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うちの庭にもニョロニョロが! [びっくり]


先日、大分県立美術館のムーミン展を見に行った。


https://www.opam.jp/exhibitions/detail/509



トーベ・ヤンソンの原画がすばらしくて、
時間が経つのも忘れるほど。



ゴムをかけた後の鉛筆の線が残っているのや、
細いペン線の黒と余白のバランスだとか、
作家の息づかいが感じられるようで、
眼鏡を外して(近眼なので)、顔をかなり近づけて見てきた。



図録は欲しかったけれど、あまりに高かったから、
海と森の挿絵がきれいな文庫本を二冊買ってきた。


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ミーのように髪をお団子にしていったら割引があったらしい。
山口県立美術館のポンペイ壁画展の招待券には温泉券が付いていたけれど、
オーパムもなかなか。



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セントレアからいっきにヘルシンキまで行ってしまいたいと
思うような原画展だった。


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さて、この長雨。


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九州北部がかなりの被害なのも心配。
梅雨の末期みたいな豪雨に、地球環境はどうなっちゃったんだと
不安は増すばかり。




早くスカッとした青空を眺めたいものだと思いつつ、庭の様子を見に行ったら、
植え込みの下にニョロニョロがいた。
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白いニョロニョロ。


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色がついたニョロニョロ。


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それに、こんなのも。


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池の端にはこんなのもいてびっくり。


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じめじめした日が続くと、
庭の環境も変わるみたいだ。


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まだ雨が続くという。
こちらにも心配なところは多い。
気象情報に注意していたい。
皆様もお気をつけて。


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青柚子のお酒 [お酒]

わが家の豊後梅で作った梅酒がけっこう美味しくて、
残りが少なくなってしまいました。


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さて、どうしたものか。


そうそう、わが家には、柚子があるじゃありませんか。



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8月も終わりの今、
柚子の実がけっこう大きくなっています。
お母ちゃんが、「切ってしまえ」という柚子なのですが、
花がよい香りなので、抵抗しています。


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ネットで調べたら、青柚子もお酒にできるみたいです。


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やってみましょう。


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皮と実を分けるのに苦労するけれど、
よい香りに包まれて幸せ。


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12個使いました。
皮を剝いて、白い部分を取り除いて、実の部分だけにします。
消毒した瓶に、
まず、実の部分を入れて、それから皮を入れて、氷砂糖は200グラム、
ホワイトリカーを1.8リットル。



美味しいお酒になりますように。



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皮を10日ぐらいで取り出して、実を一ヶ月後に取り出して、
三ヶ月ごろが飲み頃になるそうな。



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どんなお酒になるか、請うご期待。







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愛用のコーヒーカップが…… [よいもの]

私たちは、湯布院の陶芸作家ご夫婦の作品を愛用している。


https://chihaya2011.blog.so-net.ne.jp/2015-11-23


2015年に手に入れたカップは肥後仁美さんの作品で、
毎朝コーヒーを飲むのに使ってきた。


https://chihaya2011.blog.so-net.ne.jp/2015-11-24



が、数日前、コーヒーを飲もうとしたら……ガーン。


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二つのうちの一個が欠けているではないか。


仁美さん、ごめんなさい。
いつ欠けたかわからないの……。

とても良いカップだったのに。
捨てるのはもったいないくらいの傷だけど、右手で持つとちょうど唇に当たる。





割と大きなマグカップなので、用途を変えることにした。



近くの農業専門店に行くと、
多肉植物のコーナーがあって、かわいいのがあった。


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夫が工具で上手に水抜きの穴を開けてくれた。


どうでしょう?


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多肉植物は、グラプトベリア・シルバースターという名前。


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これからも大事にします。



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さて、かわりのカップを湯布院に買いに行こうかな。


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88歳は大谷君がお気に入り [びっくり]

サンデー毎日でいいなあと思うのは、
しょっちゅうLAAの大谷君の応援ができることである。

三年前のヤフオクドーム、
「一番ピッチャー大谷」で、一回初球ホームランという歴史に残る試合を目撃したのは
貴重な体験であった。



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私たちはもちろん、大谷君のファンであるが、
88歳のお母ちゃんは、熱烈な大谷ファンである。
テレビで彼を観る度に「かわいいなあ。」と言っている。



