岡城跡を南から眺めた 竹田市「岡城跡」⑬ [お城(跡)歩き]
岡城跡の北側は、大分方面からの旧道があり、
昔の人は南にお城を眺めながら、竹田の町に入りました。
岡城跡から北を眺めると、谷の向こうの稜線に旧道があります。
(人家の上の丘の尾根伝いです。)
何度か歩き、このブログで紹介した道です。
木の間から岡城跡が見え、昔を偲ぶには面白い小道なのですが、
今は朽ち葉に埋もれようとしています。
残念ですが、大きな岩が道に落ちていて、危険な状況になっています。
また、旧道の下を通る道を歩いたとき、
以前より大きく岩盤が崩れていました。
崩れた岩盤の上にある旧道の散策は、もうお薦めすることはできません。
では、岡城跡の南はどんなになっているのでしょうか。
寒いとき、本丸の下から下原門に向かったとき。(右手が南)
春、下原門から本丸に向かう道筋。(左手が南)
若葉の頃、南に傾山を望む。
写真で見ると、岡城の南の谷の向こうは杉山と雑木林ばかり。
岡城が見えるところはあるのでしょうか。
「南の方から岡城を見てみたい!」
以前から考えていたことなのですが、
岡城跡に通い始めてから9か月、やっと実行です。
上は、本丸跡にある岡城の図。南からの構図ですね。
今はどんなふうに見えるのでしょうか。
実は、南の谷の杉山の向こうは広々とした丘陵地帯です。
竹田市の「片ヶ瀬」というところです。
こちらでは、このような場所を「原(はる)」と言います。
ヤマユリを地域ぐるみで育てていることでも有名です。
この日は、山々がまことにくっきりと美しく見える秋晴れの日でした。
地域の方に「岡城が見える場所はありますか。」と聞いています。
この地域に古くからある神社に車を置き、
岡城跡の方向に向かいます。
夫は昔、南から岡城の石垣を眺めたことがあると言いますが、
杉や雑木の木立に阻まれた今、南から岡城跡が見える場所はあるのかないのか……。
地域の方の情報をもとに道を探します。
イノシシよけの柵を通り、藪の中を進みます。
あ、久住山の方向に岡城跡の東の端が見えます。
でも、笹やセイタカアワダチソウに阻まれてよく見えません。
いつも歩く十川の辺りはよく見えるのですが。
場所を少し変えます。
あら、藪が少し刈り取られていて、道ができています。
地域の方のお仕事なのでしょうか。
その道を頼りに少し歩きますと……。
見えました!
足場はとても悪いですが、岡城跡がよく見えます。
部分的に見てみます。
トリミングして少し大きくしました。
下原門跡辺り
本丸跡辺り
大手門跡辺り
へえ、こちらからはこんなふうに岡城跡が見えるんだ~♪
何だか感動です。
お城が壊されたときには、時代の移り変わりを目の当たりにし、
寂しさと不安とが領民を襲ったのではないでしょうか。
片ヶ瀬の「はる」は、とても美しい場所。
神社には風格のある紅葉の木がたくさん。
ここにはまた来ることにします。
その後、いつものように岡城跡へ。
私たちが岡城跡を眺めた場所は、あのあたりかな~?
