6月の岡城(周辺)歩き 竹田市「岡城跡」㉕ [お城(跡)歩き]
6月は夫が畑の仕事に集中していたのといろいろ差し支えがあって、
あまりウォーキングができませんでした。
おかげでこんな立派な野菜が毎日穫れるようになってはいるのですが……。
岡城跡の年間パスを買ったのにあまり行けませんでした。
歩きだけで2回、自転車で2回。あとはずっとご無沙汰。
事務所の方に「もう飽きたかな?」と思われているかも……。
でも、せっかく写真も撮っていますので、夏の「岡藩」をご一緒に……。
6月2日。
むせかえるような緑の中を歩きました。
草刈りが大変そうです。
二の丸から稲葉川を眺めました。
川沿いの道は増水してもう歩けそうにないです。
御廟所跡の倒木の梅。実はなかったです。
5月に下原門から下ったところで、夫が黒くて長い尾を持つ変わった鳥を見かけました。
調べたらサンコウチョウのようです。夏に渡ってくる鳥です。
「ツキ ヒ ホシ ホイホイホイ」と鳴くらしいです。
耳を澄ませながら歩きましたが、まだ再会なりません。
下の桜の木にはウグイスがいて、いつもよい声を聞かせてくれます。
今、鳴いてます。
ウグイスって声はよく聞こえるのに、姿はなかなか見せませんねえ。
すっかり姿を現した滑瀬坂。
いつかこの坂のことをまとめて書こうと思いつつそのまま。
6月23日。ますます緑が濃くなった岡城跡。
紫陽花もどんどん色が変わります。
お土産屋のおばちゃんから、
「赤い帽子はどうしたの?」と聞かれて笑ってしまいました。
やっぱり赤い帽子はトレードマークになってたんだ……。
あれは、「トランプ支持」じゃなくて、
「シカゴヨットクラブのミシガン湖縦断ヨットレース」の帽子なんですよ。
以前、アメリカに住む夫の従兄弟の奥さんからもらったんです。
暑いので、大きい帽子に換えただけ。
修理ができた御廟所跡の石垣。
去年の水害から一年。
久しぶりに下原門から東に下って、挾田方面に向かいます。
寄ってくる虫を手で払いながら竹藪の中の坂道を下ります。
挾田集落は夏の花の道。
久しぶりに大歳神様でお昼ご飯を食べました。
ここをGoogleマップのストリートビューで見ると、まだ立派な杉の木があります。
2013年撮影なんですって。
この日は久しぶりに城北町の旧道を歩いています。
例によって、中条唯七郎さんの話をしながら歩きました。
春に歩いたとき、思ったより道がきれいになっていて、
地域の人が手入れするのかな……などと話しながら歩いたのですが、
今はヘビが怖くて、秋になるまで踏み込むことは止めた方がよさそうです。
石垣の紫陽花の上に道があって、そこから城下に下ってきました。
岡藩主の菩提寺、碧雲寺前。
稲葉川沿いから近戸門への道に入ったところで、
スモモがたわわに実っているお宅があります。
実は、わが家は今年、スモモが不作だったのです。
ちょうどご主人がいらっしゃったので、
手入れの方法など聞いてみたら、
「買ってきて植えてそのまんま。」とのご返事。
一生懸命スモモの手入れをしていた夫はガッカリ。
「ちょっと待ってて。」とご主人はお宅に入って行かれたのですが、
よく熟れたスモモを二つずつ持たせてくれました。
さわやかな甘さでした。
8㎞ほど歩いて暑さのせいかバテバテ。
近戸門の七曲がりを上がる気力はもう無くなっていたのでした。
今日は7月5日。あれから全く歩きもサイクリングもなし。
このまま猛暑に突入するとやばいなあ。
あまりウォーキングができませんでした。
おかげでこんな立派な野菜が毎日穫れるようになってはいるのですが……。
岡城跡の年間パスを買ったのにあまり行けませんでした。
歩きだけで2回、自転車で2回。あとはずっとご無沙汰。
事務所の方に「もう飽きたかな?」と思われているかも……。
でも、せっかく写真も撮っていますので、夏の「岡藩」をご一緒に……。
6月2日。
むせかえるような緑の中を歩きました。
草刈りが大変そうです。
二の丸から稲葉川を眺めました。
川沿いの道は増水してもう歩けそうにないです。
御廟所跡の倒木の梅。実はなかったです。
5月に下原門から下ったところで、夫が黒くて長い尾を持つ変わった鳥を見かけました。
調べたらサンコウチョウのようです。夏に渡ってくる鳥です。
「ツキ ヒ ホシ ホイホイホイ」と鳴くらしいです。
耳を澄ませながら歩きましたが、まだ再会なりません。
「あれ、変な鳥がいる!」と夫。……残念、はっきり捉えられなかった私。
指さした先の、これ?
