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西南の役 こんなところで…… [歴史探訪]

夫が指宿に行って治療を受けているとき、
同じ宿に泊まって同じくメディポリスで治療を受けている方々と友達になり、
とても親切にしていただきました。


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また、夫がよく行った山川の道の駅のおばちゃんも優しくてくださり、
土産はいつもそこで買ってくるのでした。


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夫曰く、「鹿児島の人は情が濃い。」と。



九州の広域を巻き込んだ「西南の役」の中心人物、
西郷さんも情の濃い人であったのでしょうか。


…………


西南の役の激戦は
私たちが住む地域でも繰り広げられていました。
これまで興味を持つことはなかったけれど、
西郷どんが逗留した指宿の鰻温泉を訪れたことがきっかけで、
その激戦の地まで行こうとしている……というところで年が暮れました。


PC010861.jpg鰻池



地元の歴史や文化財などに詳しい弟に資料をもらったり、
町史などを紐解いたりしてみますと、
あの時代、こんな山間の地方でも様々なドラマが繰り広げられていたのだと
感じ入るばかりです。



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私どもの家の前には国道に沿って川が流れています。
明治10年5月、橋向こうの道筋を薩軍が西に向かって通りすぎ、
竹田の町を占領しました。
しかし、官軍に攻められ、竹田の町を焼き撤退し、同じ道を東に敗走します。
町史には、通過する薩軍にどう対処すべきか
非常に困惑した祖先の記録が細かに残されています。


5月末には三重というところが激戦の地となり、
6月は宮崎につながる山岳地帯で攻防戦を繰り広げ、
薩軍はとうとう宮崎方面に敗走するのです。


交通の要所でもあった三国峠で、
かなり激しい戦闘があったのは、6月17日。


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今は通る人もまれな山道を車で上っていきます。
細い道が幾筋も尾根筋を走り、交わっては谷に下っていきます。


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旧道の旧道と思われる道に出会うと車を停め、
夫は偵察に出かけます。


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一人残されると急に不安になってしまうような山の中の道です。


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住人のいなくなった家が何軒かありました。


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高いところに来て、だんだん見晴らしがよくなってきました。
西には、阿蘇の外輪山が見えます。


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薩摩の人たちは
この急峻な道をどんな気持ちで歩んで戦いに赴いたのか
その「熱情」はどこから来たのか
私には想像もできません。


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三国峠に着きました。
車を置いて、さらに10分ほど登ります。



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峠に着きました。
傾山、祖母山、阿蘇山、久住山、そして、由布岳や鶴見岳も一望できます。



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この山の中のあちこちに
薩軍、官軍の築いた土塁の跡が何十カ所もあるのだそうです。
こんな深い山の中に。


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死者を悼む碑も在ります。



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飫肥(宮崎)の人を悼む碑もありました。


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こんな美しい場所で凄惨な戦いがあったのだと思うと
何だか言葉も少なくなってしまうのでした。



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