竹田の城下を歩こう④若い人の「竹田」 [街歩き]
お城跡だけでなく竹田の街中でも「歩く人」。
今回は「竹田の未来をつくる若い人」に出会ったことを。
岡城跡の事務所の方が
「竹田荘公園からの眺めがよい。」と教えてくださったので、
そちらに行ってみました。(写真はずいぶん前になりますが。)
画聖といわれた田能村竹田先生のお家が近くで、
歴史資料館由学館の上あたりになります。
小高い丘に登る道が整備されています。
ほお、城下を南から眺めるとこんな感じなんですね。
(東・西・南から城下を眺め、あとは北からの眺めを残すのみ。)
左手方向に愛染堂や唐橋君山先生のお墓のあった竹林。
右下が竹田荘、その向こうに広瀬神社、そして岡城跡が見えます。
大きくしてみましょう。西の丸ですね。
我が町もそうですが、竹田市も人口は減少するばかり。
歩いていると手の入っていない家屋や土地がけっこう多いです。
「いい場所なんだけどね。」と残念な気持ちになりますが、仕方ありません。
下の写真の黄色とピンクの矢印の下にも空き地があります。
ぶらぶら歩いていて、ここで若い人たちに出会いました。
2月19日のことです。
まず黄色のところ、中心部辺りです。
若い人がたくさん居たので、
「何かイベントなのかな?」と思って立ち寄ったのですが、
13時から竹のドームを作るというパフォーマンスをするのだという話でした。
???
この後、岡城歩きをするつもりだったので、
ドーム作りまでは見られそうにないけれど、
ここでお店を開いていた若いご夫婦のコーヒーをいただくことにしました。
とっても美味しいコーヒーです。
https://www.facebook.com/pg/nageiacoffee/posts/
ご夫婦は、男性が竹田出身。
定期的にこの場所でコーヒー店をやっているとのこと。
クッキーも美味しい。
クッキーの製作者は上の写真の左端の方。
この方もつれあいさんが竹田の方で、こちらに帰って来られたのだとか。
そして、水色の服の方に後でまた出会うことになります。
さあ、岡城に行きましょうかということだったのですが、
さきほどのクッキー作りの方が竹田市立図書館の近くで、
スパイスの効いた調味料などを売っているとのことで、
そちらに行ってみることにします。
図書館の裏手に来ました。ピンクの矢印の下辺り。
ここは、先日歩いたばかりの道です。
たくさんの仏様がいらっしゃる瑞泉寺の下辺りです。
「あれ?ここでも何かやってる。」
聞いて見ると、大分大学の若い学生さんが、
「大学の先生と一緒に空き地の活用を考えています。」
明るい笑顔で教えてくださいました。
おもしろいこと、やってるなあ。
さっきコーヒーを飲んだ空き地と同じ仲間のようで、
先生は水色の上着の方と気づきました。
「もう少ししたら、ピザが焼けますよ。」
ピザにひかれて、岡城行きは中止。
前々から来るつもりだった竹田市立図書館に行き先変更。
図書館でしばらく調べ物をしていました。
そして、再び様子を見に行って、大学の先生からもお話を聞くことができました。
ピザもちゃっかりいただきました。
「竹田空き地戦略本部」で検索してみてください。
https://www.instagram.com/taketa_akichi/
私はinstagramもFacebookもやってないので、夫のFacebookから。
竹のドームの写真もありました。
こんなリードで活動の報告がされています。
「今だからこそ、屋外空間で何ができるだろう?
大分県竹田市で空き地の活用方法を考えています。
ワークショップやイベントなど不定期開催。」
地域の方が立ち寄ったり高校生がのぞきに来たり……。
コミュニケーションの拡がるおもしろそうな空間作りが始まっていました。
これからどんな活動が行われていくのでしょうか。
街に活気をもたらす「何か」が生まれるといいですね。
若夫婦のコーヒー店は、3月からこの場所のすぐ近くで営業するそうです。
図書館には近いし、散策途中の楽しみのひとつになりそう。
竹田の街が好きで帰ってきた(やってきた)若者たち。
そして、竹田の街中の空き地で何かを始めようとしている若者たち。
「続ける」ということはエネルギーの要ることだと思いますが、
彼らのエネルギーが竹田の未来を明るくしてくれると信じています。
今回は「竹田の未来をつくる若い人」に出会ったことを。
岡城跡の事務所の方が
「竹田荘公園からの眺めがよい。」と教えてくださったので、
そちらに行ってみました。(写真はずいぶん前になりますが。)
画聖といわれた田能村竹田先生のお家が近くで、
歴史資料館由学館の上あたりになります。
小高い丘に登る道が整備されています。
ほお、城下を南から眺めるとこんな感じなんですね。
(東・西・南から城下を眺め、あとは北からの眺めを残すのみ。)
左手方向に愛染堂や唐橋君山先生のお墓のあった竹林。
右下が竹田荘、その向こうに広瀬神社、そして岡城跡が見えます。
大きくしてみましょう。西の丸ですね。
我が町もそうですが、竹田市も人口は減少するばかり。
歩いていると手の入っていない家屋や土地がけっこう多いです。
「いい場所なんだけどね。」と残念な気持ちになりますが、仕方ありません。
下の写真の黄色とピンクの矢印の下にも空き地があります。
ぶらぶら歩いていて、ここで若い人たちに出会いました。
2月19日のことです。
まず黄色のところ、中心部辺りです。
若い人がたくさん居たので、
「何かイベントなのかな?」と思って立ち寄ったのですが、
13時から竹のドームを作るというパフォーマンスをするのだという話でした。
???
