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「昔の光 今いずこ……」の城跡散策① [ふるさと]

「ご出身はどちら?」と聞かれれば
「滝廉太郎の『荒城の月』のお城、あの近くです。」
たいていの方に納得してもらえます。隣町の我が家からは車で10分。


その岡城趾、四季折々 いつでも見応えのある風景が楽しめます。


今日の夕刻の風景。

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大野川の二つの支流に囲まれた台地の上にある堅牢な山城です。


休みをとった月曜日、このお城跡を散策しました。
観光客は絶対に行けない地元民ならではの散策です。


ちょっと調べると
「海抜325mの台地、その広さは実面積で100万㎡、その広さは東京ドーム(46.755㎡)の22個分にあたる。」とありました。
実に大きな山城なんです。


地図をどうぞ。




その南側の河原に立ったのは月曜日の午後。
水量の減った白い河原を歩いて渡る……という遊びから始まりました。

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ガードレールが見えていますが、これはいつも通る国道502号。
白い看板のようなものが見えますか?
そこが目的地。
川を挟んで見える岡城趾の古い登城口です。

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いつも対岸に見えていた古い登城口に行ってみたくなって、
水量の減った河原伝いに行こうとしたわけです。

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ああ、もう行けない……と思っても
夫は上手に道筋を見つけてずんずん進んでいきます。

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写真を撮りながらついていくのは大変。
流れを跳び越える所も何カ所かあります。
思ったより「跳べなく」なっています。やばい、やばい。
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何とかたどり着きそうです。

目的地周辺には、古い石垣が残っています。
昨年の水害でたいそうな水が流れたのですが、
その後で、草に覆われていた石垣が対岸からもよく見えるようになりました。

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たどり着きました。
たくさんの遺構が周辺に様々な形で残されています。
この場所もその一部なのです。
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お城の全貌は下からは見えません。
空からでも見ないと……。
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コメント 6

ほわいとほーく

学生の頃、八幡浜港からフェリーに原付バイクを積んで臼杵港に下り立ち、長崎へ帰る途中で岡城跡に立ち寄ったことを鮮明に記憶しています。
原付で長崎〜宇和島を往復なんて、今では想像もつきませんが当時は楽しんでやってたんですね~。
その頃の時代に戻れるものなら戻りたいなぁ・・・
by ほわいとほーく (2014-11-19 23:31) 

コック長

土井晩翠、滝廉太郎のふたりは言うまでもない天才ですね
滝がなぜその城跡を選んだのかに興味があります
どんな縁が滝と岡城址を結びつけたのでしょうね

by コック長 (2014-11-20 08:55) 

Long

幼稚園のころ城壁に登り気が付いたら病院のベット、社会人となり初めてのデ-トが岡城、内の嫁はん竹田の人 魚住ダムの桜
入田での魚釣りブームになる前の白水ダム 随分時間がたちました、
今思うと、あの頃の若き日を懐かしむ年齢になりました。
by Long (2014-11-20 18:15) 

ちはやママ

>ほわいとほーく様

岡城趾に来られたことがあったのですね。
原付で長崎~宇和島とは!!
これも一つの武勇伝ですね。
岡城趾はたぶんその頃とほとんど変わっていないと思いますよ。
いつかご家族でお越しください。
by ちはやママ (2014-11-20 21:06) 

ちはやママ

>コック長様

滝廉太郎は12歳の頃竹田市にいたそうです。
そんなに長くいたわけではなさそうですが、
作曲を依頼された晩翠の詩に出会った そのときに
この城跡が重なったのでしょうか。
知ってるようで知らない蓮太郎のことを
ちょっと調べただけでいろいろ発見がありました。

今回は城跡の廉太郎さんには会っていません。
by ちはやママ (2014-11-20 21:13) 

ちはやママ

>Long様

そういえば竹田とはご縁が深かったのでしたね!!

石垣に登ったのですか?これも武勇伝ですねえ!!
あの石垣をゆっくり眺めに
もう一度行きたくなりました。
近々いってみようと思います。
今、紅葉がきれいですよ。
by ちはやママ (2014-11-20 21:18) 

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