「箱根ユリ」 竹田市岡城跡⑩ [お城(跡)歩き]
梅雨明け前の岡城跡です。
この日は、近戸門から。
葛に覆われそうな近戸門。
近戸門横の石垣。
そこから近戸門下の七曲がりを眺めます。緑に包まれています。
本丸に向かう途中で雨が降り始めました。
そろそろ出会えるのではないかなと思っていた「箱根ユリ」。
本丸の東側の石垣に咲いていました。
こんなところに!
ぐるっと回って、東側から本丸の石垣下へ。
こちらでは普通に「箱根ユリ」と言いますが、「ヤマユリ」が正式な名前。
ウィキさんによると、
生息地は、「北陸地方を除く本州の近畿地方以北の山地に分布」とあり、
「地方によって様々な別の呼び名があり、ヨシノユリ(吉野百合、芳野百合)、エイザン ユリ(叡山百合)、ホウライジユリ(蓬莱寺百合、鳳来寺百合)などともよばれていて、 各産地に因んで名付けられている。 」
ですって。
では、九州竹田でなぜ「箱根ユリ」?
それはですね、
「岡藩第四代藩主中川久恒公が参勤交代の際に、箱根から鑑賞用として、また、非常時の食料とするために持ち帰ったもの」だから……ということらしいです。
また、「八代藩主中川久貞公は深くこの花を賞玩したとも伝えられ、以後竹田地方に広く分布するようになった」
のですって。
私たちが子どもの頃、山の斜面に咲いているのをよく見かけました。
草刈りをしても、ユリはちゃんと刈らないで残してあったものです。
「里人の刈り残してあり百合の花」
私の知り合いの方の句ですが、こちらではこんなふうに大事にしてたんですよ。
また、こんな話を伝え聞いたこともあります。これは、本当かどうか……さて?
「岡城の殿様が箱根から種を持ってかえってきて、本丸から東に向かって
ふっと息を吹きかけた。種は風に乗って広がった。
だから、岡城の東の地域(私たちのふるさと)にたくさん生えている。」
うちの庭ではお母ちゃんがテッポウユリを植えたんですが、
咲いた花をそのままにしておいたら、実が膨らんで、
種がわらわら弾けて飛んで、今や雑草並みに芽を出します。
(庭の風通しを阻害するようになったので、お母ちゃんに内緒で駆逐しています。).
「箱根ユリ」もそうなのかなと思ったら、
球根が美味しいので、イノシシ等が掘って食べちゃうらしいのです。
岡城の箱根ユリは一時はなくなってしまったとか。
いつ岡城に行っても、イノシシが土を掘り返した現場に出会うからなあ!
夜の岡城はイノシシ天国なのかも。
岡城では、ユリが石垣に生えていた理由がよくわかりました。
さすがのイノシシも石垣は登れないでしょう。
竹田市では、「箱根ユリ」を大事に育てている地域もあります。
殿様が持って帰ってきて、大事にしていた「箱根ユリ」。
本丸の岡神社の天井絵にも「箱根ユリ」の絵がありましたよ。
岡城跡のお土産屋さんも大事にしています。
事務所の横の自販機の向こうにも裏側の斜面にも。
近戸口の近くでも。
そう言えば、竹田市の看板は、石垣とユリのデザインだった!
下原門そばで、咲くのを楽しみにしていたユリ。
16日の写真。
きっときれいに咲いているだろうと思ったら……。
ありー。
こんな処まで来て悪さをする人はいないだろうから、
虫?鳥?獣のたぐい?
もしかしたら、球根を大きくするために、花を摘んだのかな。
ま、いいや。来年、また会おうね。
……この日は、降り出した雨に促され早々に退散。
4㎞も歩けませんでした。
ま、箱根ユリが見られたから、いいか。
殿様が持ち帰って藩の人たちが大事にした「箱根ユリ」。
岡城跡だけでなく、国道502号沿いでもよく見かけます。
ところで、九州の他の地域や四国にはヤマユリはないんですか?