下の桜の木にはウグイスがいて、いつもよい声を聞かせてくれます。
今、鳴いてます。
ウグイスって声はよく聞こえるのに、姿はなかなか見せませんねえ。
すっかり姿を現した滑瀬坂。
いつかこの坂のことをまとめて書こうと思いつつそのまま。
6月23日。ますます緑が濃くなった岡城跡。
紫陽花もどんどん色が変わります。
お土産屋のおばちゃんから、
「赤い帽子はどうしたの?」と聞かれて笑ってしまいました。
やっぱり赤い帽子はトレードマークになってたんだ……。
あれは、「トランプ支持」じゃなくて、
「シカゴヨットクラブのミシガン湖縦断ヨットレース」の帽子なんですよ。
以前、アメリカに住む夫の従兄弟の奥さんからもらったんです。
暑いので、大きい帽子に換えただけ。
修理ができた御廟所跡の石垣。
去年の水害から一年。
久しぶりに下原門から東に下って、挾田方面に向かいます。
寄ってくる虫を手で払いながら竹藪の中の坂道を下ります。
挾田集落は夏の花の道。
久しぶりに大歳神様でお昼ご飯を食べました。
ここをGoogleマップのストリートビューで見ると、まだ立派な杉の木があります。
2013年撮影なんですって。
この日は久しぶりに城北町の旧道を歩いています。
例によって、中条唯七郎さんの話をしながら歩きました。
春に歩いたとき、思ったより道がきれいになっていて、
地域の人が手入れするのかな……などと話しながら歩いたのですが、
今はヘビが怖くて、秋になるまで踏み込むことは止めた方がよさそうです。
石垣の紫陽花の上に道があって、そこから城下に下ってきました。
岡藩主の菩提寺、碧雲寺前。
稲葉川沿いから近戸門への道に入ったところで、
スモモがたわわに実っているお宅があります。
実は、わが家は今年、スモモが不作だったのです。
ちょうどご主人がいらっしゃったので、
手入れの方法など聞いてみたら、
「買ってきて植えてそのまんま。」とのご返事。
一生懸命スモモの手入れをしていた夫はガッカリ。
「ちょっと待ってて。」とご主人はお宅に入って行かれたのですが、
よく熟れたスモモを二つずつ持たせてくれました。
さわやかな甘さでした。
8㎞ほど歩いて暑さのせいかバテバテ。
近戸門の七曲がりを上がる気力はもう無くなっていたのでした。
今日は7月5日。あれから全く歩きもサイクリングもなし。
このまま猛暑に突入するとやばいなあ。
岡城跡この一年 竹田市「岡城跡」㉔ [お城(跡)歩き]
あまり出歩けないままに5月が終わろうとしています。
夏野菜の植え付けなど何かと家の用事が重なってしまいました。
お天気も悪かったですしね。
その間に岡城跡の年間パスも期限切れ。
更新に行きたいけれど……。
年間パスを買ってからは55回の登城でした。
(購入する前を勘定すると、今日までに61回登城していました。)
「飽きませんか?」
そう聞かれることは多いのですが、
四季折々の城跡の美しさや様々な出会い、小さな発見に心動かされることが多くて
全く飽きることがありません。
岡城周辺を歩き回れば、さらにいろいろな発見がありました。
この厳しい時代の中で、安心して楽しく歩ける場所があったことは幸せでした。
「この一年で岡城の何がいちばん印象に残っている?」
「二の丸で吹雪に遭ったことかな。」
「アナグマと見つめ合ったこと。」
「いやいや、線彫磨崖仏を求めて愛宕山の藪を彷徨ったことじゃない?」
どれとは決めがたく楽しいウォーキングでした。
強風に倒れた梅や桜が見事な花を咲かせていたことなどは、
繁く通わなければ出会えなかった感動かも知れません。
すでに根から新しい芽が……。