日本のプロ野球を見ていても甲子園の高校球児を見ていても
オオタは出てないか?」と言う。


「これは、高校生。だからオオタニは出てないよ。」
というような会話が連日繰り返されている。



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娘にお母ちゃんのことを頼んで、長門のレースに行ったとき、
家に帰ったら娘が
「今日は大谷君がつきあってくれてる。」と言う。
テレビでは大谷の特番があっていて、お母ちゃんは食い入るように観ていた。
「オオタは、出る度打つなあ。」
それは、打つシーンばかり集めてあるからだよ、お母ちゃん。



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お母ちゃんは、野球のルールはあまり知らないが、
イケメンの野球選手は好きである。
昔、保険の外交をしていた時代、
「巨人の定岡が保険に入ってくれる夢を見た。」と言って大笑いしたことがある。
その後は、ソフトバンクの和田。彼が試合に出ると盛り上がっていた。



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20日の夕食時である。
TVでは、京セラドームの阪神対DeNAの試合が放映されていた。
突然、お母ちゃんが「大谷が出ている。」と言う。
「日本の試合に出てるはずないやん。」と私たち。

「いいや、大谷って大きく書いてある。」とお母ちゃんはゆずらない。

「どこに?」

……画面に映ったのは、
内野席下の「龍谷大学」の広告であった。


確かに「谷大」。


めざといな!お母ちゃん。



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これだけの熱烈ファンがいるのだから、大谷君には頑張ってもらいたいものである。





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※写真は、21日の大谷君。この頃調子がイイネ!



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残暑お見舞い申し上げます。 [雑感]

台風が過ぎても
蒸し暑い毎日が続いています。


台風が過ぎた日の夕方です。


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送り火が風に煽られていました。


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ハナも一緒に送り火。


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百日草は、風に負けませんでした。


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台風の後は、ぐずぐずした天気が続いています。



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最近のハナは、夕方になると、パトロールに出かけます。



しばらくお隣の畑との境にいて、


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夕涼みをしていたかと思うと、ふいといなくなって……


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そして、夜中に帰ってきます。これが、ハナのルーティーン。






20日の今日も、昼間はむし暑かったです。
湿度が高く、ちょっとうんざりな毎日です。


でも、草むしりをしていると
ああ、季節は変わっていっているんだなと感じます。
雑草の種類が変わってきました。


そして、ハーブが花をつけるようになりました。


トマトのサラダに使ったディルの花は、夏の名残の花火。


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タイミント。


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ヒソップ。


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パイナップルセージは、
あまり使うことがなかったな。

人間より、こいつ等が喜んで食べています。
赤い花が咲くまで、葉っぱがなくならないとよいけれど。

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タイムやローズマリーが青々としているうちに、ハーブソルトを作りましょう。
生のハーブを使ったハーブソルトは、この夏、けっこう料理に使いました。


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家に送られてくるカタログには、
もう次の春の球根がたくさん出ていました。



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夏の花はまだ元気で、秋の花は今からなのにな。



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野菜畑も、キュウリやトマトは終わりましたが、
ナス、ゴーヤ、オクラ、ピーマンはまだまだ元気。


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そうしているうちに、秋から冬にかけての畑の準備が待っています。



……サンデー毎日はけっこうすることが多くて、
  サンデーがなくなってしまった気分になっている今日この頃。









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お酒にまつわる話② [お酒]

今夜は日本酒にまつわる話を。


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【その1】


地酒ブームが起こったのはいつ頃だったでしょうか。
ウィキさんの説明では、1980年代に日本酒辛口ブームが起こったとか。
1990年代は、吟醸酒ブームだったらいしです。



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たぶん、その頃だったと思います。


ある日、お母ちゃんが「たまご酒」を作りました。
お母ちゃんは、たまご酒が大好きです。


たまご酒は、冷たいお酒とたまごを混ぜて、
よくかきまぜながらゆるゆる温めて作ると美味しいです。
お母ちゃんが、念を入れて作った「たまご酒」は会心のできだったらしく、
美味しい、美味しいと飲んでいました。


しかし、そのお酒は、当時の地酒ブームに乗って夫が手に入れた
とても高くて美味しい日本酒やったです。
「たまご酒」は美味しいはずです。


美味しくて高い日本酒がたまご酒に使われたことに
夫は怒りました。

「こんな良い酒をたまご酒にするなんて!」


お母ちゃんが、そんな夫に言った言葉。

「親が、美味しいと喜んで飲んでいるのだから、文句は言うな!」

返す言葉はありませんね。



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【その2】


古くからある地元の酒屋でも吟醸酒が作られるようになって、
美味しい吟醸酒が楽に手に入るようになりました。
地元の若い酒屋さんが一生懸命研究して、今や有名な酒蔵になっています。





