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「殿様、どこを通ったの?」岡藩参勤交代の道④ [歴史探訪]

岡城本丸跡から見た久住連山。


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5月7日、その久住山方面に行く途中、県道47号線から岡城方向を眺めてみた。
岡城跡がよく見えた。


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私たちは、岡城跡から見れば、下の写真の水色の矢印の下にいる。



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実は、手前の山の稜線の向こう側に参勤交代道路の名残がある。
黄色の矢印の下辺り。岡城跡から約10キロの地点である。


……雨で何もできない今日は、
山の中の参勤交代道路を探して、杉山の中をうろついた話でも。





私たちは、県道47号線(水色矢印)から参勤交代道路のある場所を眺めている。


「あの辺りだね。」
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実際に杉林の下の参勤交代道路を確認したのは、
4月22日のことだった。



岡藩の殿様が通った参勤交代の道を確認しようと
いつもながらの好奇心で山道に入っていった。
資料で確認したルートを実際に見てみようというわけだ。


県道47号線に沿った集落の名前をたどれば旧道が推測できる。
夫はこのところ資料を手がかりにGoogleマップで旧道を探していた。
現在の県道とは違った険しい山道だ。



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県道から山中の集落に向かう道(上の写真)があって、
そこから少しそれた谷間の道に残骸が残されている。
ここは、まだ山の下の方。


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確かに石畳の跡がある。


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県道47号線に戻り、さらに車で広い道を登り、
また、山の中に向かうわき道に入る。
「ポツンと一軒家」に行くような道だ。


途中の狭い上り坂で、地元の方の軽トラと離合した。
                (※「離合」……方言と言うけれど、他の言い方がわからない。)

運転席から
「参勤交代の道がこの辺りにあると聞いたのですが。」
と夫が尋ねると
軽トラのおじさんは丁寧に場所を示して、情報をくださった。


「……新しく林道ができている。その近くにある。
林道は、参勤交代道路の石畳を保存するために、
石畳を避けて、道の上の方に作られた。
林道から下って、杉林の中に入れば殿様道はあるのだが、
今はあまり状態はよくない。…………。」


地元の人は殿様道として大事に思っているようだが、
すでに時の流れの中に埋没している道のようだ。



おじさんから聞いたとおりに山の中腹にある林道にやって来た。
車を置いて、林道下の南斜面をうろうろ。
高いところに来たなあ。


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石垣の積まれた段々畑があり、梅の木などが植えられている。



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この辺りは、中川氏が初めて岡に入封する際に通ったところだ。
ところが、大友氏の残党百余人が抵抗し、
中川秀成から徹底して踏みつぶされた……そんなコワイ場所らしい。
村境にさらし首が並んだとか……。



伐採した杉を運び出す道から、杉林を目指す。


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夫は獲物でも探すかのようにずんずん進んで行く。


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私は、もう面倒くさくなっていた。
「本当に道があるのかよ。もう帰りたい……。」


(*`Д´*)




杉山の奥の上の方から夫の声がする。



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あった。石畳だ。おじさんの説明通り!
あきらめなくてよかった。


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急に写真の色調が変わったのは、さっき転んだせい。 ↑(*`Д´*)のところで。
転んだはずみで、レバーを動かしたのだろう。


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崩れやすいところは石垣を積んで補修したようだ。



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こんな山の斜面を殿様一行は通って行ったのだ。
その頃は杉もなく、道も明るかったとは思うが、
ちょっとでも雨が降れば崩れ落ちそうな道だ。
牛、馬、人肩に頼るばかりで、荷車などは到底通れそうにない。


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確認したところで引き返すのかと思ったら、夫はさらに道なき道を登っていく。
姿が見えなくなったので、私も慌てて後を追い、
笹の中をやっと這い上って林道にたどり着いた。
とんでもないウォーキングである。



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夫は先に林道に出て、涼しい顔をして、私を待っていた。





林道から下の谷間を眺めた。


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昔の人は、よくまあこんな峠をこんな谷間から……と感心するばかり。
参勤交代ともなれば行列がぞろぞろと……殿様は御駕籠?
お尻が痛くなるだろうし、こんな坂道じゃ、斜めに揺れて気持ち悪いんじゃないかな。


私が殿様なら、
「予は馬で先に行く。駕籠はあとからついて参れ。」
とかなんとか言って、竹田の町を出たら、
この先の宿泊地「今市」まで20キロちょっと、
少数の家来を連れて馬で駆け抜けるよな……なんて、勝手な想像をしていた。



現在は広い県道を車ですいすいと楽に登る。



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江戸時代は山の斜面を這い上るような狭い道を行かなくてはならなかった。
途中で一泊して、大分方面へ向かう。
難儀だなあ。





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参勤交代の道は、さらに登って標高621メートルの峠まで行く。
標高差は岡城の下から約400メートル。



標高620メートルを越す参勤交代道路、
「天空の参勤交代道路」という言葉が浮かんだが、
有名な箱根峠は標高800メートルを越えなきゃならないし、
全国には、まさに「天空」、1000メートルを越す峠越えをする藩も多くあったようで、
つくづく参勤交代って難儀なモノだと思ったことだった。



今回の探索の場所を再確認。
たぶん、二度と行くことはない!


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後の世、岡藩の殿様は、
竹田から大野川沿いの犬飼まで行って、そこから舟を使うルートを利用するようになる。
(年によってはこの道を使うこともあっただろうが、)
舟路を使うようになるのは当然だと思える。


……というわけで、岡藩の殿様の参勤交代の峠越えルートは「けり」をつけて、
次は舟路コースについて。


記事にまとまるのはいつになるかわかりませんが、
よろしかったらおつきあいください。

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コメント 2

ケース家

殿様道の探索、体力と好奇心のせめぎあいでしょうか(^_^;)
宇和島藩は海路専門、龍馬脱藩の道ってのがありますけど歩いたこと無いです。
by ケース家 (2020-06-19 08:56) 

ちはやママ

>ケース家様

私は体力と「ブログネタ」とのせめぎあいですね。
「ネタ」にしようと思うから必死でついていきますが、
本当は藪の中はツツガムシが怖くてキライ。

峠を越えたら肥後の殿様も使った街道になりますが、
ここは龍馬も通っています。
by ちはやママ (2020-06-19 11:27) 

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