一年のうちに様変わりしたことも多いです。
竹田市が岡城跡の整備に力を入れているのでしょう。
アプリを使って、城跡の要所要所の説明を聞くことができるようになりました。
大手門への坂が昇りやすくなりました。
雨の後はつるつる滑って登りにくかったのです。
去年
今年
大手門から本丸へ向かう道筋は、南面の樹が時間をかけて伐採されました。
本丸あたりの軍艦のような姿が一望できるようになりました。
伐採前
伐採中
伐採後
冬には本丸への道が舗装されました。
この道は、北の神角寺や城山からもよく見えて
岡城を探すときの目印になりました。
舗装前
舗装工事中
舗装後
北の標高820メートルからみた岡城跡。舗装された道が明るく光って見えます。
そして、岡城跡南斜面の「滑り瀬坂・七曲がり」が姿を現しました。
草むらの中の滑り瀬坂
整備されつつある滑り瀬坂。
これがいちばん大きな変化でしょうか。
ここについては、写真がたくさんあるので、また今度。
料金所の方やお土産屋のおばちゃんと親しく話せるようになったことも
大きな変化でうれしいことですね。
お天気になったらお目にかかりましょう。
これからもよろしくお願いします。
夏野菜の植え付けなど何かと家の用事が重なってしまいました。
お天気も悪かったですしね。
その間に岡城跡の年間パスも期限切れ。
更新に行きたいけれど……。
年間パスを買ってからは55回の登城でした。
(購入する前を勘定すると、今日までに61回登城していました。)
「飽きませんか?」
そう聞かれることは多いのですが、
四季折々の城跡の美しさや様々な出会い、小さな発見に心動かされることが多くて
全く飽きることがありません。
岡城周辺を歩き回れば、さらにいろいろな発見がありました。
この厳しい時代の中で、安心して楽しく歩ける場所があったことは幸せでした。
「この一年で岡城の何がいちばん印象に残っている?」
「二の丸で吹雪に遭ったことかな。」
「アナグマと見つめ合ったこと。」
「いやいや、線彫磨崖仏を求めて愛宕山の藪を彷徨ったことじゃない?」
どれとは決めがたく楽しいウォーキングでした。
強風に倒れた梅や桜が見事な花を咲かせていたことなどは、
繁く通わなければ出会えなかった感動かも知れません。
すでに根から新しい芽が……。
一年のうちに様変わりしたことも多いです。
竹田市が岡城跡の整備に力を入れているのでしょう。
アプリを使って、城跡の要所要所の説明を聞くことができるようになりました。
大手門への坂が昇りやすくなりました。
雨の後はつるつる滑って登りにくかったのです。
去年
今年
大手門から本丸へ向かう道筋は、南面の樹が時間をかけて伐採されました。
本丸あたりの軍艦のような姿が一望できるようになりました。
伐採前
伐採中
伐採後
冬には本丸への道が舗装されました。
この道は、北の神角寺や城山からもよく見えて
岡城を探すときの目印になりました。
舗装前
舗装工事中
舗装後
北の標高820メートルからみた岡城跡。舗装された道が明るく光って見えます。
そして、岡城跡南斜面の「滑り瀬坂・七曲がり」が姿を現しました。
草むらの中の滑り瀬坂
整備されつつある滑り瀬坂。
これがいちばん大きな変化でしょうか。
ここについては、写真がたくさんあるので、また今度。
料金所の方やお土産屋のおばちゃんと親しく話せるようになったことも
大きな変化でうれしいことですね。
お天気になったらお目にかかりましょう。
これからもよろしくお願いします。
地元の城山は見慣れたお山 豊後大野市「鳥屋城跡」② [お城(跡)歩き]