夫が隣保班の班長をして、わが家で隣保班の飲み会がありました。

お母ちゃんが、集まった女性用に、例の「たまご酒」を作りました。
あるおばちゃんが、「美味しい、一度に飲めないから持って帰っていい?」

私は、紙コップに入れてラップをかけて持たせてあげました。
すると、他のおばちゃんたちが
「わたしも!」「わたしも!」と……。
私は配りましたがな、皆さんに。


たまご酒は、ほとんどなくなりました。


でも、もうお気づきだと思うのですが、
たまご酒に使われたお酒は、純米大吟醸やったです。


大吟醸の酒瓶、ほとんどなくなっているのに気づいた夫は、
またもや憤りましたが、後の祭り。


お母ちゃんは、夫の怒りをかわすべく、
「持って帰るとは何事か!」
と怒りの矛先を余所に向けようとしていましたが、
それは、自分の取り分が少なくなった怒りやったと思います。


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             ※今日の写真は、熊本県玉名の酒蔵の奥様からいただいたお酒。
              奥様は娘の日舞の先生でした。超美味です。




教訓を得ました。

「美味しいお酒を、たまご酒に使われるような、そんな所に置いておく方が悪い。」

それ以来、たまご酒にされたらたまらないお酒を手に入れたときは、
それは冷蔵庫の奥深くに潜め、
普通の日本酒をお母ちゃんの目にふれるところに置いて
カモフラージュしています。



あれから十数年、去年また隣保班長がめぐってきました。
今度の宴会では、普通のお酒でたまご酒を作りました。
「持って帰る」と言った人はいませんでした。





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お酒にまつわる話① [お酒]

世の中、イチローズモルトのカードシリーズ54本が、
なんと約一億円で競り落とされたニュースで湧いておりますが、
国産のウイスキーが高く評価されたことはすばらしいことですね。
やはりそろってるというので価値も上がるのでしょうねえ。



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             ※写真のウイスキーは、スコッチウイスキーです。
              最近 日本のウイスキーは高くて買えないそうです。



……あのウイスキーは、とても美味しいお酒でした。
夫がネットで購入して、ちょこちょこ飲んでいました。
ええ、ご相伴しましたとも。こんな騒ぎになるとも知らずに。




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夫よ、あなたが10年前にネットで購入したのは
カードシリーズでは何だったの?


「記録を見るとね、
ハート7、ダイヤ3、ダイヤ6、ダイヤのクイーン、スペードの3、とか……他にもいろいろ頼んで飲んだなあ。カードシリーズだけで、十数本は飲んでる。」


54本で一億円、単純に計算すると2000万円は飲んだわけだ(^0^) 




すごく煙くさいのがあったね。
あれは、なかなか減らなかった。
革靴のつや出しにちょこっと使ったよね。こらこら。



夫「空ビンを、ネットオークションで15万円で出している人がいる。」


はあ?


わが家は、地域のゴミの出し方に従って、ちゃんと資源ゴミに出しましたがな。
でも、空ビン、買う人がいるの?買ってどうするの?


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夫が買って飲んでた頃は、そんな高くなかったです。
今ではべらぼうに高いそうです。


夫「スペードの1は380万円。」

はあ?

夫「昔飲んだ ダイヤの3は95万円、クイーンは90万円で落札!」

はあ?


なんか、ばかばかしくなってきました。
純粋に「美味しいね。」って、楽しく飲んでた頃が懐かしいです。



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お酒のことをいろいろ話してたら、
わが家のお酒にまつわる「笑い話」が思い出されましたので、
次はそのことを。



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2019台風10号 [ヨット]

イヤなコースの、大きな台風ですね。


昨日は、ヨットの様子を見に行って、
8号のときのままになっていた舫いをやり直しました。



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ハーバーでは、舫いを確認されている方が何人かいらっしゃいましたが、
ほとんど対策は終わっているようでした。


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小春さんも、すでに増し舫いを終えていらしたようでした。
今回のコースだと別府では
かなりのうねりが入ってくるので心配ですね。
立ち話をしてお別れしました。



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ひどくならないことを祈るばかりです。



豊後水道を通り抜けていくコースなんですね。



現在、14日の午後三時すぎ。

風が出て雨がひどくなってきました。
風も強いですが、かなりの雨になるそうです。

今夜行われるはずだった、お盆の送り火の行事も中止になりました。
各地でもイベントが中止されているようです。



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百日草は、台風8号の風に耐えたし、
吹き倒されていたのも、
せっかく立ち直ったのにね。


