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舟が森を走る③ 蝙蝠の滝の偉業 [歴史探訪]

明治5年の秋に犬飼~沈堕の滝の通舟工事が終わると、
早速明治6年には、上流の沈堕の滝~竹田の通舟について切実な嘆願が県に提出される。
しかし、地形が複雑な上に蝙蝠の滝などの難所があることから、なかなか工事の許可が出なかった。


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写真左が下流


明治7年には再三の嘆願書が提出され、
地域住民への説明会なども開かれて、9月、着工に漕ぎ着ける。

その工事も困難を極めたが、明治8年3月に工事の終了を見る。
沈堕の滝~竹田までの工事期間約五ヶ月、実働した人員は約二万六千人。
数々の困難を克服しての通舟工事だった。


……なんて、さらりと経過報告を書いたが、
残された資料は、本当に大変な工事だったことを物語っている。



大野川流域の人々の思いを一つにした「舟を通そう」という「熱情」は、
堅い岩を穿ち、岩盤を爆破、巨石を動かすという難工事を克服し、
しかも冬の寒さに耐えつつ流水と戦うエネルギーとなったのだから、
すさまじいとしか言いようがない。




工事区間最大の難所が蝙蝠の滝であった。


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岡城東側の下にも十川(そうがわ)の滝があったが、ここは滝の岩盤を斜めに割り掘って、
舟路を完成させ、岡城下への舟道が切り拓かれた。

岡城散歩の時、ときどき通っている場所だ。


(これって、自然にできた流れじゃなかったんだ……。)

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蝙蝠の滝は高さがあるから、斜めに削ることができなかった。
どうやってこの高さを克服しようとしたか、現在の写真と一緒にご覧いただこう。



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わかりにくいが、矢印が舟路。

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①滝の上は、凝灰岩の川底を割り掘って水路のように舟路が作られた。 山林入り口付近には、舟路の水量調整のための溝が掘られている。

   (これは堅いよ……。)

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   (工事の跡?)

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   (ノミの跡とかあるらしいよ。)


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   (これが水量調整用の排水溝だね。これを作るだけでも大変……。)


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②滝を迂回するために山林内に深い掘り割りを作った。


   (おおっ!ここを舟が……。)

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  (約60メートル、舟が森の中を走ったんだ……。)

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   (幅3~4.5メートル、深さ2.5~4.5メートル。)

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   (ここにも工事の跡があるね。)

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③掘り割りだけでは、滝下の水面に着水できないから、滝下に行くために長い石垣を組み上げて、その上に大きな滑り台(木造の樋)を作って、舟が滑り降りるようにした。


   (ここは掘り割りの出口、滑り台の上の方だね。ここから斜めに滑り台があった。)

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   (横から見れば石垣が見えるはず。その写真が欲しかったな。石垣は50メートル!!)

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   (かなりの傾斜だよ。ここに滑り台-木造の樋-があったの?)
   (よく舟が壊れなかったなあ!)
   (いやいや、実際に壊れたこともあったらしいよ。)


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大野川通舟を企画した殿様と領民の思いは、新しい時代になってようやく叶えられた。
開通当時の人々の喜びは大きく、明治10年頃からは舟運業が始まっている。
明治30年ごろまでは経済効果があったことも碑文などから推察できるという。




しかし、蝙蝠の滝の滑り台(木造の樋)は毎年の洪水の度に壊れ、
その修復はかなり煩わしいことであったようだ。

出水時の写真からもわかるように、
雨が続けば、滝だけでなく大野川全体にも大きな危険が生じたはずだ。
明治18、9年頃には山間部も県道村道が整備され始めたというから、
しだいに川は使われなくなっていったのだろう。
沈堕から下流の大野川に比べ、上流の方は早く通舟が終わったらしい。
いつが終わりの時かはわからない。


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後に、使われなくなった舟路を狭め、水車小屋ができた。その跡が遺されている。

  (この石垣は水路を狭くしてたんだ……。)

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山林中の掘り割りの入り口は、水が通らないように石垣が積まれ、
舟路は閉鎖されてしまっている。



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明治42年、上流に発電所の取り入れ口ができたから、この頃には舟運も途絶えていたらしい。
 
  (発電所に行く水って、けっこう多いんだね。)

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竹田の町を流れる稲葉川。
大きな洪水があってから河川工事が進み、当時の面影は残っていない。

  (どこを舟が通ったのかな?船着き場はこのちょっと上流だね。)

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通舟の悲願達成なるも半世紀も続かなかった大野川通舟の歴史。



私の祖父は次のように書き残している。

「……あのコウモリの滝に大樋を架して舟を実際に通した当時の人たちの強烈な意欲は、驚くべくして且つ忘るべからざるものがある。大野直入という山地居住者-我々郷土の先人達-の苦渋と、何とかしてこれを打開しようとした大野川通舟という事業の価値を無視することはできない。」

  (じいちゃん、本当にそう思うよ。じいちゃんからもっと話が聞きたかったよ。)



そして、市内の子どもたちが利用するジオパークの教本では、こう結ばれている。

「蝙蝠の滝は、自然の眺めがすばらしいだけでなく、大野川を利用し生活を豊かにしようと試みた人々の歴史も色濃くのこされています。蝙蝠の滝は、人の営みと自然景観が結びついた貴重な遺産です。」



                                        
蝙蝠の滝は、「蝙蝠滝舟路跡」として平成9年に大分県指定史跡と成り、
平成19年7月26日に国登録記念物になっている。


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山間部の深い谷間に眠っている「舟を森に走らせた」物語を
ここでまとめることができて、今、ちょっと達成感。
これもウォーキングの成果かな。
(今回書けなかったこの滝の工事のエピソードは、いつか書くかも。)





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7月16日 少し水が引いた蝙蝠の滝




動画、追加しました。


  
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