3月26日の岡城跡は満開の桜、観光客も多かった。
桜祭りなどの人混みを避けて行った4月7日。
桜にかわって、若楓の緑がまぶしかった。
廉太郎さんは寂しくなったかな。
夫は、前の記事の「城山(鳥屋城跡)」の位置を確認している。
城山は、岡城跡や私たちの町からよく見える馴染みの山だった。
登った後で「なんだ、あの山だったのか。」というところが
私たちらしいと言えば私たちらしい。
この地域の山の形は見知っていても名前までは確認したことがない。
標高が1000メートルにも満たぬ山に四方を囲まれた生活を送っていると、
まあ、そんなものであろう。
昨年我が町の南にある御嶽から撮った写真で確認すると、ここ。
確かに古くから山城があってもおかしくないような位置と高さである。
7日はお天気は好かったが、まだ景色がかすんでいるから、
岡城歩きにしようと決めて家を出たのだが、
岡城跡から城山がよく見えたので、
じゃあ、城山に行こうと早々と城を下りた。
事務所の人から、
「あれ?もう帰るんですか?」なんて言われたのが可笑しかった。
竹田市から国道57号を東に下り、国道442号に入ると城山が見える。
若葉の美しい神角寺渓谷を通って、登山口へ。
途中、東隣の神角寺山を見ると、前よりは展望が期待できそうだった。
前には咲いていなかった花にも会えた。
二回目になると、あっという間に登れた感じだ。
「ああ、今日は西に阿蘇がぼんやり見える。あっちが阿蘇だったんだ~。」
「黄砂はないけど、まだかすんでるなあ。」
南から西に拡がる斜面を眺めた。
本丸など城の中心部と思われる。
前には行かなかった城山山頂に向かう。
北にあるピークは松や雑木に囲まれて見晴らしはよくない。残念。
そこで、見晴らしのよさそうな西の端の三の丸跡に向かう。
ちょっと下って、また登る。
西から北の方向にあるくじゅう連山や由布岳もうっすら。
南側の景色。
〇で囲んだ辺りに岡城跡がある。
双眼鏡では確認できたが、写真では確認が難しい。
枯れ木のちょうど向こう辺りの平野が我が町。
東の方向の高崎山もうっすら。
前よりはよかったが、やはり物足りない景色だ。
この日は南の尾根の先まで行ってみた。
何かありそうな気配だが、古城の遺構は見つからなかった。
眼下にいつも通る国道442が見えた。
中心部にもどって、さっき登った西の端の三の丸跡を眺める。
「やっぱりくじゅう連山や阿蘇がくっきり見たいなあ。」
帰り道、眼下に見た国道から城山を見上げた。
「とんがり」の松山が三の丸跡。
「あんなところをうろついて来たんだ~。」
「また来よう。」とすっかり城山が気に入った私たち。
4月9日。
天気がよかったので、車で上れる神角寺に行ってみて、
眺望がよければまた城山に登ろうと話していた。
が、神角寺とその山頂にある展望台が面白かったので、結局城山には行かないまま。
……これはまた次に。
地元の「城山」へ 豊後大野市「鳥屋城跡」① [お城(跡)歩き]
鳥屋(とや)城跡に行こうとして
「これは簡単には行けそうにないから出直し。」
と言ったのは、確か三年前の春。
3月29日。
出直すまでに三年かかってますが、
「今日は黄砂だから高いところに登ってもな~。だから、偵察。」
そんなつもりでやってきた登城口。
グーグルマップでは「城山」と表記されています。
鳥屋城跡の案内。
ほう、鎌倉時代の山城ですか。こっちの「城山」は古そうです。
ざっと読んで登り始めます。
案内板に従って山道を登ります。
登り始めの地点は、標高約615メートル。
ちょっと登ればけっこうな見晴らし。
黄砂が邪魔しているのが残念です。
