私が「Yacht・Widow」だった頃。 [ヨット]
二十何年も昔の話だけれど、
夫がヨットに乗りはじめた頃、私も別府についていった。
ハーバーの近くで夫を車から降ろすと
私はドライブに出かけた。
数時間後、迎えに行ってヨットの近くまで行ってみた。
WINDKISSのオーナーのYさんだったと思うが、
(いや、弟のHさんだったかもしれない)
「来週から、ずっと放っておかれるよ。」
ヨットの上から、そのようなことを私におっしゃった。
……その言葉通りになった。
日曜日の度に夫はいなかった。
夏は赤銅色に日焼けしていたし、よくレースに参加していた。
臼杵や佐伯のフェリー乗り場に迎えに行ったこともあったから、
瀬戸内や宇和海方面に行っていたのだろう。
娘が生まれて病院から帰った日も
レースに出かけていた。
ずいぶんWINDKISSで鍛えていただいたものだ。
その頃、私は何をしていたのかな……と思い出してみるのだが
全く思い出せない。
土曜日はお休みじゃない時代だったから
今日のように、片付けをしたりごろごろしたりしていたのだろう。
……一昨日、車の中で、懐かしのメロディー「ロックンロール・ウィドウ」が流れたとき
ふと、思い出したのだ。
「私って、Yacht・Widowだ。」と夫に愚痴をこぼしていたことを。
夫がヨットに乗りはじめた頃、私も別府についていった。
ハーバーの近くで夫を車から降ろすと
私はドライブに出かけた。
数時間後、迎えに行ってヨットの近くまで行ってみた。
WINDKISSのオーナーのYさんだったと思うが、
(いや、弟のHさんだったかもしれない)
「来週から、ずっと放っておかれるよ。」
ヨットの上から、そのようなことを私におっしゃった。
……その言葉通りになった。
日曜日の度に夫はいなかった。
夏は赤銅色に日焼けしていたし、よくレースに参加していた。
臼杵や佐伯のフェリー乗り場に迎えに行ったこともあったから、
瀬戸内や宇和海方面に行っていたのだろう。
娘が生まれて病院から帰った日も
レースに出かけていた。
ずいぶんWINDKISSで鍛えていただいたものだ。
その頃、私は何をしていたのかな……と思い出してみるのだが
全く思い出せない。
土曜日はお休みじゃない時代だったから
今日のように、片付けをしたりごろごろしたりしていたのだろう。
……一昨日、車の中で、懐かしのメロディー「ロックンロール・ウィドウ」が流れたとき
ふと、思い出したのだ。
「私って、Yacht・Widowだ。」と夫に愚痴をこぼしていたことを。