この後、岡城歩きをするつもりだったので、
ドーム作りまでは見られそうにないけれど、
ここでお店を開いていた若いご夫婦のコーヒーをいただくことにしました。
とっても美味しいコーヒーです。
https://www.facebook.com/pg/nageiacoffee/posts/
ご夫婦は、男性が竹田出身。
定期的にこの場所でコーヒー店をやっているとのこと。
クッキーも美味しい。
クッキーの製作者は上の写真の左端の方。
この方もつれあいさんが竹田の方で、こちらに帰って来られたのだとか。
そして、水色の服の方に後でまた出会うことになります。
さあ、岡城に行きましょうかということだったのですが、
さきほどのクッキー作りの方が竹田市立図書館の近くで、
スパイスの効いた調味料などを売っているとのことで、
そちらに行ってみることにします。
図書館の裏手に来ました。ピンクの矢印の下辺り。
ここは、先日歩いたばかりの道です。
たくさんの仏様がいらっしゃる瑞泉寺の下辺りです。
「あれ?ここでも何かやってる。」
聞いて見ると、大分大学の若い学生さんが、
「大学の先生と一緒に空き地の活用を考えています。」
明るい笑顔で教えてくださいました。
おもしろいこと、やってるなあ。
さっきコーヒーを飲んだ空き地と同じ仲間のようで、
先生は水色の上着の方と気づきました。
「もう少ししたら、ピザが焼けますよ。」
ピザにひかれて、岡城行きは中止。
前々から来るつもりだった竹田市立図書館に行き先変更。
図書館でしばらく調べ物をしていました。
そして、再び様子を見に行って、大学の先生からもお話を聞くことができました。
ピザもちゃっかりいただきました。
「竹田空き地戦略本部」で検索してみてください。
https://www.instagram.com/taketa_akichi/
私はinstagramもFacebookもやってないので、夫のFacebookから。
竹のドームの写真もありました。
こんなリードで活動の報告がされています。
「今だからこそ、屋外空間で何ができるだろう?
大分県竹田市で空き地の活用方法を考えています。
ワークショップやイベントなど不定期開催。」
地域の方が立ち寄ったり高校生がのぞきに来たり……。
コミュニケーションの拡がるおもしろそうな空間作りが始まっていました。
これからどんな活動が行われていくのでしょうか。
街に活気をもたらす「何か」が生まれるといいですね。
若夫婦のコーヒー店は、3月からこの場所のすぐ近くで営業するそうです。
図書館には近いし、散策途中の楽しみのひとつになりそう。
竹田の街が好きで帰ってきた(やってきた)若者たち。
そして、竹田の街中の空き地で何かを始めようとしている若者たち。
「続ける」ということはエネルギーの要ることだと思いますが、
彼らのエネルギーが竹田の未来を明るくしてくれると信じています。
竹田の城下を歩こう③墓石の短歌 [街歩き]
2月17日、吹雪の後の西の丸です。
強い風が吹いています。
雪雲が騎牟礼城の背後に近づいて、おかげで古城がくっきり。
話題を円の中、唐橋君山先生のお墓がある竹林に戻しましょう。
墓碑銘が写真に上手く撮れていない、
記事にしようとしたら写真の構図が悪い……とか何とかで、
この記事をアップするまでに4回も通った私たちです。
最初は「え?ここ?」というような竹藪をくぐって行ったのですが、
きちんとした道もあって、そこは散策にはもってこいの道なのです。
佐藤義美記念館そばの駐車場から大正公園に登る道を使います。
川沿いの階段を登れば、まあ、よい眺め。竹田駅がよく見えます。
愛染堂の裏道を通って、立派なお墓のある区画を通れば
唐橋君山先生のお墓が見えました。
夫が取り憑かれたのは、君山先生の顕彰碑の奥の「一対」の墓石です。
普通のお墓と自然石のお墓が同じ囲みの中にあります。
囲みの中には「八雲會員」と銘がうたれた灯籠があります。
もう誰もお参りする人は居ないのでしょうか。
雑木が生え、葛が絡まり、苔が生え……。
普通の墓石の方は明治44年9月に亡くなっています。
お名前と没年月日のみ刻まれています。戒名はありません。
隣のお墓の方は、大正2年11月に亡くなられているのですが、
お名前は無く、「一睡老人墓」と書かれているだけ。
そして、歌が一首。
夫はこの三十一文字がどうしても気になるようです。
解読が始まりました。
変体仮名がその場ではわからないので、写真に撮って帰って調べ始めました。
夫の机の上には、「くずし字用例辞典」「くずし字解読辞典」……。
幸いきれいな仮名文字なので、歌は解読できました。
「左をし可能ふむ音多えしや萬可希農 に者能落葉にあら禮婦類也 〇〇」
↓
「さをしかのふむ音たえしやまかげの にはの落葉にあられふるなり 〇〇」
三十一文字は解読できました。ただ、そのそばに書かれた〇〇が読めないのです。
「子」と「菲」なのかなあ?
これは、名前なのでしょうか。それとも?……わかりません。
この墓石をめぐって
二人でいろんなことを想像しています。
ふたつの墓石の人の関係は?
歌の作者はどういう人なの?
灯籠の「八雲会」とは?
「小牡(男)鹿のふむ音が絶える」という歌の意味するところは?
……などなど。
唐橋君山先生のお墓のすぐそばというのも興味深いですね。
かつては、竹田のお城や町を眺められたであろう場所に、
並んだ墓石があって、その一つには歌がしたためられている。
さりげなく、いつ朽ちてもよいように、でも何かの「想い」が残るように……。
そんな「想い」に囚われて、まだいろいろ調べています。
「知りたいこと・調べたいこと」に出会えるのも楽しい街歩きです。
竹田の街も奥が深い。
……さて、過去に遡る街歩きを楽しんでいる私たちですが、
街歩きで「未来」にも出会いました。
これについては、また今度。
ホントに竹田っておもしろいわ。
強い風が吹いています。
雪雲が騎牟礼城の背後に近づいて、おかげで古城がくっきり。
話題を円の中、唐橋君山先生のお墓がある竹林に戻しましょう。
墓碑銘が写真に上手く撮れていない、
記事にしようとしたら写真の構図が悪い……とか何とかで、
この記事をアップするまでに4回も通った私たちです。
最初は「え?ここ?」というような竹藪をくぐって行ったのですが、
きちんとした道もあって、そこは散策にはもってこいの道なのです。
佐藤義美記念館そばの駐車場から大正公園に登る道を使います。
川沿いの階段を登れば、まあ、よい眺め。竹田駅がよく見えます。
愛染堂の裏道を通って、立派なお墓のある区画を通れば
唐橋君山先生のお墓が見えました。
夫が取り憑かれたのは、君山先生の顕彰碑の奥の「一対」の墓石です。
普通のお墓と自然石のお墓が同じ囲みの中にあります。
囲みの中には「八雲會員」と銘がうたれた灯籠があります。
もう誰もお参りする人は居ないのでしょうか。
雑木が生え、葛が絡まり、苔が生え……。
普通の墓石の方は明治44年9月に亡くなっています。
お名前と没年月日のみ刻まれています。戒名はありません。
隣のお墓の方は、大正2年11月に亡くなられているのですが、
お名前は無く、「一睡老人墓」と書かれているだけ。
そして、歌が一首。
夫はこの三十一文字がどうしても気になるようです。
解読が始まりました。
変体仮名がその場ではわからないので、写真に撮って帰って調べ始めました。
夫の机の上には、「くずし字用例辞典」「くずし字解読辞典」……。
幸いきれいな仮名文字なので、歌は解読できました。
「左をし可能ふむ音多えしや萬可希農 に者能落葉にあら禮婦類也 〇〇」
↓
「さをしかのふむ音たえしやまかげの にはの落葉にあられふるなり 〇〇」
三十一文字は解読できました。ただ、そのそばに書かれた〇〇が読めないのです。
「子」と「菲」なのかなあ?