向こうの山は標高730メートルの神角寺山。
山頂に近いところに、
国指定重要文化財の「檜皮ぶきの本堂や木造金剛力士立像」で有名な神角寺があります。
シャクナゲもきれいなんですよ。
車で行くことのできる絶景ポイントです。
さて、こちらの城山。
楽に頂上に着くのかとおもいきや、これがけっこうな「登山」です。
「偵察」のはずが、本気で登らないとやばい状況。
ここは地元の保存会の方が
登山道を定期的に手入れし、城跡を後世に残す活動をされているそうです。
それで、雑木の中の登山道も歩きやすいのです。
助かりました。
また、城山の植物も丁寧に紹介されていました。
頭が下がります。
さらに100メートル毎に、
「あと〇〇メートル」と看板が立っていて、登山を励ましてくれます。
何かがあったような形跡も。
ずいぶん登ってきました。
景色がよければ、海が見えたかも知れません。
さあ、頂上が近づきました。
あれ、頂上付近は思ったより広い!!
保存会が切り拓いて、縄張りを見やすくしているようです。
ああ、風景は……黄砂、邪魔。
標高774メートルの山城跡です。
もう一度、保存会による「縄張り図」を見てみましょう。
矢印の方向から登ってきて、
まず、黄色い丸の所辺りをうろついて、
お弁当の後、赤い丸の所まで行ってみました。
これがけっこうな距離でした。
驚きました。
かなり大規模な山城がこんなところに。
確かに「城山」。
どんな城が築かれて、どのように人が暮らしていたのでしょうか。
残念だったのは、
黄砂で風景がよく見えなかったこと。
マクロレンズしか持っていっていなかったので、全体像が撮れなかったこと。
(このところマクロばかり使っていたので……。)
というわけで、お天気の好い日を選んで、
また登ろうということになりました。
運動にもなりますし。
どんな花が咲いているかも楽しみです。
車を停めた場所の辺りは
たくさんの花が植えられていて、地元の方の熱意を感じました。
「これは簡単には行けそうにないから出直し。」
と言ったのは、確か三年前の春。
3月29日。
出直すまでに三年かかってますが、
「今日は黄砂だから高いところに登ってもな~。だから、偵察。」
そんなつもりでやってきた登城口。
グーグルマップでは「城山」と表記されています。
鳥屋城跡の案内。
ほう、鎌倉時代の山城ですか。こっちの「城山」は古そうです。
ざっと読んで登り始めます。
案内板に従って山道を登ります。
登り始めの地点は、標高約615メートル。
ちょっと登ればけっこうな見晴らし。
黄砂が邪魔しているのが残念です。
向こうの山は標高730メートルの神角寺山。
山頂に近いところに、
国指定重要文化財の「檜皮ぶきの本堂や木造金剛力士立像」で有名な神角寺があります。
シャクナゲもきれいなんですよ。
車で行くことのできる絶景ポイントです。
さて、こちらの城山。
楽に頂上に着くのかとおもいきや、これがけっこうな「登山」です。
「偵察」のはずが、本気で登らないとやばい状況。
ここは地元の保存会の方が
登山道を定期的に手入れし、城跡を後世に残す活動をされているそうです。
それで、雑木の中の登山道も歩きやすいのです。
助かりました。
また、城山の植物も丁寧に紹介されていました。
頭が下がります。
さらに100メートル毎に、
「あと〇〇メートル」と看板が立っていて、登山を励ましてくれます。
何かがあったような形跡も。
ずいぶん登ってきました。
景色がよければ、海が見えたかも知れません。
さあ、頂上が近づきました。
あれ、頂上付近は思ったより広い!!
