川沿いの旧道を歩く [山歩き]
(今日のカテゴリは何にしたらいいんだ?とりあえず、山の中だから……)
岡城跡の料金所の案内板に、江戸時代後期の地図がある。
武家屋敷や当時の道筋など丁寧に記されていて、
現在と重ね合わせると興味深い。
4月24日は、けっこう歩いた。
まず料金所とお店のおばちゃんに挨拶をし、大手門から北の近戸門を下って、
碧雲寺界隈から城北町の旧道を歩き、
挾田集落に出て、大歳神様でお弁当を食べて、
岡城の東の端、十川(そうがわ)というところにきた。
ここまでの行程がこれ。
「ここ」と記した場所に、ここから城内であることを示す門柱が残っている。
この位置に昔は橋がかかっていて、東の下原門を通って登城したのである。
24日は私たちもそのコースを辿る予定であった……、が。
昔はここから、橋を渡って城内へと向かう道の他に、
稲葉川沿いを竹田の城下に向かう道があった。
昔と言っても、十川のちょっと川下に住んでいたお母ちゃんが、
竹田の女学校に通うのに使うこともあったから、
わりと最近(?)までは利用されていた道である。
簡易舗装など一部施されていたようだが、
度重なる稲葉川の水害で大水に洗われ、川沿いの道は消滅した。
……地元の人からもそう聞いていた。
この日、何を思いついたか、川沿いの登城口を確かめたとき、
河原が白く乾いているのに気づき、
いつもの好奇心から、足をそちらに向けることになった。
行けるところまで行ってみようというつもりだったが、
ずっと雨も降っていなかったので水量も少なく、
けっこう河原を遡ることができる。
途切れ途切れに旧道も確認できる。
今時こんな所を歩くのは、私たちとイノシシくらいであろう。
左手を見上げれば岡城の山。
下原門から見えた河原は、この辺りだろうか。
(1月の写真)
まだ行ける?
行ける、行ける。
立派に道が残っている場所もある。
夫はずいずいと先を行く。
行ける?
大丈夫。
こんなことを繰り返しているうちに、
岡城二の丸の下、三日月岩が見えるところまできてしまった。
二の丸が見えている。
ここまで来たら、来た道を戻ることはしたくない。
最後の難関?
岩を這い登って、竹藪をくぐり抜けて、広いところに出た。
やれやれと振り返ってみる。
たどり着いた広い場所は、
お殿様がお城から下りてきて、水浴びなどして遊んだ場所である。
案内板によると、三日月岩を掘ったのは元禄の頃、五代藩主らしい。
天明年間(1781年~1789年)の地図では、お茶屋と書かれており、
お城から下りてきてこちらがわに渡る橋もあったようだ。
城跡(二の丸)から見下ろした写真。
下は、昨年7月の大雨の後。
この後、きちんとした川沿いの道を歩き、
また碧雲寺前の道に戻って、近戸門から再び登城した。
歩いてきた川沿いの道をオレンジ色でマークした。
あ、いいものを思い出した。由学館のジオラマ。
岡城との位置関係がわかるはず。
下の星から上の星まで稲葉川沿いを遡った。
昭和23年に上空から米軍が撮影した写真には、
川沿いの道もしっかり写っていると夫が言う。
(お母ちゃんがこの道を使っていた頃だ!)
24日に歩いた全行程。
約10キロメートル、道なき道をよくもまあ歩いたものだ。
昨日今日(28、29日)とけっこう雨が降った。
あの道は、今はもう通れないかもしれない。
岡城跡の料金所の案内板に、江戸時代後期の地図がある。
武家屋敷や当時の道筋など丁寧に記されていて、
現在と重ね合わせると興味深い。
4月24日は、けっこう歩いた。
まず料金所とお店のおばちゃんに挨拶をし、大手門から北の近戸門を下って、
碧雲寺界隈から城北町の旧道を歩き、
挾田集落に出て、大歳神様でお弁当を食べて、
岡城の東の端、十川(そうがわ)というところにきた。
ここまでの行程がこれ。
「ここ」と記した場所に、ここから城内であることを示す門柱が残っている。
この位置に昔は橋がかかっていて、東の下原門を通って登城したのである。
24日は私たちもそのコースを辿る予定であった……、が。
昔はここから、橋を渡って城内へと向かう道の他に、
稲葉川沿いを竹田の城下に向かう道があった。
昔と言っても、十川のちょっと川下に住んでいたお母ちゃんが、
竹田の女学校に通うのに使うこともあったから、
わりと最近(?)までは利用されていた道である。
簡易舗装など一部施されていたようだが、
度重なる稲葉川の水害で大水に洗われ、川沿いの道は消滅した。
……地元の人からもそう聞いていた。
この日、何を思いついたか、川沿いの登城口を確かめたとき、
河原が白く乾いているのに気づき、
いつもの好奇心から、足をそちらに向けることになった。
行けるところまで行ってみようというつもりだったが、
ずっと雨も降っていなかったので水量も少なく、
けっこう河原を遡ることができる。
途切れ途切れに旧道も確認できる。
今時こんな所を歩くのは、私たちとイノシシくらいであろう。
左手を見上げれば岡城の山。
下原門から見えた河原は、この辺りだろうか。
(1月の写真)
まだ行ける?
行ける、行ける。
立派に道が残っている場所もある。
夫はずいずいと先を行く。
行ける?
大丈夫。
こんなことを繰り返しているうちに、
岡城二の丸の下、三日月岩が見えるところまできてしまった。
二の丸が見えている。
ここまで来たら、来た道を戻ることはしたくない。
最後の難関?
岩を這い登って、竹藪をくぐり抜けて、広いところに出た。
やれやれと振り返ってみる。
たどり着いた広い場所は、
お殿様がお城から下りてきて、水浴びなどして遊んだ場所である。
案内板によると、三日月岩を掘ったのは元禄の頃、五代藩主らしい。
天明年間(1781年~1789年)の地図では、お茶屋と書かれており、
お城から下りてきてこちらがわに渡る橋もあったようだ。
城跡(二の丸)から見下ろした写真。
下は、昨年7月の大雨の後。
この後、きちんとした川沿いの道を歩き、
また碧雲寺前の道に戻って、近戸門から再び登城した。
歩いてきた川沿いの道をオレンジ色でマークした。
あ、いいものを思い出した。由学館のジオラマ。
岡城との位置関係がわかるはず。
下の星から上の星まで稲葉川沿いを遡った。
昭和23年に上空から米軍が撮影した写真には、
川沿いの道もしっかり写っていると夫が言う。
(お母ちゃんがこの道を使っていた頃だ!)
24日に歩いた全行程。
約10キロメートル、道なき道をよくもまあ歩いたものだ。
昨日今日(28、29日)とけっこう雨が降った。
あの道は、今はもう通れないかもしれない。