これは、名前なのでしょうか。それとも?……わかりません。
この墓石をめぐって
二人でいろんなことを想像しています。
ふたつの墓石の人の関係は?
歌の作者はどういう人なの?
灯籠の「八雲会」とは?
「小牡(男)鹿のふむ音が絶える」という歌の意味するところは?
……などなど。
唐橋君山先生のお墓のすぐそばというのも興味深いですね。
かつては、竹田のお城や町を眺められたであろう場所に、
並んだ墓石があって、その一つには歌がしたためられている。
さりげなく、いつ朽ちてもよいように、でも何かの「想い」が残るように……。
そんな「想い」に囚われて、まだいろいろ調べています。
「知りたいこと・調べたいこと」に出会えるのも楽しい街歩きです。
竹田の街も奥が深い。
……さて、過去に遡る街歩きを楽しんでいる私たちですが、
街歩きで「未来」にも出会いました。
これについては、また今度。
ホントに竹田っておもしろいわ。
竹田の城下を歩こう② [街歩き]
竹田の城下で「歩く人」をやっております。
願成院愛染堂への石段を登っております。
竹田に観光に来られたら、この一帯を歩かれるとよいですね。
興味深いものがたくさんありますし、眺めもよいのですよ。
愛染堂に着きました。
竹田市で一番古い建物で、国の重要文化財にも指定されています。
「明治になってここにあった大勝院というお寺が廃寺になった。
岡城の願成院がここに移ってきて、旧大勝院の愛染堂を本堂とした。」
というようなことが案内板に書かれてありました。
愛宕山の願成院は、江戸時代の岡藩における密教の中心寺院でした。
ですから、大量の「密教仏画」のお宝を保管していたのだそうです。
岡城の願成院って、藪になる前は本当にすごいところだったんですねえ……。
https://chihaya2011.blog.ss-blog.jp/2021-02-03
「大分県埋蔵文化センター(大分市牧緑町)で、願成院のお宝を公開している」
と由学館の学芸員さんが教えてくださったので、
カワサキプラザに行った後、ついでに見てきたんですよ。
現在は曼荼羅を展示中でした。
これがまたすばらしい。
このお宝はもともと「今は藪」のあそこにあったのか……と
藪の探索をしたおかげで、感慨もひとしおなのでした。
歩くって大事。
今年初めておみくじ引きました。まずまず。
愛染堂の裏に回っていくと散策道があります。
「四国八十八カ所?」
ここだけ参拝すればよいのでしょうか?
愛染堂は裏から見る佇まいもよいですね。
散策道は、見晴らしの良い高台にある大正公園にも続いていますが、
私たちは円通閣の方に向かいます。
円通閣は何とも味わい深い構造になっています。
ちょっと唐風で、エキゾチック。
江戸時代の竹田の文人画聖、儒学者達が集った場所と思うと
なおさらそう感じるのかも知れません。
円通閣から丘の中腹を散策道が続き、
東に竹田の城下やお城を眺めながら歩いて行きます。
西からの竹田の城下。通ってきた瑞泉寺も見えます。
瑞泉寺の裏山と岡城の間には谷がふたつありますが、写真では近くに見えますね。
竹田の街を見下ろす山の中には墓地がたくさんあります。
おや、先ほどの円通閣に集った学者の一人、唐橋君山先生のお墓がありますね。
唐橋君山先生は、「豊後国史」の編纂者で
岡藩八代藩主に招かれ、岡藩の医学、教育等に貢献された方です。
岡藩の藩校「由学館」の教授として多くの人材を育てました。
南画家田能村竹田もその一人です。
知れば知るほど立派な人じゃないですか。そんな岡藩の恩人のお墓が……ここ?
田能村竹田先生の墓所は立派だったよ~。
また、藪?
