
西から北、北から東にかけての方向を再度眺める。海が見えるかな~。
「いいところに住んでいたんだねえ……。」
誰も来ない山頂。ゆっくりふるさとを眺めたら、「さあ、帰ろう。」
神様に会えたような気分。
原生林の一部が残ってる。
前回 しいたけの作業をしていた地元の方は、
子どもの頃、遠足でこのお山に来ると
帰りは下草のない原生林の中を
猿のように遊びながら麓まで駆け下ったのだという。
私たちは、さすがにそれはできないから、
桜並木のつづら折りの道を下り……
峠から林道に入って杉やクヌギの下を下る。
桜が咲いたらまた来よう。若葉の頃も良いかもね。
御嶽(おんだけ)山に登る① [山歩き]
3月12日、前日の強風がウソのようにおだやかになった。
夫が言う。
「御嶽に登ろう。」
「どのくらい体力がついたか試してみたい。」
サイクリングができないからせっせと歩いてきたが、
2月20日には御嶽山を目指したものの、途中の峠(標高378メートル地点)で挫折。
まだ山登りの身体ができていなかった。
それから 用事がある日や体調がすぐれない日を除いて13日、
坂道をできるだけコースに入れて歩いてきた。
歩いた距離は97.5キロメートルになった。
この日は標高568メートルの山頂を目指す。さて、成果は?
お母ちゃんをお年寄りサロンに送り出して雑用を片付けて、
前回と同じ御嶽の登り口に着いたのが11時。
お母ちゃんが帰る午後3時までに登って下りて、家に帰り着いていたい。
前回と同じ林道(日本一のイチイガシがある)を登るのだが、
入り口に柵があるのがなんとも……。
この林道も御嶽神社への古い参道だったのだろう。
遠くにシカの声を聞き、
春めいた山道を歩く。
成果は……あった。思ったより歩みが力強くなっている。
あの鳥居が見えたら、もうすぐ峠だ。
坂道も休むことなく登り、前回挫折した峠に着いた。林道の終点。
峠からは桜並木の道を歩く。
桜並木はつづら折りの道で、けっこう足にこたえる。
桜の蕾はすでに膨らみ、開花へのエネルギーが充填されているようである。
「桜が咲いたら見事だろうねえ……。」
登るにつれて景色が好くなる。
やっと御嶽神社入り口まで来た。ここで標高480メートル。
杖を借りる。
お山自体がご神体。神様に会いにゆく。
まず最初の石段。
ちょっと歩いて、
また石段。
何回か来たことはあるが、こんなに石段があったとは……。
若いときはひょいひょい登っていたのに。
また石段~?
やっと御嶽神社にたどり着いた。
神社の裏手に回り、そこから山頂「仙の嶽」へ。
杖はここに置いていく。両手が空かないと困るから。
なぜなら、鎖~!
神様に会うのは大変。鎖の場所を通り抜けると……。
あと少し!
ワォ!
麓の集落が見える。あの辺りから歩いてきたんだ。
絶景まであとちょっと!!
夫が言う。
「御嶽に登ろう。」
「どのくらい体力がついたか試してみたい。」
サイクリングができないからせっせと歩いてきたが、
2月20日には御嶽山を目指したものの、途中の峠(標高378メートル地点)で挫折。
まだ山登りの身体ができていなかった。
それから 用事がある日や体調がすぐれない日を除いて13日、
坂道をできるだけコースに入れて歩いてきた。
歩いた距離は97.5キロメートルになった。
この日は標高568メートルの山頂を目指す。さて、成果は?
お母ちゃんをお年寄りサロンに送り出して雑用を片付けて、
前回と同じ御嶽の登り口に着いたのが11時。
お母ちゃんが帰る午後3時までに登って下りて、家に帰り着いていたい。
前回と同じ林道(日本一のイチイガシがある)を登るのだが、
入り口に柵があるのがなんとも……。
この林道も御嶽神社への古い参道だったのだろう。
遠くにシカの声を聞き、
春めいた山道を歩く。
成果は……あった。思ったより歩みが力強くなっている。
あの鳥居が見えたら、もうすぐ峠だ。
坂道も休むことなく登り、前回挫折した峠に着いた。林道の終点。
峠からは桜並木の道を歩く。
桜並木はつづら折りの道で、けっこう足にこたえる。
桜の蕾はすでに膨らみ、開花へのエネルギーが充填されているようである。
「桜が咲いたら見事だろうねえ……。」
登るにつれて景色が好くなる。
やっと御嶽神社入り口まで来た。ここで標高480メートル。
杖を借りる。
お山自体がご神体。神様に会いにゆく。
まず最初の石段。
ちょっと歩いて、
また石段。
何回か来たことはあるが、こんなに石段があったとは……。
若いときはひょいひょい登っていたのに。
また石段~?
やっと御嶽神社にたどり着いた。
神社の裏手に回り、そこから山頂「仙の嶽」へ。
杖はここに置いていく。両手が空かないと困るから。
なぜなら、鎖~!
神様に会うのは大変。鎖の場所を通り抜けると……。
あと少し!
ワォ!
麓の集落が見える。あの辺りから歩いてきたんだ。
絶景まであとちょっと!!