保存会が切り拓いて、縄張りを見やすくしているようです。
ああ、風景は……黄砂、邪魔。
標高774メートルの山城跡です。
もう一度、保存会による「縄張り図」を見てみましょう。
矢印の方向から登ってきて、
まず、黄色い丸の所辺りをうろついて、
お弁当の後、赤い丸の所まで行ってみました。
これがけっこうな距離でした。
驚きました。
かなり大規模な山城がこんなところに。
確かに「城山」。
どんな城が築かれて、どのように人が暮らしていたのでしょうか。
残念だったのは、
黄砂で風景がよく見えなかったこと。
マクロレンズしか持っていっていなかったので、全体像が撮れなかったこと。
(このところマクロばかり使っていたので……。)
というわけで、お天気の好い日を選んで、
また登ろうということになりました。
運動にもなりますし。
どんな花が咲いているかも楽しみです。
車を停めた場所の辺りは
たくさんの花が植えられていて、地元の方の熱意を感じました。
また行きたい城山 佐伯市「佐伯城趾」② [お城(跡)歩き]
佐伯市の城山で地元の方に案内してもらった後、
岡城跡とは違う石垣を眺めつつ本丸にもどった。
あいにく風景はかすんでいたが、
市内を流れる番匠川や、今を盛りの山桜、鳥たちの声に癒やされていた。
登城してくる方々は明らかに観光客とは違う。
地元の方が散策で、日々登ってくるんだなあと実感。
親しげに挨拶を交わし合って、
今日のお天気や桜の咲き具合などを話している。
それは、観光地である岡城跡とは違った雰囲気だ。
岡城跡が大好きな私たちだが、
城山のように市民が気楽に登ってきて、
気軽に話しかけてくれる城跡もいいなあと思う。
佐伯の殿様は二万石。
ちょっと調べてみれば、佐伯藩成立の話などは興味深いし、
財政難や厳しい藩政の舵取りをこなした英主もいるようだ。
佐伯の海岸は浦が多く、漁業と海上輸送基地の港がいっぱいあって、
「佐伯の殿様、浦でもつ」という言葉もあるそうだ。
また、林業も藩財政を支える収入源のひとつだったらしい。
小さな藩の存続は大変だったと思うが、
ここから眺める風景は、海の幸にも山の幸にも恵まれていて
殿様の心痛はともかく、「いいところだよな~」なんて思ってしまう。
国木田独歩もそう思ったんじゃないかな。
小藩が分立している豊後の国の歴史は、
一国一国がとても興味深い。
竹田、臼杵と歴史資料館を訪れているが、次は佐伯の資料館だな。
お昼ご飯は、シジュウカラの声を聞きながら食べた。
おや、親しげによって来たね。
城山に来る人たちと仲良しなんだね。
モデルにも慣れてる?
ここではたくさんの野鳥を見ることができるそうだ。
教えてもらった帰り道で、石垣を眺めながら城山を下った。
「若宮の道」の方に向かう出口から、北側園路を通り、
ゆるやかな下りの「独歩碑の道」に出るというコース。
聞いていてよかった~。
「ここから下りるとよい。」と教えてくださった。
「階段状の珍しい石垣が下から見たらよくわかる。」と教えてくださった。
こちらは緩やかな坂道。
膝の負担にならなくて助かる。
地元の方がお二人登って来られて、挨拶を交わした。
私のカメラを見て、「よい写真は撮れましたか?」
そして、「ムササビは見ましたか?」
私たちが下りてきた途中にムササビの巣があって、
ときどき顔を出しているのだそうだ。
「気がつかなくて残念!」そう申し上げると、
ご自分のスマホの写真をわざわざ見せてくださった。
のんびりした顔のかわいいムササビだった。
やっぱり佐伯の人って親切。
麓に下りてきて、この看板を見てムササビの話をしていたら、
そばにいたご夫婦も
「きのう見ましたよ。風が強いときに顔を出すんですよ。」