竹藪を抜けると立派なお墓がありました。
このお墓は、小富士山にある八代藩主中川久貞公のお墓と同じ形です。
君山先生の功績と関係があるのかもしれません。
こちらのお墓に来るには散策道からではなくて、
大正公園への登り口から入った方がきちんとした道になっています。
でも、案内板の所からだと踏み込むのを躊躇します。
岡藩の恩人のお墓が竹林の中に埋もれてしまっているのはちょっと残念な気がしました。
実は、ここで夫が取り憑かれたんです。
唐橋君山先生のお墓ではなくて、その近くにあるお墓に……。
このお墓の写真がよく撮れてないじゃないかとのたもうて、
ここにあと二回も墓石を見にくることになったんです。
え~、何でそんなお墓にこだわるのかわかんない。
もう取り憑かれたとしか思えないんだけど。
この人の好奇心って、いったい……。 もう少し続けます。
願成院愛染堂への石段を登っております。
竹田に観光に来られたら、この一帯を歩かれるとよいですね。
興味深いものがたくさんありますし、眺めもよいのですよ。
愛染堂に着きました。
竹田市で一番古い建物で、国の重要文化財にも指定されています。
「明治になってここにあった大勝院というお寺が廃寺になった。
岡城の願成院がここに移ってきて、旧大勝院の愛染堂を本堂とした。」
というようなことが案内板に書かれてありました。
愛宕山の願成院は、江戸時代の岡藩における密教の中心寺院でした。
ですから、大量の「密教仏画」のお宝を保管していたのだそうです。
岡城の願成院って、藪になる前は本当にすごいところだったんですねえ……。
https://chihaya2011.blog.ss-blog.jp/2021-02-03
「大分県埋蔵文化センター(大分市牧緑町)で、願成院のお宝を公開している」
と由学館の学芸員さんが教えてくださったので、
カワサキプラザに行った後、ついでに見てきたんですよ。
現在は曼荼羅を展示中でした。
これがまたすばらしい。
このお宝はもともと「今は藪」のあそこにあったのか……と
藪の探索をしたおかげで、感慨もひとしおなのでした。
歩くって大事。
今年初めておみくじ引きました。まずまず。
愛染堂の裏に回っていくと散策道があります。
「四国八十八カ所?」
ここだけ参拝すればよいのでしょうか?
愛染堂は裏から見る佇まいもよいですね。
散策道は、見晴らしの良い高台にある大正公園にも続いていますが、
私たちは円通閣の方に向かいます。
円通閣は何とも味わい深い構造になっています。
ちょっと唐風で、エキゾチック。
江戸時代の竹田の文人画聖、儒学者達が集った場所と思うと
なおさらそう感じるのかも知れません。
円通閣から丘の中腹を散策道が続き、
東に竹田の城下やお城を眺めながら歩いて行きます。
西からの竹田の城下。通ってきた瑞泉寺も見えます。
瑞泉寺の裏山と岡城の間には谷がふたつありますが、写真では近くに見えますね。
竹田の街を見下ろす山の中には墓地がたくさんあります。
おや、先ほどの円通閣に集った学者の一人、唐橋君山先生のお墓がありますね。
唐橋君山先生は、「豊後国史」の編纂者で
岡藩八代藩主に招かれ、岡藩の医学、教育等に貢献された方です。
岡藩の藩校「由学館」の教授として多くの人材を育てました。
南画家田能村竹田もその一人です。
知れば知るほど立派な人じゃないですか。そんな岡藩の恩人のお墓が……ここ?
田能村竹田先生の墓所は立派だったよ~。
また、藪?
竹藪を抜けると立派なお墓がありました。
このお墓は、小富士山にある八代藩主中川久貞公のお墓と同じ形です。
君山先生の功績と関係があるのかもしれません。
こちらのお墓に来るには散策道からではなくて、
大正公園への登り口から入った方がきちんとした道になっています。
でも、案内板の所からだと踏み込むのを躊躇します。
岡藩の恩人のお墓が竹林の中に埋もれてしまっているのはちょっと残念な気がしました。
実は、ここで夫が取り憑かれたんです。
唐橋君山先生のお墓ではなくて、その近くにあるお墓に……。
このお墓の写真がよく撮れてないじゃないかとのたもうて、
ここにあと二回も墓石を見にくることになったんです。
え~、何でそんなお墓にこだわるのかわかんない。
もう取り憑かれたとしか思えないんだけど。
この人の好奇心って、いったい……。 もう少し続けます。
竹田の城下を歩こう① [街歩き]
昨夜はかなり揺れたそうですね。
東北地方の皆様にはご心配のことと拝察致します。
どうか無事に落ち着きますように。
1月の中頃の暖かい日、竹田の城下町を歩きました。
この日の目的は願成院(がんじょういん)。
岡城の愛宕山、願成院跡の藪をうろついたとき、
一応現在の願成院を知っておこうと思ったわけです。
それはどこかというと、何のことはない
竹田市の名所の一つ、「愛染堂」(あいぜんどう)なのでした。
正式名称が「願成院愛染堂」だったなんて~。
私は知らなかったわ。(夫は知っていたらしい。)
車で直接行かず、街の中をうろつきながら目的地へ行くことにします。
竹田の街は昔からお馴染みの街なのですが、
「歩く」ということが新しい発見をもたらします。
「へえ、知らなかったな。」と思うことのなんと多いことか。
「一歩踏み出し角を曲がれば…、見知らぬ世界が待っています。」 まさにこれ!
これはNHK「歩く人」(谷口ジロー原作)のコピーだけど、
私たちはこの一年近く、竹田の街で「歩く人」をやっているみたい……。
岡城跡下の近戸口の駐車場に車を止めると、
岡城の方へは登らず、稲葉川沿いに城下町の方へ向かいます。
おや、この前登った古城「騎牟礼城」がこんなところからも見えていますね。
(道路の奥)
通ったことのない坂道を登ります。
城下の東側の丘の中腹に来ました。
竹田向井町というあたりです。
古い石段がありました。登ってみます。
ここは瑞泉寺。
今は廃寺なのでしょうか?