この日は、近戸門から。
葛に覆われそうな近戸門。
近戸門横の石垣。
そこから近戸門下の七曲がりを眺めます。緑に包まれています。
本丸に向かう途中で雨が降り始めました。
そろそろ出会えるのではないかなと思っていた「箱根ユリ」。
本丸の東側の石垣に咲いていました。
こんなところに!
ぐるっと回って、東側から本丸の石垣下へ。
こちらでは普通に「箱根ユリ」と言いますが、「ヤマユリ」が正式な名前。
ウィキさんによると、
生息地は、「北陸地方を除く本州の近畿地方以北の山地に分布」とあり、
「地方によって様々な別の呼び名があり、ヨシノユリ(吉野百合、芳野百合)、エイザン ユリ(叡山百合)、ホウライジユリ(蓬莱寺百合、鳳来寺百合)などともよばれていて、 各産地に因んで名付けられている。 」
ですって。
では、九州竹田でなぜ「箱根ユリ」?
それはですね、
「岡藩第四代藩主中川久恒公が参勤交代の際に、箱根から鑑賞用として、また、非常時の食料とするために持ち帰ったもの」だから……ということらしいです。
また、「八代藩主中川久貞公は深くこの花を賞玩したとも伝えられ、以後竹田地方に広く分布するようになった」
のですって。
私たちが子どもの頃、山の斜面に咲いているのをよく見かけました。
草刈りをしても、ユリはちゃんと刈らないで残してあったものです。
「里人の刈り残してあり百合の花」
私の知り合いの方の句ですが、こちらではこんなふうに大事にしてたんですよ。
また、こんな話を伝え聞いたこともあります。これは、本当かどうか……さて?
「岡城の殿様が箱根から種を持ってかえってきて、本丸から東に向かって
ふっと息を吹きかけた。種は風に乗って広がった。
だから、岡城の東の地域(私たちのふるさと)にたくさん生えている。」
うちの庭ではお母ちゃんがテッポウユリを植えたんですが、
咲いた花をそのままにしておいたら、実が膨らんで、
種がわらわら弾けて飛んで、今や雑草並みに芽を出します。
(庭の風通しを阻害するようになったので、お母ちゃんに内緒で駆逐しています。).
「箱根ユリ」もそうなのかなと思ったら、
球根が美味しいので、イノシシ等が掘って食べちゃうらしいのです。
岡城の箱根ユリは一時はなくなってしまったとか。
いつ岡城に行っても、イノシシが土を掘り返した現場に出会うからなあ!
夜の岡城はイノシシ天国なのかも。
岡城では、ユリが石垣に生えていた理由がよくわかりました。
さすがのイノシシも石垣は登れないでしょう。
竹田市では、「箱根ユリ」を大事に育てている地域もあります。
殿様が持って帰ってきて、大事にしていた「箱根ユリ」。
本丸の岡神社の天井絵にも「箱根ユリ」の絵がありましたよ。
岡城跡のお土産屋さんも大事にしています。
事務所の横の自販機の向こうにも裏側の斜面にも。
近戸口の近くでも。
そう言えば、竹田市の看板は、石垣とユリのデザインだった!
下原門そばで、咲くのを楽しみにしていたユリ。
16日の写真。
きっときれいに咲いているだろうと思ったら……。
ありー。
こんな処まで来て悪さをする人はいないだろうから、
虫?鳥?獣のたぐい?
もしかしたら、球根を大きくするために、花を摘んだのかな。
ま、いいや。来年、また会おうね。
……この日は、降り出した雨に促され早々に退散。
4㎞も歩けませんでした。
ま、箱根ユリが見られたから、いいか。
殿様が持ち帰って藩の人たちが大事にした「箱根ユリ」。
岡城跡だけでなく、国道502号沿いでもよく見かけます。
ところで、九州の他の地域や四国にはヤマユリはないんですか?