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お母ちゃんの戦争体験記② [忘れてはいけないこと]

今日は、8月6日。台風8号は思いの外 勢力が強かった。
今朝方から急に雨風が強まって、
ニュースなど見ながら、畑や庭の心配をしていた。
ヨットは大丈夫だったかな。



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テレビでは、台風情報と広島平和記念式典の様子が流れていた。
一方、わが家では、お母ちゃんと戦時中の記憶を確認していた。



お母ちゃんは、昭和20年に竹田の女学校の二年生。
13か14で、飛行場作りにかり出された。
前の記事では飛行場作りに行ったのが「初夏」と書いたが、
いろいろ話しているうちに4月頃ではないかという話になった。

というのも、昭和20年の5月の初めに、母は歴史に残る事件を目撃しているからだ。
「飛行場作りに行ったときの前?後?」と夫が聞くと、
しっかり
「あと。」
と答えた。


女学校二年生のユリちゃんが、飛行場作りに行ったのは一回だけ。
その後学校に戻っても授業はなく、
校庭にイモを植えたり、竹槍の訓練をしたりしていたようだ。
竹槍をついた人形には、チャーチルとかルーズベルトとか書いてあったそうだ。



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ユリちゃんは二里の道のりを歩いて女学校に通っていたが、
朝の8時ごろは、東側から竹田市に入るトンネルを通る。
(竹田の城下町から有名な山城「岡城趾」へと続く道の下になる。)
「毎朝 そのトンネルのところで空襲警報が鳴る。」
と当時を語る。
そして、そのトンネルの中で警報解除を待つ。



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昔はもっと狭く、暗かった。



昭和20年、5月5日。

やはり空襲警報がなって、そのトンネルの中にいたら、
飛行機の音がして、
パンパンパンと撃ち合うような激しい音が鳴り響いた。
(音の表現はうまく言い表せないが、銃撃の音のようだ。爆発音ではない。)

トンネルの中にいた人たちと一緒にユリちゃんは飛び出した。

すると、高いところから、
大きな飛行機と小さな飛行機が燃えながら落ちている。


ユリちゃんたちは、
もっとよく見ようとして岡城趾へと続く坂道を駆け上がった。

そのとき、落下傘がいくつか落ちていくのが見えたという。



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山間の町中から、偶然に見た狭い空の風景。



大きな飛行機は、北九州方面の攻撃後帰投中だったB29、
小さな飛行機は、大村基地から追撃した紫電改である。



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紫電改は、熊本県境に近い竹田市久保の谷間に墜落し、
B29は、そこから東北東に9キロほど離れた竹田市平田の山間部に墜落した。

搭乗していた米兵12名は、熊本大分県境、竹田などに落下傘で降下し、
そのうち、墜落現場の平田付近では2名が捕らえられた。



後に捕虜の扱いとして凄惨な事件につながるB29の墜落を
ユリちゃんは目撃していたのだ。


    ※遠藤周作の「海と毒薬」で描かれたこの事件に関しては、
     私の拙い文章ではまとめることができない。
     また、墜落に到るまでの状況についてもネットで情報が多いので、
     そちらを参考にしていただきたい。
     私は、お母ちゃんの記憶を留めるだけにする。


     https://www.nishinippon.co.jp/item/n/469484/                         


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その日、女学校は慌ただしく終わった。
ユリちゃんたちは、昼頃下校する。
すでに、竹田のどこに飛行機が落ちたかということは明らかで、
現場を見に行くという生徒も多くいたようだ。


ユリちゃんは、現場に行かず下校する。
その帰り道のことだ。
女学校からちょっと歩いたところにある竹田警察署のところに来たとき、
通行を止められた。

何だろうと見ていると、
ジープのようなトラックが来て、警察署の前に停まって、
その荷台から、アメリカ兵が降りてきた。
(母の記憶では二人。)

初めて見たアメリカ兵(外国人)はとても大きかった。

そのアメリカ兵は堂々と歩いて、警察署に入っていった。

シャツは血だらけだったが、その血はもう乾いていた。
(この辺りの記憶は鮮やかで、何度話してもブレがない。)



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そして、その後のユリちゃんたちの情報交換の記憶。


その日現場を見に行った生徒によると、
墜落現場は縄を張って立ち入り禁止になっていた。
いろいろなものが散らばっていたが、
飴など食べ物もいっぱい散らばっていた。


墜落した小さい飛行機の日本兵は、大けがをしていて、
水をほしがったが、地元の人が水を飲ませたらすぐに亡くなった。

(この部分の記憶は、ネットの情報と食い違うので、
記憶違いと思われたが、 母はそう聞かされていたのだろう、
何度も繰り返していたので否定できなかった。)



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ここまで確認したところで、台風は通り過ぎた。
雨も風も止み、静かになった。


……というわけで、お母ちゃんを連れて、実地調査に出ることになった。
それは次の記事で。


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コメント 2

ケース家

平和な現在から見れば衝撃的な出来事ですからはっきり覚えられてるんですね。
学校でノート破って紙飛行機作って飛ばしてた脳天気な世代には考えられない過酷な世代。
by ケース家 (2019-08-07 08:22) 

ちはやママ

>ケース家様

せっかく女学校に入ったのに、
勉強できないで作業ばかり!とお母ちゃんは憤ってましたね。

過酷な時代を生きた人たちの願いを
しっかり聞いてほしいですね!
国を動かす人たちは!
by ちはやママ (2019-08-07 17:26) 

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