好いお顔の仏様がたくさんいらっしゃいました。
城下を東から眺めるには良い場所です。
荒れたままにしておくのはもったいない気がするのですが……。
お城から西に1㎞ほど離れた城下町は
中川氏によって碁盤の目のように整備されました。
小さな盆地は、周囲の丘のどこから眺めても趣があります。
目的地はNTTの塔のすぐ左に見えています。
あの塔は目印にはもってこいですね。
どこからでも見えますから。
では、城下に下りて願成院まで歩きましょう。たいした距離ではありません。
竹田市の市立図書館です。私が高校生の頃は、ここにはなかったですね。
2017年に開館。ここに来て調べたいことがたくさんあります。
この辺りは、私の通学路でした。
ここからの風景は変わらないな~。
高校時代のことを思い出します。
当時、列車の時間があったので、竹田の街で遊ぶなんてことはありませんでした。
学校から駅への道を往復するだけの高校時代でした。
寄り道は途中の本屋くらいでしたが、その本屋ももうありません。
あら、姫だるま。これも竹田の風景。
この道筋は、昔はもっと生活感あふれる街並みでしたが、
今は観光地らしく整えられていますね。
ずいぶん近づきました。
願成院愛染堂の下には広場があります。
この辺りは見所の多いところです。
「子育観音」がいらっしゃいます。
この像の作者渡辺長男は、岡城跡の滝廉太郎像の作者朝倉文夫の兄です。
この兄弟についてはまたいずれ。
おや、この辺りは「八幡山」と言われていましたか。
京都の「八幡山」はよく知っていますよ(^O^)v
ここのことは、知らなかったなあ。
石段を登りましょう。
石段の右上は観音寺。そして十六羅漢さん。
NTTの塔とのコラボが面白い。
「塔が無粋だ」という人も居るようですが、
「東京タワー&増上寺と同じだ。」と思えば、これはこれで……。
石段のすぐ上が目的地なんですが、
「歩く人」をやっていたら、写真が多すぎて……このシリーズ、続きます。
東北地方の皆様にはご心配のことと拝察致します。
どうか無事に落ち着きますように。
1月の中頃の暖かい日、竹田の城下町を歩きました。
この日の目的は願成院(がんじょういん)。
岡城の愛宕山、願成院跡の藪をうろついたとき、
一応現在の願成院を知っておこうと思ったわけです。
それはどこかというと、何のことはない
竹田市の名所の一つ、「愛染堂」(あいぜんどう)なのでした。
正式名称が「願成院愛染堂」だったなんて~。
私は知らなかったわ。(夫は知っていたらしい。)
車で直接行かず、街の中をうろつきながら目的地へ行くことにします。
竹田の街は昔からお馴染みの街なのですが、
「歩く」ということが新しい発見をもたらします。
「へえ、知らなかったな。」と思うことのなんと多いことか。
「一歩踏み出し角を曲がれば…、見知らぬ世界が待っています。」 まさにこれ!
これはNHK「歩く人」(谷口ジロー原作)のコピーだけど、
私たちはこの一年近く、竹田の街で「歩く人」をやっているみたい……。
岡城跡下の近戸口の駐車場に車を止めると、
岡城の方へは登らず、稲葉川沿いに城下町の方へ向かいます。
おや、この前登った古城「騎牟礼城」がこんなところからも見えていますね。
(道路の奥)
通ったことのない坂道を登ります。
城下の東側の丘の中腹に来ました。
竹田向井町というあたりです。
古い石段がありました。登ってみます。
ここは瑞泉寺。
今は廃寺なのでしょうか?
好いお顔の仏様がたくさんいらっしゃいました。
城下を東から眺めるには良い場所です。
荒れたままにしておくのはもったいない気がするのですが……。
お城から西に1㎞ほど離れた城下町は
中川氏によって碁盤の目のように整備されました。
小さな盆地は、周囲の丘のどこから眺めても趣があります。
目的地はNTTの塔のすぐ左に見えています。
あの塔は目印にはもってこいですね。
どこからでも見えますから。
では、城下に下りて願成院まで歩きましょう。たいした距離ではありません。
竹田市の市立図書館です。私が高校生の頃は、ここにはなかったですね。
2017年に開館。ここに来て調べたいことがたくさんあります。
この辺りは、私の通学路でした。
ここからの風景は変わらないな~。
高校時代のことを思い出します。
当時、列車の時間があったので、竹田の街で遊ぶなんてことはありませんでした。
学校から駅への道を往復するだけの高校時代でした。
寄り道は途中の本屋くらいでしたが、その本屋ももうありません。
あら、姫だるま。これも竹田の風景。
この道筋は、昔はもっと生活感あふれる街並みでしたが、
今は観光地らしく整えられていますね。
ずいぶん近づきました。
願成院愛染堂の下には広場があります。
この辺りは見所の多いところです。
「子育観音」がいらっしゃいます。
この像の作者渡辺長男は、岡城跡の滝廉太郎像の作者朝倉文夫の兄です。
この兄弟についてはまたいずれ。
おや、この辺りは「八幡山」と言われていましたか。
京都の「八幡山」はよく知っていますよ(^O^)v
ここのことは、知らなかったなあ。
石段を登りましょう。
石段の右上は観音寺。そして十六羅漢さん。
NTTの塔とのコラボが面白い。
「塔が無粋だ」という人も居るようですが、
「東京タワー&増上寺と同じだ。」と思えば、これはこれで……。
石段のすぐ上が目的地なんですが、
「歩く人」をやっていたら、写真が多すぎて……このシリーズ、続きます。
竹田市歴史文化館・由学館へ [街歩き]
いつもお城ばかり歩いているので、
ちょっと城下の方へ行ってみました。
ここは広瀬神社。
日露戦争の旅順港閉塞戦で、行方不明の部下を捜索中にボート上で被弾、
戦死した……あの広瀬武夫が祀られています。
この日は久しぶり(私は二十数年ぶり)にここへ来ました。
「昔、境内に戦艦のマストが立ってたよね。」
「老朽化で解体して、あそこ(記念館の下)に置いてあったよ。」
そうか、そんなに来てなかったか。
市内には広瀬武夫の生家もありますが、彼についてはまた何かの機会に……。
岡城跡から城下はあまり見えないのですが、
広瀬神社から眺めると街の様子がよくわかります。
岡城の城下町竹田はこんな処です。
神社から城下に下る道はいくつかあります。
坂の上が広瀬神社。
寂しい街になりましたが、閑かでよい処です。
この街の中心部の一画に、竹田市歴史文化館がリニューアルオープンしました。
ここです。
5月に開館のはずでしたが、コロナの影響で10月になりました。
岡藩の藩校の名前「由学館(ゆうがっかん)」が愛称になっています。
https://okajou.jp/culturalhall/
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/662226/
12月2日に初めて行ってみました。
岡城ガイダンスセンターというところを中心に見ました。
ここの「岡城ジオラマ」がナイス。
800分の1で岡城跡の全貌が再現されていて、周囲の様子がよくわかります。
2月からずっと歩き続けた道筋が立体的にわかってよかった~♪
これは西の端の部分ですね。
実際の写真と一緒に見てみましょう。
①岡城跡への入り口。蒲鉾石が見事。
②大手門近辺。敵が攻めにくい構造。
③西の丸へのアプローチ。殿様の御殿があった。
④西の丸は眺めがすばらしい。西に阿蘇、北に久住の山々。
「こちらで学んでから、実際に岡城跡へと登城するのがおすすめのルートです。」
とホームページにありましたが、
実際に歩き回ったので、実際の場と比べられて面白かったですよ。
「豊後岡城物語」(10分の歴史ドラマ)が大画面で見られます。
中川氏の岡入部のいきさつなどわかりやすかったですよ。
そう言えば、初代中川秀成(ひでしげ)は、もともと播磨の三木城にいたのですが、
秀吉から国替えを命じられ、
「豊後の岡、伊予の宇和島、淡路の洲本」の中から選べと言われ、岡を選んだそうですよ。
なに、宇和島?
