竹田の城下を歩こう② [街歩き]
竹田の城下で「歩く人」をやっております。
願成院愛染堂への石段を登っております。
竹田に観光に来られたら、この一帯を歩かれるとよいですね。
興味深いものがたくさんありますし、眺めもよいのですよ。
愛染堂に着きました。
竹田市で一番古い建物で、国の重要文化財にも指定されています。
「明治になってここにあった大勝院というお寺が廃寺になった。
岡城の願成院がここに移ってきて、旧大勝院の愛染堂を本堂とした。」
というようなことが案内板に書かれてありました。
愛宕山の願成院は、江戸時代の岡藩における密教の中心寺院でした。
ですから、大量の「密教仏画」のお宝を保管していたのだそうです。
岡城の願成院って、藪になる前は本当にすごいところだったんですねえ……。
https://chihaya2011.blog.ss-blog.jp/2021-02-03
「大分県埋蔵文化センター(大分市牧緑町)で、願成院のお宝を公開している」
と由学館の学芸員さんが教えてくださったので、
カワサキプラザに行った後、ついでに見てきたんですよ。
現在は曼荼羅を展示中でした。
これがまたすばらしい。
このお宝はもともと「今は藪」のあそこにあったのか……と
藪の探索をしたおかげで、感慨もひとしおなのでした。
歩くって大事。
今年初めておみくじ引きました。まずまず。
愛染堂の裏に回っていくと散策道があります。
「四国八十八カ所?」
ここだけ参拝すればよいのでしょうか?
愛染堂は裏から見る佇まいもよいですね。
散策道は、見晴らしの良い高台にある大正公園にも続いていますが、
私たちは円通閣の方に向かいます。
円通閣は何とも味わい深い構造になっています。
ちょっと唐風で、エキゾチック。
江戸時代の竹田の文人画聖、儒学者達が集った場所と思うと
なおさらそう感じるのかも知れません。
円通閣から丘の中腹を散策道が続き、
東に竹田の城下やお城を眺めながら歩いて行きます。
西からの竹田の城下。通ってきた瑞泉寺も見えます。
瑞泉寺の裏山と岡城の間には谷がふたつありますが、写真では近くに見えますね。
竹田の街を見下ろす山の中には墓地がたくさんあります。
おや、先ほどの円通閣に集った学者の一人、唐橋君山先生のお墓がありますね。
唐橋君山先生は、「豊後国史」の編纂者で
岡藩八代藩主に招かれ、岡藩の医学、教育等に貢献された方です。
岡藩の藩校「由学館」の教授として多くの人材を育てました。
南画家田能村竹田もその一人です。
知れば知るほど立派な人じゃないですか。そんな岡藩の恩人のお墓が……ここ?
田能村竹田先生の墓所は立派だったよ~。
また、藪?