御嶽(おんだけ)山を目指す [山歩き]
ダイエットウォーキングが続いております。
岡城跡散策の次は、どこを歩こうかという話になったのですが、
地元の小高いお山に登ろうということに相成りました。
町からの写真で見るとここです。
木曽の御嶽山ではなく、地元です。
標高568メートル。山頂付近に神社があります。
では、地元のCMをごらんください。
この動画の後半に出てくるお山です。眺め抜群。
https://www.youtube.com/watch?v=KwvxGxBDNQ4&feature=emb_title
春にはお山に向かう道路沿いの桜並木が見事です。
約4kmの桜並木に約3000本の桜が満開となります。
車で登れば15分。
私たちは、桜並木ではなく、
別のルート(林道)の起点に車を置いて、足で登ります。
クヌギ林や杉の木立の山道で、ここを通るのはたぶん地元の人だけ……。
途中シイタケの栽培に使うクヌギを伐っている方に出会いました。
(わ、人に出会った……と驚き。)
「2.5㎞くらいですよ、行ってらっしゃい。」と励まされました。
シカやイノシシに出会いそうな道を登ります。
この一帯の原生林は昭和40年代に伐採されました。惜しいことです。
けっこうしんどい登りです。
桜並木の道と合流する峠に着きました。
峠に着いたところでバテました。
絶景の山頂に行くには体力と時間が足りません。
山登りにはまだ身体ができていなかったかな……。
絶景はまた今度~(^_^;)
コンビニで買ったおにぎりを食べて下山。
登るときに出会った方がまだ作業をされていました。
「峠で引き返してきました。」と挨拶したら、名前を呼ばれてびっくり。
この方、なんと夫の知り合いでした。
登るとき、あちらは気づいていたのですが、こちらは気づかなかったのです。
こんな山の中で……地元ならでは、ですねえ!
このお山の麓にはもう一つ有名なものがあります。
樹齢1000年のイチイガシです。
ルートからちょっとだけ奥に入ります。
環境庁(現在では環境省)が昭和63年に実施した巨樹・巨木林調査で、
このイチイガシは樹種別で全国一であることがわかったそうです。
大きな洞になっています。
案内人がいないと行けそうにない場所なんですが、
意外と人里には近いんですよ。
あ、このエリアは、祖母山から流れる渓流にかかる石橋も見事なんですよ。
上の写真の橋ではありませんが、
すぐ近くに、国有林から木材を搬出するトロッコ列車のためにつくられた轟橋があります。
石橋ではアーチ直径が日本一だそうです。
こんな奥深い山里に日本一が二つもあるんですね!
(「トロッコ列車があって原生林が残っていれば……惜しいことをした。」と
さきほどの知り合いの方のお話でした。)
ジオパーク紹介のウォーキングになりました。
6.8㎞、8814歩の道のりでした。
高低差約200メートルを登って下りてきました。
岡城跡散策の次は、どこを歩こうかという話になったのですが、
地元の小高いお山に登ろうということに相成りました。
町からの写真で見るとここです。
木曽の御嶽山ではなく、地元です。
標高568メートル。山頂付近に神社があります。
では、地元のCMをごらんください。
この動画の後半に出てくるお山です。眺め抜群。
https://www.youtube.com/watch?v=KwvxGxBDNQ4&feature=emb_title
春にはお山に向かう道路沿いの桜並木が見事です。
約4kmの桜並木に約3000本の桜が満開となります。
車で登れば15分。
私たちは、桜並木ではなく、
別のルート(林道)の起点に車を置いて、足で登ります。
クヌギ林や杉の木立の山道で、ここを通るのはたぶん地元の人だけ……。
途中シイタケの栽培に使うクヌギを伐っている方に出会いました。
(わ、人に出会った……と驚き。)
「2.5㎞くらいですよ、行ってらっしゃい。」と励まされました。
シカやイノシシに出会いそうな道を登ります。
この一帯の原生林は昭和40年代に伐採されました。惜しいことです。
けっこうしんどい登りです。
桜並木の道と合流する峠に着きました。
峠に着いたところでバテました。
絶景の山頂に行くには体力と時間が足りません。
山登りにはまだ身体ができていなかったかな……。
絶景はまた今度~(^_^;)
コンビニで買ったおにぎりを食べて下山。
登るときに出会った方がまだ作業をされていました。
「峠で引き返してきました。」と挨拶したら、名前を呼ばれてびっくり。
この方、なんと夫の知り合いでした。
登るとき、あちらは気づいていたのですが、こちらは気づかなかったのです。
こんな山の中で……地元ならでは、ですねえ!
このお山の麓にはもう一つ有名なものがあります。
樹齢1000年のイチイガシです。
ルートからちょっとだけ奥に入ります。
環境庁(現在では環境省)が昭和63年に実施した巨樹・巨木林調査で、
このイチイガシは樹種別で全国一であることがわかったそうです。
大きな洞になっています。
案内人がいないと行けそうにない場所なんですが、
意外と人里には近いんですよ。
あ、このエリアは、祖母山から流れる渓流にかかる石橋も見事なんですよ。
上の写真の橋ではありませんが、
すぐ近くに、国有林から木材を搬出するトロッコ列車のためにつくられた轟橋があります。
石橋ではアーチ直径が日本一だそうです。
写真は2014年8月に撮影したもの。
こんな奥深い山里に日本一が二つもあるんですね!
(「トロッコ列車があって原生林が残っていれば……惜しいことをした。」と
さきほどの知り合いの方のお話でした。)
ジオパーク紹介のウォーキングになりました。
6.8㎞、8814歩の道のりでした。
高低差約200メートルを登って下りてきました。