ここで宇和島が出てくるとは!
また行ってみようと思います。
ちょっと城下の方へ行ってみました。
ここは広瀬神社。
日露戦争の旅順港閉塞戦で、行方不明の部下を捜索中にボート上で被弾、
戦死した……あの広瀬武夫が祀られています。
この日は久しぶり(私は二十数年ぶり)にここへ来ました。
「昔、境内に戦艦のマストが立ってたよね。」
「老朽化で解体して、あそこ(記念館の下)に置いてあったよ。」
そうか、そんなに来てなかったか。
市内には広瀬武夫の生家もありますが、彼についてはまた何かの機会に……。
岡城跡から城下はあまり見えないのですが、
広瀬神社から眺めると街の様子がよくわかります。
岡城の城下町竹田はこんな処です。
神社から城下に下る道はいくつかあります。
坂の上が広瀬神社。
寂しい街になりましたが、閑かでよい処です。
この街の中心部の一画に、竹田市歴史文化館がリニューアルオープンしました。
ここです。
5月に開館のはずでしたが、コロナの影響で10月になりました。
岡藩の藩校の名前「由学館(ゆうがっかん)」が愛称になっています。
https://okajou.jp/culturalhall/
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/662226/
12月2日に初めて行ってみました。
岡城ガイダンスセンターというところを中心に見ました。
ここの「岡城ジオラマ」がナイス。
800分の1で岡城跡の全貌が再現されていて、周囲の様子がよくわかります。
2月からずっと歩き続けた道筋が立体的にわかってよかった~♪
これは西の端の部分ですね。
実際の写真と一緒に見てみましょう。
①岡城跡への入り口。蒲鉾石が見事。
②大手門近辺。敵が攻めにくい構造。
③西の丸へのアプローチ。殿様の御殿があった。
④西の丸は眺めがすばらしい。西に阿蘇、北に久住の山々。
「こちらで学んでから、実際に岡城跡へと登城するのがおすすめのルートです。」
とホームページにありましたが、
実際に歩き回ったので、実際の場と比べられて面白かったですよ。
「豊後岡城物語」(10分の歴史ドラマ)が大画面で見られます。
中川氏の岡入部のいきさつなどわかりやすかったですよ。
そう言えば、初代中川秀成(ひでしげ)は、もともと播磨の三木城にいたのですが、
秀吉から国替えを命じられ、
「豊後の岡、伊予の宇和島、淡路の洲本」の中から選べと言われ、岡を選んだそうですよ。
なに、宇和島?
ここで宇和島が出てくるとは!
また行ってみようと思います。
新日鉄住金の緑地 [街歩き]
日曜日は大分市にいました。
そこから見えた緑があまりに美しかったので、
用事が済んだ後
車でその辺りを回ってみました。
緑の森の向こうは、新日鉄住金。
煙突が見えます。
緑の森からにゅっと伸びる風景は面白いです。
海から見た煙突は……。
大分製鉄所は自称「緑の製鉄所」らしいです。
HPでは
「大分製鉄所の森は、粉じん・ばいじんを吸着し、騒音を遮断します。
国指定天然記念物の宇佐神宮のイチイガシのドングリで森をつくりました。
現在は幅50m、長さ5kmの広大な環境保全林となり、
多くの野鳥も生息する豊かな森となっています。」
とありました。なるほど。
ここは「裏川」と呼ばれる所です。
この辺りは計画的に緑地が作られていたのですね。
植樹されたイチョウの林がありました。
グーグルマップで確認すると
「大洲緑地」とあって、
「愛鳥の森」「日本列島ふるさとの森」「思い出の森」と名前がついているようです。
ゆっくり歩いたこともない場所ですが、
緑に惹かれてしばらく散策してきました。
「思い出の森」の端っこに慰霊碑がありました。
「富士航空機 受難の地」
ウィキペディアによると
「1964年2月27日、富士航空902便はコンベア240(レシプロ双発旅客機、機体記号JA5098、1948年製造)に乗員5名・乗客35名を乗せ、鹿児島から大分へ向けて運航していた。しかし、15時20分頃、大分空港への着陸に失敗し、空港東側にある大分川支流、裏川河川敷に墜落し炎上した。」
ここはまさにその場所でした。
痛ましい事故の記憶を
美しい緑が包んでいました。
そこから見えた緑があまりに美しかったので、
用事が済んだ後
車でその辺りを回ってみました。
緑の森の向こうは、新日鉄住金。
煙突が見えます。
緑の森からにゅっと伸びる風景は面白いです。
海から見た煙突は……。
ヨットは「花子」。昨年の10月の写真です。
大分製鉄所は自称「緑の製鉄所」らしいです。
HPでは
「大分製鉄所の森は、粉じん・ばいじんを吸着し、騒音を遮断します。
国指定天然記念物の宇佐神宮のイチイガシのドングリで森をつくりました。
現在は幅50m、長さ5kmの広大な環境保全林となり、
多くの野鳥も生息する豊かな森となっています。」
とありました。なるほど。
ここは「裏川」と呼ばれる所です。
この辺りは計画的に緑地が作られていたのですね。
植樹されたイチョウの林がありました。
グーグルマップで確認すると
「大洲緑地」とあって、
「愛鳥の森」「日本列島ふるさとの森」「思い出の森」と名前がついているようです。
ゆっくり歩いたこともない場所ですが、
緑に惹かれてしばらく散策してきました。
「思い出の森」の端っこに慰霊碑がありました。
「富士航空機 受難の地」
ウィキペディアによると
「1964年2月27日、富士航空902便はコンベア240(レシプロ双発旅客機、機体記号JA5098、1948年製造)に乗員5名・乗客35名を乗せ、鹿児島から大分へ向けて運航していた。しかし、15時20分頃、大分空港への着陸に失敗し、空港東側にある大分川支流、裏川河川敷に墜落し炎上した。」
ここはまさにその場所でした。
痛ましい事故の記憶を
美しい緑が包んでいました。
森のパン屋さんの新しいお店 [街歩き]
4月7日の竹田の街です。
私の町の森の中のパン屋さんが
この古い城下町で
新しいお店を出して新しいことに挑戦しています。
新しいお店でランチをいただきました。
ランチプレートには
これだけの種類のパンがついてきます。(二人分)
いつも美味しい!
