須佐への旅③ [旅]
旧道を通って須佐湾の西の入り江に出た。
天開さんが「北前船が風を避けた」とおっしゃっていた場所はここだろうと思われる。
入り江の入り口方向。
また車を走らせる。緑が美しい須佐の海。
まずは、歴史民俗資料館へ。
こちらの学芸員さんがとても親切で、展示物のことや須佐の魅力をいろいろと教えてくださった。
語り口もあたたかくて、いい人だなあ……とほのぼのした。
毛利家永代家老の益田氏のこと(須佐は益田氏の領地だった)、
須佐出身の偉人たちのこと、そして須佐唐津焼のことなど。
また、一昨年の大水害のことも話題となった。
多くの資料が水と泥に浸かって壊滅的な被害だったという。
多くのボランティアの協力でなんとか今年5月に再開館にこぎつけたのだそうだ。
水害の写真を見て、よくぞここまで……と感動。
隣の益田邸はまだ復旧工事中だった。
学芸員さんはお昼ご飯を食べる場所を教えてくださったが、
須佐のイカ料理はとっても美味しかった。「穂の花」☆☆☆
お腹もいっぱいになったところで、須佐が見渡せる高山(こうやま)に登ることにする。
また美しい入り江を通って、山道へ。
駐車場から急な階段を上って、
わあ、きれい!!
石見の国の方向。
萩の方向。
須佐を見下ろす。
向こうの斜面の小さく切り開いたところに益田家の墓所がある。
前日天開さんと訪れたとき、地元の人によりお墓はきれいに掃除されていた。
益田家は今年7月歴史資料300点を歴史民俗資料館に寄贈したそうだ。
高山を下り、
美しい海岸を見て、
街に戻る。
幕末の長州の動乱についてはここには書き切れない。
益田家もそのうねりの中で翻弄された。
この記事を書くにあたって、夕方の散歩の50分間 ずっと夫から解説を受けた。
長州の幕末を語っていたら、あっという間に4キロメートル歩いてしまった。
昔から幾度となく繰り返された水害の歴史も
幕末の悲劇もすべて飲み込んで 須佐の海は美しかった。
次はヨットで行こうと話している。
帰り道。
たった一泊二日の長門・萩の旅だったのにお腹いっぱい。
……そろそろCHIHAYAで海に出たいんだけど。
この猛暑に区切りがつくのはいつのことだろう。