距離はあまり伸びませんでしたが、
新しい気持ちになったウォーキングでした。
次に行くことがあれば、「望遠」と三脚だな~。
昔の人は南にお城を眺めながら、竹田の町に入りました。
岡城跡から北を眺めると、谷の向こうの稜線に旧道があります。
(人家の上の丘の尾根伝いです。)
何度か歩き、このブログで紹介した道です。
木の間から岡城跡が見え、昔を偲ぶには面白い小道なのですが、
今は朽ち葉に埋もれようとしています。
残念ですが、大きな岩が道に落ちていて、危険な状況になっています。
また、旧道の下を通る道を歩いたとき、
以前より大きく岩盤が崩れていました。
崩れた岩盤の上にある旧道の散策は、もうお薦めすることはできません。
では、岡城跡の南はどんなになっているのでしょうか。
寒いとき、本丸の下から下原門に向かったとき。(右手が南)
春、下原門から本丸に向かう道筋。(左手が南)
若葉の頃、南に傾山を望む。
写真で見ると、岡城の南の谷の向こうは杉山と雑木林ばかり。
岡城が見えるところはあるのでしょうか。
「南の方から岡城を見てみたい!」
以前から考えていたことなのですが、
岡城跡に通い始めてから9か月、やっと実行です。
上は、本丸跡にある岡城の図。南からの構図ですね。
今はどんなふうに見えるのでしょうか。
実は、南の谷の杉山の向こうは広々とした丘陵地帯です。
竹田市の「片ヶ瀬」というところです。
こちらでは、このような場所を「原(はる)」と言います。
ヤマユリを地域ぐるみで育てていることでも有名です。
この日は、山々がまことにくっきりと美しく見える秋晴れの日でした。
地域の方に「岡城が見える場所はありますか。」と聞いています。
この地域に古くからある神社に車を置き、
岡城跡の方向に向かいます。
夫は昔、南から岡城の石垣を眺めたことがあると言いますが、
杉や雑木の木立に阻まれた今、南から岡城跡が見える場所はあるのかないのか……。
地域の方の情報をもとに道を探します。
イノシシよけの柵を通り、藪の中を進みます。
あ、久住山の方向に岡城跡の東の端が見えます。
でも、笹やセイタカアワダチソウに阻まれてよく見えません。
いつも歩く十川の辺りはよく見えるのですが。
場所を少し変えます。
あら、藪が少し刈り取られていて、道ができています。
地域の方のお仕事なのでしょうか。
その道を頼りに少し歩きますと……。
見えました!
足場はとても悪いですが、岡城跡がよく見えます。
部分的に見てみます。
トリミングして少し大きくしました。
下原門跡辺り
本丸跡辺り
大手門跡辺り
へえ、こちらからはこんなふうに岡城跡が見えるんだ~♪
何だか感動です。
お城が壊されたときには、時代の移り変わりを目の当たりにし、
寂しさと不安とが領民を襲ったのではないでしょうか。
片ヶ瀬の「はる」は、とても美しい場所。
神社には風格のある紅葉の木がたくさん。
ここにはまた来ることにします。
その後、いつものように岡城跡へ。
私たちが岡城跡を眺めた場所は、あのあたりかな~?
距離はあまり伸びませんでしたが、
新しい気持ちになったウォーキングでした。
次に行くことがあれば、「望遠」と三脚だな~。
2020-10-22 14:55
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コメント(4)
埋もれた道の発掘調査みたいな散歩ですね(^^♪
宇和島城はどこからでも見えるので見え方くらいかな。
by ケース家 (2020-10-22 19:17)
>ケース家様
そう言えば、岡城周辺のそんな道ばかり歩いてますね~♪
もうすぐ竹田市の歴史資料館が開館しますので、
そこに行ったらまた新しい発見があるかも……です。
古い道の痕跡が消えていくのは寂しい気がしますが、
仕方ないですね。
by ちはやママ (2020-10-22 21:14)
珍しいアングルからの岡城ですね。
自然の要塞だとよーく判ります。
よくここに城を作ろうと思い付いたものですね。
通常の登り口は、右の東ですか?
左の西ですか?
この城を攻めた強者は居たのですか?
by 萬木寛次 (2020-10-23 10:14)
>萬木寛次様
現在、観光に来られる方は、左側西の大手門からですね。
中川氏の前は下原門が玄関だったそうですが、
加藤清正公のアドバイスで、西側が大手門になったと聞いています。
岡城が攻められたのは、中川氏が来る前の天正年間に島津氏が攻めてきています。
当時の城主20歳の志賀親次(ちかつぐ)の防戦はとてもドラマチックで、島津氏は岡城を落とすことができませんでした。
この辺りの歴史はいつか触れたいと思いつつ、まだ勉強できていません。
また、いつか。
by ちはやママ (2020-10-23 19:25)