今日はほうれん草のグラタンでしたが
美味しすぎで写真撮り忘れた!
たたずまいも素敵。
何のお店?
あれ、美味しそうなパンが並んでるよ、入ってみようか……そんな観光客もいたし、
街の人が気軽にパンを買いに来て
好みのパンをどんどんプレートに載せていく様子もうれしかったな。
森のパン屋さんの新しい風景。
古い城下町に溶け込んだパン屋さん、また美味しいもの食べさせて~♪
夜の時間帯も期待できそう♡
まだ始まったばかりのチャレンジで
環境が整うにはもう少し時間がかかるとか。
豊後竹田の駅からも近くてナイス。
駅前の橋を渡って商店街に入ってすぐのところなんです。
大好きな和菓子屋さんもあるし
大好きなパン屋さんで美味しいものが食べられるし
散策の楽しみが増えた城下町竹田です。
私の町の森の中のパン屋さんが
この古い城下町で
新しいお店を出して新しいことに挑戦しています。
新しいお店でランチをいただきました。
ランチプレートには
これだけの種類のパンがついてきます。(二人分)
いつも美味しい!
今日はほうれん草のグラタンでしたが
美味しすぎで写真撮り忘れた!
たたずまいも素敵。
何のお店?
あれ、美味しそうなパンが並んでるよ、入ってみようか……そんな観光客もいたし、
街の人が気軽にパンを買いに来て
好みのパンをどんどんプレートに載せていく様子もうれしかったな。
森のパン屋さんの新しい風景。
古い城下町に溶け込んだパン屋さん、また美味しいもの食べさせて~♪
夜の時間帯も期待できそう♡
まだ始まったばかりのチャレンジで
環境が整うにはもう少し時間がかかるとか。
豊後竹田の駅からも近くてナイス。
駅前の橋を渡って商店街に入ってすぐのところなんです。
大好きな和菓子屋さんもあるし
大好きなパン屋さんで美味しいものが食べられるし
散策の楽しみが増えた城下町竹田です。
湯布院から別府へ 最後はハーバー [街歩き]
23日の続きです。
湯布院から別府に向かいます。
このルートを通るのは久しぶりでした。
だんだんお天気が悪くなって
せっかくの眺望もぱっとしません。
すっかり初冬の風景です。
別府では鉄輪温泉でお昼ご飯。
SORAで紹介されたお店です。
古い医院をレストランにしたお洒落なお店で、
周囲は若い女の子ばかり。
美味しかったですよ。
このお店の隣には「熱の湯」があります。
また いつか。
ちょっと高いところに登ってみます。
湿度が高いせいか、湯煙がよく見える日でした。
帰りにハーバーに寄ると
カラスが我が物顔にヨットからヨットへと飛び回っていました。
あらー、汚してくれてる~(*`Д´*)
さて、日曜日はポイントレースなんだけど
クルーのみなさんは忙しくて参加できないそうです。
35フィートで私とのダブルハンドでは厳しいのではないでしょうか?
オーナー、どうします?
コワイのはいやですよ。
湯布院から別府に向かいます。
このルートを通るのは久しぶりでした。
だんだんお天気が悪くなって
せっかくの眺望もぱっとしません。
すっかり初冬の風景です。
別府では鉄輪温泉でお昼ご飯。
SORAで紹介されたお店です。
古い医院をレストランにしたお洒落なお店で、
周囲は若い女の子ばかり。
美味しかったですよ。
このお店の隣には「熱の湯」があります。
また いつか。
ちょっと高いところに登ってみます。
湿度が高いせいか、湯煙がよく見える日でした。
帰りにハーバーに寄ると
カラスが我が物顔にヨットからヨットへと飛び回っていました。
あらー、汚してくれてる~(*`Д´*)
さて、日曜日はポイントレースなんだけど
クルーのみなさんは忙しくて参加できないそうです。
35フィートで私とのダブルハンドでは厳しいのではないでしょうか?
オーナー、どうします?