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三月末にいただいた寄せ植えの一つで、
今まで頑張って
何度か花を咲かせていたオステオスペルマム(いつまでたっても名前が覚えられない)。
今、また花をつけ始めたのに。


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ランタナも花をよくつけるようになっていたのにな。


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畑は、きゅうりやトマトががそろそろ終わりだけど、
ナスにピーマンは元気だし、オクラもどんどん実をつけるようになっているのに。


でも、これはささいなこと。


ニュースを見ていると、かなり荒れているし、交通網は混乱の様子。
「命の心配を」と訴え続けています。
家の内外をもう一度確認しようと思います。



どうか、皆様、お気をつけください。
無事に通り過ぎますように。





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お母ちゃんの戦争体験記③記憶の確認 [忘れてはいけないこと]

昭和20年5月5日、熊本と大分の県境上空あたりで、
B29と紫電改が交戦し、二機とも墜落。
その様子を女学校へ行く道で、お母ちゃんは目撃していた。





8月6日、台風8号が過ぎ去った後、
お母ちゃんを連れて、B29と紫電改が墜落した現場に向かった。



最初にB29の墜落現場を訪れた。



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ここには、地元の有志によって立てられた「殉空の碑」がある。



竹田市から久住高原へと続く県道の途中に案内板があり、
そこから2キロほど山道を走ると山間部に集落、
そこから、また1キロという、本当に山の中である。


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車を停め、碑があるところまで200メートルほど歩かなくてはならない。
大丈夫かと心配したけれど、お母ちゃんは現場を見たいのだろう、しっかり歩いていく。



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お母ちゃんの話から、田んぼか畑の中を想像していたが、
雑木林の山の中。


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今も、墜落の後が残る。


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地元の方の記憶に残った風景が、碑に刻まれている。



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お母ちゃんも、初めて訪れて、「こんな所だったんだ。」何度も呟いている。


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パラシュートで降下した乗員の最期を思うとやるせない。


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乗員12名のうち、生き残って国に帰れたのは、ただ一人だった。



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                                 B29の残骸だろうか。



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殉空の碑には、紫電改に乗っていた粕谷飛行兵曹(19歳)と
犠牲になった11名のアメリカ兵の名前が刻まれている。


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女学校からの帰り道、ユリちゃんが目撃したアメリカ兵はどの人だったのだろう。


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…………



次に、紫電改が落ちた場所を訪ねた。
方向としては、B29の墜落現場より阿蘇の方向になる。


谷を下り、山道を登り……ここもまた、深い山の中である。


場所はすぐにわかった。
立派な慰霊碑がある。



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車を停めたとき、地元の方がいて、
「この碑の世話人はあの人だよ。」と言って、
離れたところにいた麦わら帽子の方を呼んでくださった。


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偶然にも、この地での悲劇を伝える中心となって活動している方に出会えたのだ。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/533403/

麦わら帽子の方は小林さんだった。



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お母ちゃんは、自分が見た記憶を一生懸命に語り、
小林さんは、一生懸命に聞いてくださった。
紫電改が墜落したのは、この谷間。


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当時真っ先に駆けつけ、救護に当たったのは小林さんのお母さんだった。

「水をほしがって亡くなったらしい。」とお母ちゃんが言うと、
やわらかに否定し、
「身体はまだ温かかったが、すでに亡くなっていた。」と彼のお母さんの話を伝えた。
お母ちゃんは納得した。


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小林さんから直接お話を聞けたことで、
いっそう事件が身近に感じられ、
小林さんたちが収集した飛行機の部品が語るものも大きく感じられた。


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今年の夏も、テレビでは
あの戦争を体験した人たちが、戦争を知らない世代に多くのことを語りかけていた。
痛ましい思いを胸に、真摯に訴えていた。

「戦争はいけない。」


お母ちゃんも、話の合間合間に繰り返し繰り返し
「勝っても負けても戦争はいけない。」とつぶやいた。


身近な体験談から、今年の8月6日は、特別な日になった気がする。



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若者の命や未来を簡単に奪うような国に成り下がってはならない。


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お母ちゃんの戦争体験記② [忘れてはいけないこと]

今日は、8月6日。台風8号は思いの外 勢力が強かった。
今朝方から急に雨風が強まって、
ニュースなど見ながら、畑や庭の心配をしていた。
ヨットは大丈夫だったかな。



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テレビでは、台風情報と広島平和記念式典の様子が流れていた。
一方、わが家では、お母ちゃんと戦時中の記憶を確認していた。