竹藪を抜けると立派なお墓がありました。
このお墓は、小富士山にある八代藩主中川久貞公のお墓と同じ形です。
君山先生の功績と関係があるのかもしれません。
こちらのお墓に来るには散策道からではなくて、
大正公園への登り口から入った方がきちんとした道になっています。
でも、案内板の所からだと踏み込むのを躊躇します。
岡藩の恩人のお墓が竹林の中に埋もれてしまっているのはちょっと残念な気がしました。
実は、ここで夫が取り憑かれたんです。
唐橋君山先生のお墓ではなくて、その近くにあるお墓に……。
このお墓の写真がよく撮れてないじゃないかとのたもうて、
ここにあと二回も墓石を見にくることになったんです。
え~、何でそんなお墓にこだわるのかわかんない。
もう取り憑かれたとしか思えないんだけど。
この人の好奇心って、いったい……。 もう少し続けます。
願成院愛染堂への石段を登っております。
竹田に観光に来られたら、この一帯を歩かれるとよいですね。
興味深いものがたくさんありますし、眺めもよいのですよ。
愛染堂に着きました。
竹田市で一番古い建物で、国の重要文化財にも指定されています。
「明治になってここにあった大勝院というお寺が廃寺になった。
岡城の願成院がここに移ってきて、旧大勝院の愛染堂を本堂とした。」
というようなことが案内板に書かれてありました。
愛宕山の願成院は、江戸時代の岡藩における密教の中心寺院でした。
ですから、大量の「密教仏画」のお宝を保管していたのだそうです。
岡城の願成院って、藪になる前は本当にすごいところだったんですねえ……。
https://chihaya2011.blog.ss-blog.jp/2021-02-03
「大分県埋蔵文化センター(大分市牧緑町)で、願成院のお宝を公開している」
と由学館の学芸員さんが教えてくださったので、
カワサキプラザに行った後、ついでに見てきたんですよ。
現在は曼荼羅を展示中でした。
これがまたすばらしい。
このお宝はもともと「今は藪」のあそこにあったのか……と
藪の探索をしたおかげで、感慨もひとしおなのでした。
歩くって大事。
今年初めておみくじ引きました。まずまず。
愛染堂の裏に回っていくと散策道があります。
「四国八十八カ所?」
ここだけ参拝すればよいのでしょうか?
愛染堂は裏から見る佇まいもよいですね。
散策道は、見晴らしの良い高台にある大正公園にも続いていますが、
私たちは円通閣の方に向かいます。
円通閣は何とも味わい深い構造になっています。
ちょっと唐風で、エキゾチック。
江戸時代の竹田の文人画聖、儒学者達が集った場所と思うと
なおさらそう感じるのかも知れません。
円通閣から丘の中腹を散策道が続き、
東に竹田の城下やお城を眺めながら歩いて行きます。
西からの竹田の城下。通ってきた瑞泉寺も見えます。
瑞泉寺の裏山と岡城の間には谷がふたつありますが、写真では近くに見えますね。
竹田の街を見下ろす山の中には墓地がたくさんあります。
おや、先ほどの円通閣に集った学者の一人、唐橋君山先生のお墓がありますね。
唐橋君山先生は、「豊後国史」の編纂者で
岡藩八代藩主に招かれ、岡藩の医学、教育等に貢献された方です。
岡藩の藩校「由学館」の教授として多くの人材を育てました。
南画家田能村竹田もその一人です。
知れば知るほど立派な人じゃないですか。そんな岡藩の恩人のお墓が……ここ?
田能村竹田先生の墓所は立派だったよ~。
また、藪?
竹藪を抜けると立派なお墓がありました。
このお墓は、小富士山にある八代藩主中川久貞公のお墓と同じ形です。
君山先生の功績と関係があるのかもしれません。
こちらのお墓に来るには散策道からではなくて、
大正公園への登り口から入った方がきちんとした道になっています。
でも、案内板の所からだと踏み込むのを躊躇します。
岡藩の恩人のお墓が竹林の中に埋もれてしまっているのはちょっと残念な気がしました。
実は、ここで夫が取り憑かれたんです。
唐橋君山先生のお墓ではなくて、その近くにあるお墓に……。
このお墓の写真がよく撮れてないじゃないかとのたもうて、
ここにあと二回も墓石を見にくることになったんです。
え~、何でそんなお墓にこだわるのかわかんない。
もう取り憑かれたとしか思えないんだけど。
この人の好奇心って、いったい……。 もう少し続けます。
2021-02-17 00:00
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コメント(2)
歳を重ねると歴史が好きになりますね。
お墓探索はその中でも究極かも(^_^;)
by ケース家 (2021-02-17 08:00)
>ケース家様
夫は歩いているとき
何かの碑文に出会うとすぐに立ち止まるんです。
お墓もしかり。
もともと歴史が好きな人ですが、
歳を重ねてますます……。
でもいろいろ教えてもらってます。
by ちはやママ (2021-02-17 15:20)