コワイのはいやですよ。
別府の街で探し物 [街歩き]
この土日の話題が続きます。
日曜日の朝、ヨットでゆっくり過ごしていました。
フレンチトーストなど焼いてみました。
そのとき、夫が落とし物に気づきました。
最近使っているコンデジの部品がないのです。
下の写真の赤くて丸い部分です。
なぜか緩みやすいのです。
私には心あたりがありました。
前の晩に焼き肉屋さんの前で写真を撮ろうとしたとき、
足下でチリリと音がしたのです。
何か踏んだ?と思ったのですが、そのままお店に入ったのです。
……朝食を終え、風の具合を見たり船底掃除の様子を見たりしながら
ハーバーでのんびりしていたのですが、
赤い輪っかを探しにいこうということになりました。
風が強く曇り気味でしたが暖かい日でした。
……繁華街の方へ足を向けます。
午前中の繁華街は静かなものです。
別府は「昭和」の空間が生きていて、懐かしいような切ないような気分になります。
人と時代の坩堝のようなごちゃっとした街並み。
でも、お寺や神社などの空間がきちんとあるのです。
探し物は……ちゃんとありました。
お店の前に。
ちょっと踏みつけられた感じはありましたが、無事にカメラのもとの位置に納まりました。
……後で写真を見ていた夫が画像に「証拠」を見つけ出し、二人で笑いました。
お店を出た後。
ほら、ここに。
もっと拡大。
日曜日の朝、ヨットでゆっくり過ごしていました。
フレンチトーストなど焼いてみました。
そのとき、夫が落とし物に気づきました。
最近使っているコンデジの部品がないのです。
下の写真の赤くて丸い部分です。
なぜか緩みやすいのです。
私には心あたりがありました。
前の晩に焼き肉屋さんの前で写真を撮ろうとしたとき、
足下でチリリと音がしたのです。
何か踏んだ?と思ったのですが、そのままお店に入ったのです。
……朝食を終え、風の具合を見たり船底掃除の様子を見たりしながら
ハーバーでのんびりしていたのですが、
赤い輪っかを探しにいこうということになりました。
風が強く曇り気味でしたが暖かい日でした。
……繁華街の方へ足を向けます。
午前中の繁華街は静かなものです。
別府は「昭和」の空間が生きていて、懐かしいような切ないような気分になります。
人と時代の坩堝のようなごちゃっとした街並み。
でも、お寺や神社などの空間がきちんとあるのです。
探し物は……ちゃんとありました。
お店の前に。
ちょっと踏みつけられた感じはありましたが、無事にカメラのもとの位置に納まりました。
……後で写真を見ていた夫が画像に「証拠」を見つけ出し、二人で笑いました。
お店を出た後。
ほら、ここに。
もっと拡大。
別府レトロ② [街歩き]
ヨットで遊べないときは別府で遊んでいます。
昔は忘年会と言えば別府でした。
夜の別府は本当に賑やかでした。
今はどうなのでしょうね?
さて、別府再発見の街歩きを始めます。
まず、「美味しい発見」の一つ目はコレ。
梨のゼリーみたいなのがのっかってます。
美味しいよと、話には聞いていたのですが、これは本当に美味~(*⌒▽⌒*)
ハーバーのすぐ近くで食べられます。
梨ソフトを食べながら歩道を歩けば、こんな案内もあります。
繁華街に行ってみます。
駅前から北浜に伸びる駅前通りと平行して
いくつもの通りがあります。
そのうちの一本に入って行きます。北浜通りです。
別府はこんな通りが幾筋もあって、
美味しいよと紹介されたお店に行くのも一苦労。
おや。
招き猫?
古びたポストですが、何だか親しみを覚えます。
アーケード街を横切ります。土曜日の午前中は静かなもんです。
こんなところで寝てると、雨に濡れるよ。
ああ、このお店。この通りにあったのね。とり天で有名なお店。
そのお店の近くには、こーんな構えのお店。レトロですねえ。
何のお店だったのでしょう?
一階は改築中でした。
このお店の名前もよく聞きます。ここにあったんだ~。
このお店の横にいたずら書き。
誰が?何の意味で?お店の人もわかりません。
こっちの通りを歩いてみます。西法寺通り。
夫は映画館のポスターに魅力を感じたようです。ここには載せられません。
で、また曲がって海の方へ歩いて行きます。新宮通りというそうです。
お昼はお寿司にしようか~。
こんなにいろいろなお店があるのねえ。
貼り紙もおもしろい。
お昼は、レトロな階段を上っていったところにあったお店。
オムライス、ハヤシライスに惹きつけられました。
何にも知らないで入ったのですが、けっこう有名なお店だったみたい。
ランチタイムに人気があるんですって。
ど~ん。
お腹がいっぱいになって、苦しいくらいでした。いやいや、美味しかったですよ~。
ちょっと贅沢すぎの昼ご飯が本日の「美味しい発見」の二つ目。
今日はこれくらいにして、ハーバーに戻ります。
雨のおかげで、ハーバーのお花は元気を取り戻していました。
帰り道、山から雲が上がってお天気になるのかなと思っていましたが、
まだまだ雨は続いています。
昔は忘年会と言えば別府でした。
夜の別府は本当に賑やかでした。
今はどうなのでしょうね?
さて、別府再発見の街歩きを始めます。
まず、「美味しい発見」の一つ目はコレ。
梨のゼリーみたいなのがのっかってます。
美味しいよと、話には聞いていたのですが、これは本当に美味~(*⌒▽⌒*)
ハーバーのすぐ近くで食べられます。
梨ソフトを食べながら歩道を歩けば、こんな案内もあります。
繁華街に行ってみます。
駅前から北浜に伸びる駅前通りと平行して
いくつもの通りがあります。
そのうちの一本に入って行きます。北浜通りです。
別府はこんな通りが幾筋もあって、
美味しいよと紹介されたお店に行くのも一苦労。
おや。
招き猫?
古びたポストですが、何だか親しみを覚えます。
アーケード街を横切ります。土曜日の午前中は静かなもんです。
こんなところで寝てると、雨に濡れるよ。
ああ、このお店。この通りにあったのね。とり天で有名なお店。
そのお店の近くには、こーんな構えのお店。レトロですねえ。
何のお店だったのでしょう?
一階は改築中でした。
このお店の名前もよく聞きます。ここにあったんだ~。
このお店の横にいたずら書き。
誰が?何の意味で?お店の人もわかりません。
こっちの通りを歩いてみます。西法寺通り。
夫は映画館のポスターに魅力を感じたようです。ここには載せられません。
で、また曲がって海の方へ歩いて行きます。新宮通りというそうです。
お昼はお寿司にしようか~。
こんなにいろいろなお店があるのねえ。
貼り紙もおもしろい。
お昼は、レトロな階段を上っていったところにあったお店。
オムライス、ハヤシライスに惹きつけられました。
何にも知らないで入ったのですが、けっこう有名なお店だったみたい。
ランチタイムに人気があるんですって。
ど~ん。
お腹がいっぱいになって、苦しいくらいでした。いやいや、美味しかったですよ~。
ちょっと贅沢すぎの昼ご飯が本日の「美味しい発見」の二つ目。
今日はこれくらいにして、ハーバーに戻ります。
雨のおかげで、ハーバーのお花は元気を取り戻していました。
帰り道、山から雲が上がってお天気になるのかなと思っていましたが、
まだまだ雨は続いています。