小豆島 [ヨット]
金曜日 ちょっと遅くなって帰宅したら
夫が「二十四の瞳」を見ていた。
1954年(昭和29年)に公開された木下惠介監督・脚本、高峰秀子主演の古い映画。
最近録画したもののようだ。
映画を見ながら
私は二年前のCHIHAYAの回航のことを思い出していた。
2014年は雪が多くて寒い年だった。
回航は極寒の一月。
横浜から数々の苦難を乗り越えてCHIHAYAは別府にやってきた。
西宮からの回航初日、夫とOさんは強い西風に進路を阻まれて
小豆島内海湾の草壁港に避難したのだった。
そのときの記事に
「ここは鏡のように穏やかで美しい港でした。」
と夫の印象を記してある。
映画の舞台となった岬のそばも通っている。
「二十四の瞳」は有名な映画だが、私も夫も最後までじっくり見たのは初めて。
主役の高峰秀子さんはもちろん12人の子どもたちが
とっても生き生きしていたし、戦争の悲しみもぐっと伝わってきた。
また、風景の取り入れ方や凝ったカメラワークがすばらしい。
しばらく見ているうちに
波や風の強さ、潮の満ち引きを気にしている自分に気づいた。
いつのまにか「海から目線」で映画を見ている自分が何となく可笑しかった。
小豆島へもいつかヨットで行けるだろう。
そのときは「二十四の瞳」を読み直してから行こう。
夫が「二十四の瞳」を見ていた。
1954年(昭和29年)に公開された木下惠介監督・脚本、高峰秀子主演の古い映画。
最近録画したもののようだ。
映画を見ながら
私は二年前のCHIHAYAの回航のことを思い出していた。
2014年は雪が多くて寒い年だった。
回航は極寒の一月。
横浜から数々の苦難を乗り越えてCHIHAYAは別府にやってきた。
西宮からの回航初日、夫とOさんは強い西風に進路を阻まれて
小豆島内海湾の草壁港に避難したのだった。
そのときの記事に
「ここは鏡のように穏やかで美しい港でした。」
と夫の印象を記してある。
映画の舞台となった岬のそばも通っている。
「二十四の瞳」は有名な映画だが、私も夫も最後までじっくり見たのは初めて。
主役の高峰秀子さんはもちろん12人の子どもたちが
とっても生き生きしていたし、戦争の悲しみもぐっと伝わってきた。
また、風景の取り入れ方や凝ったカメラワークがすばらしい。
しばらく見ているうちに
波や風の強さ、潮の満ち引きを気にしている自分に気づいた。
いつのまにか「海から目線」で映画を見ている自分が何となく可笑しかった。
小豆島へもいつかヨットで行けるだろう。
そのときは「二十四の瞳」を読み直してから行こう。