お母ちゃんは、昭和20年に竹田の女学校の二年生。
13か14で、飛行場作りにかり出された。
前の記事では飛行場作りに行ったのが「初夏」と書いたが、
いろいろ話しているうちに4月頃ではないかという話になった。

というのも、昭和20年の5月の初めに、母は歴史に残る事件を目撃しているからだ。
「飛行場作りに行ったときの前?後?」と夫が聞くと、
しっかり
「あと。」
と答えた。


女学校二年生のユリちゃんが、飛行場作りに行ったのは一回だけ。
その後学校に戻っても授業はなく、
校庭にイモを植えたり、竹槍の訓練をしたりしていたようだ。
竹槍をついた人形には、チャーチルとかルーズベルトとか書いてあったそうだ。



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ユリちゃんは二里の道のりを歩いて女学校に通っていたが、
朝の8時ごろは、東側から竹田市に入るトンネルを通る。
(竹田の城下町から有名な山城「岡城趾」へと続く道の下になる。)
「毎朝 そのトンネルのところで空襲警報が鳴る。」
と当時を語る。
そして、そのトンネルの中で警報解除を待つ。



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昔はもっと狭く、暗かった。



昭和20年、5月5日。

やはり空襲警報がなって、そのトンネルの中にいたら、
飛行機の音がして、
パンパンパンと撃ち合うような激しい音が鳴り響いた。
(音の表現はうまく言い表せないが、銃撃の音のようだ。爆発音ではない。)

トンネルの中にいた人たちと一緒にユリちゃんは飛び出した。

すると、高いところから、
大きな飛行機と小さな飛行機が燃えながら落ちている。


ユリちゃんたちは、
もっとよく見ようとして岡城趾へと続く坂道を駆け上がった。

そのとき、落下傘がいくつか落ちていくのが見えたという。



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山間の町中から、偶然に見た狭い空の風景。



大きな飛行機は、北九州方面の攻撃後帰投中だったB29、
小さな飛行機は、大村基地から追撃した紫電改である。



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紫電改は、熊本県境に近い竹田市久保の谷間に墜落し、
B29は、そこから東北東に9キロほど離れた竹田市平田の山間部に墜落した。

搭乗していた米兵12名は、熊本大分県境、竹田などに落下傘で降下し、
そのうち、墜落現場の平田付近では2名が捕らえられた。



後に捕虜の扱いとして凄惨な事件につながるB29の墜落を
ユリちゃんは目撃していたのだ。


    ※遠藤周作の「海と毒薬」で描かれたこの事件に関しては、
     私の拙い文章ではまとめることができない。
     また、墜落に到るまでの状況についてもネットで情報が多いので、
     そちらを参考にしていただきたい。
     私は、お母ちゃんの記憶を留めるだけにする。


     https://www.nishinippon.co.jp/item/n/469484/                         


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その日、女学校は慌ただしく終わった。
ユリちゃんたちは、昼頃下校する。
すでに、竹田のどこに飛行機が落ちたかということは明らかで、
現場を見に行くという生徒も多くいたようだ。


ユリちゃんは、現場に行かず下校する。
その帰り道のことだ。
女学校からちょっと歩いたところにある竹田警察署のところに来たとき、
通行を止められた。

何だろうと見ていると、
ジープのようなトラックが来て、警察署の前に停まって、
その荷台から、アメリカ兵が降りてきた。
(母の記憶では二人。)

初めて見たアメリカ兵(外国人)はとても大きかった。

そのアメリカ兵は堂々と歩いて、警察署に入っていった。

シャツは血だらけだったが、その血はもう乾いていた。
(この辺りの記憶は鮮やかで、何度話してもブレがない。)



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そして、その後のユリちゃんたちの情報交換の記憶。


その日現場を見に行った生徒によると、
墜落現場は縄を張って立ち入り禁止になっていた。
いろいろなものが散らばっていたが、
飴など食べ物もいっぱい散らばっていた。


墜落した小さい飛行機の日本兵は、大けがをしていて、
水をほしがったが、地元の人が水を飲ませたらすぐに亡くなった。

(この部分の記憶は、ネットの情報と食い違うので、
記憶違いと思われたが、 母はそう聞かされていたのだろう、
何度も繰り返していたので否定できなかった。)



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ここまで確認したところで、台風は通り過ぎた。
雨も風も止み、静かになった。


……というわけで、お母ちゃんを連れて、実地調査に出ることになった。
それは次の記事で。


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