被災の歴史 竹田市岡城跡⑨ [お城(跡)歩き]
ネットのニュースに、「岡城跡の石垣が豪雨で崩落」と出ていたので
気になって、16日に見に行ってきました。
崩落の場所は、西の丸の西の端っこで、下の駐車場からも見えるところです。
あらまあ……
8日にわかったとのことでしたが、
雨音に眠れなかったのが7日の深夜でしたから、あの雨で崩れたのですね。
1時間に約110ミリという恐ろしい勢いで降った雨でした。
実は、8日は私たちも梅雨の合間を狙って岡城を歩いていたのでした。
大雨の痕跡があちこちに残っていました。
近戸口からの上り坂。
お城の下の道。
西の丸も歩いたのですが、崩落には気づきませんでした。
大雨のせいで、稲葉川も濁流。
下流の蝙蝠の滝がすごいことになっていた日でした。
こんな日ですから、お天気は好かったのですが、岡城跡も貸し切りでした。
16日は、曇り空。
大手門から登城、西の丸で崩落現場を確認して、二の丸、本丸と攻めて、下原門へ。
下原門から東に下り、岡城下の道を大手門方向にてくてく。
雨の後は大手門の坂は滑るんです。
8日に行ったとき、ずるずる滑ったのですが、この日は滑り止めの敷物と注意書きが……。
稲葉川は落ち着いていました。
あらまあ、ここも危ないねえ。
再び大手門を上がって(こんな歩き方をする観光客はいないでしょうねえ)
最後は近戸門から下るという5キロのダイエットコース。
岡城はNHK「最強の城」に選ばれたこともあるのですが、
難攻不落のこの城も、被災と復旧を繰り返していました。
岡藩の知識はこの本から得ることが多いのですが、
この本に詳しく受難の歴史が書かれています。
1698年 大地震 城内各施設、石垣が被災。
1705年 4月 大地震 石垣破損箇所は、53カ所
1707年10月 またもや大地震
二の丸月見櫓が壊れたほか城中の破損箇所200カ所あまり。
1765年11月 西の丸より出火、大火災。
1771年 1月 足軽屋敷から出火、本丸、二の丸、三の丸が焼失。
1789年 6月及び11月 大火災。
1799年12月 風雨、洪水で城内外に被害。
1804年 8月 大風雨により櫓や門、塀の屋根が破損など
1822年 6月 大雨と洪水で城内、侍屋敷が被害。
7月 大風雨と洪水で城内に被害。
1835年 7月 大風雨と洪水で城内に被害。
1836年 大風雨と洪水で城内に被害。
1850年 西日本を襲った大風雨により大被害。
1854年 安政南海地震により本丸が大破。
うへえ……こんなに。
「災害による復旧と維持管理には相当の労力と財政的な負担を強いられた。」と
書かれていますが、
美しく荘厳なほどの石垣を見る度に、藩の苦労が思われるのでした。
と同時に、これだけ繰り返されている地震や風水害の被害の歴史は、
「災害は起こるのだ。」と根拠のない「安心」を戒めているようにも思いました。
月に2~3回は岡城跡を歩いていますが、
毎回整備の方のご苦労に頭が下がる思いをしています。
草が増えたな……と思っても、次に行くときれいに刈られています。
きれいになったなと思っても、少し時間が経てばもう草がいっぱい。
……名城は今も大変な努力で護られています。
20日には、くじゅう主要登山道の多くが土砂で寸断されたという記事が出ていました。
復旧の見通しはたっていないということです。
改めて、被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
一日でも早く復旧がかないますように。
気になって、16日に見に行ってきました。
崩落の場所は、西の丸の西の端っこで、下の駐車場からも見えるところです。
あらまあ……
8日にわかったとのことでしたが、
雨音に眠れなかったのが7日の深夜でしたから、あの雨で崩れたのですね。
1時間に約110ミリという恐ろしい勢いで降った雨でした。
実は、8日は私たちも梅雨の合間を狙って岡城を歩いていたのでした。
大雨の痕跡があちこちに残っていました。
近戸口からの上り坂。
お城の下の道。
西の丸も歩いたのですが、崩落には気づきませんでした。
大雨のせいで、稲葉川も濁流。
下流の蝙蝠の滝がすごいことになっていた日でした。
こんな日ですから、お天気は好かったのですが、岡城跡も貸し切りでした。
16日は、曇り空。
大手門から登城、西の丸で崩落現場を確認して、二の丸、本丸と攻めて、下原門へ。
下原門から東に下り、岡城下の道を大手門方向にてくてく。
雨の後は大手門の坂は滑るんです。
8日に行ったとき、ずるずる滑ったのですが、この日は滑り止めの敷物と注意書きが……。
稲葉川は落ち着いていました。
あらまあ、ここも危ないねえ。
再び大手門を上がって(こんな歩き方をする観光客はいないでしょうねえ)
最後は近戸門から下るという5キロのダイエットコース。
岡城はNHK「最強の城」に選ばれたこともあるのですが、
難攻不落のこの城も、被災と復旧を繰り返していました。
岡藩の知識はこの本から得ることが多いのですが、
この本に詳しく受難の歴史が書かれています。
1698年 大地震 城内各施設、石垣が被災。
1705年 4月 大地震 石垣破損箇所は、53カ所
1707年10月 またもや大地震
二の丸月見櫓が壊れたほか城中の破損箇所200カ所あまり。
1765年11月 西の丸より出火、大火災。
1771年 1月 足軽屋敷から出火、本丸、二の丸、三の丸が焼失。
1789年 6月及び11月 大火災。
1799年12月 風雨、洪水で城内外に被害。
1804年 8月 大風雨により櫓や門、塀の屋根が破損など
1822年 6月 大雨と洪水で城内、侍屋敷が被害。
7月 大風雨と洪水で城内に被害。
1835年 7月 大風雨と洪水で城内に被害。
1836年 大風雨と洪水で城内に被害。
1850年 西日本を襲った大風雨により大被害。
1854年 安政南海地震により本丸が大破。
うへえ……こんなに。
「災害による復旧と維持管理には相当の労力と財政的な負担を強いられた。」と
書かれていますが、
美しく荘厳なほどの石垣を見る度に、藩の苦労が思われるのでした。
と同時に、これだけ繰り返されている地震や風水害の被害の歴史は、
「災害は起こるのだ。」と根拠のない「安心」を戒めているようにも思いました。
月に2~3回は岡城跡を歩いていますが、
毎回整備の方のご苦労に頭が下がる思いをしています。
草が増えたな……と思っても、次に行くときれいに刈られています。
きれいになったなと思っても、少し時間が経てばもう草がいっぱい。
……名城は今も大変な努力で護られています。
20日には、くじゅう主要登山道の多くが土砂で寸断されたという記事が出ていました。
復旧の見通しはたっていないということです。
改めて、被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
一日でも早く復旧がかないますように。