と教えてくださった。
次はムササビに会いに来なくては。
あ、「城山饅頭」も食さねば。
お魚を買った後、久しぶりの港へ行って写真を撮ってきた。
ヨットから見る佐伯の風景も大好きだけど、城山もおもしろかった。
午後三時半にはちゃんと帰り着いて、
佐伯でも遊べることが確認できたので、また行こう。
岡城跡とは違う石垣を眺めつつ本丸にもどった。
あいにく風景はかすんでいたが、
市内を流れる番匠川や、今を盛りの山桜、鳥たちの声に癒やされていた。
登城してくる方々は明らかに観光客とは違う。
地元の方が散策で、日々登ってくるんだなあと実感。
親しげに挨拶を交わし合って、
今日のお天気や桜の咲き具合などを話している。
それは、観光地である岡城跡とは違った雰囲気だ。
岡城跡が大好きな私たちだが、
城山のように市民が気楽に登ってきて、
気軽に話しかけてくれる城跡もいいなあと思う。
佐伯の殿様は二万石。
ちょっと調べてみれば、佐伯藩成立の話などは興味深いし、
財政難や厳しい藩政の舵取りをこなした英主もいるようだ。
佐伯の海岸は浦が多く、漁業と海上輸送基地の港がいっぱいあって、
「佐伯の殿様、浦でもつ」という言葉もあるそうだ。
また、林業も藩財政を支える収入源のひとつだったらしい。
小さな藩の存続は大変だったと思うが、
ここから眺める風景は、海の幸にも山の幸にも恵まれていて
殿様の心痛はともかく、「いいところだよな~」なんて思ってしまう。
国木田独歩もそう思ったんじゃないかな。
小藩が分立している豊後の国の歴史は、
一国一国がとても興味深い。
竹田、臼杵と歴史資料館を訪れているが、次は佐伯の資料館だな。
お昼ご飯は、シジュウカラの声を聞きながら食べた。
おや、親しげによって来たね。
城山に来る人たちと仲良しなんだね。
モデルにも慣れてる?
ここではたくさんの野鳥を見ることができるそうだ。
教えてもらった帰り道で、石垣を眺めながら城山を下った。
「若宮の道」の方に向かう出口から、北側園路を通り、
ゆるやかな下りの「独歩碑の道」に出るというコース。
聞いていてよかった~。
「ここから下りるとよい。」と教えてくださった。
「階段状の珍しい石垣が下から見たらよくわかる。」と教えてくださった。
こちらは緩やかな坂道。
膝の負担にならなくて助かる。
地元の方がお二人登って来られて、挨拶を交わした。
私のカメラを見て、「よい写真は撮れましたか?」
そして、「ムササビは見ましたか?」
私たちが下りてきた途中にムササビの巣があって、
ときどき顔を出しているのだそうだ。
「気がつかなくて残念!」そう申し上げると、
ご自分のスマホの写真をわざわざ見せてくださった。
のんびりした顔のかわいいムササビだった。
やっぱり佐伯の人って親切。
麓に下りてきて、この看板を見てムササビの話をしていたら、
そばにいたご夫婦も
「きのう見ましたよ。風が強いときに顔を出すんですよ。」
と教えてくださった。
次はムササビに会いに来なくては。
あ、「城山饅頭」も食さねば。
お魚を買った後、久しぶりの港へ行って写真を撮ってきた。
ヨットから見る佐伯の風景も大好きだけど、城山もおもしろかった。
午後三時半にはちゃんと帰り着いて、
佐伯でも遊べることが確認できたので、また行こう。
城山は心のよりどころ 佐伯市「佐伯城趾」① [お城(跡)歩き]
3月19日。
お母ちゃんをデイサービスに送り出して、
曇り空ではあるし、岡城歩きをどうしたものかと相談中。
唐突に「佐伯のお魚が食べたい。」と私。
10年前、ヨットレースの時に佐伯で一夜干しなど買って帰ったら、
今は亡きお父ちゃんが喜んで食べたことなど思い出したのだ。
「では行こう。」
急な思いつきにバタバタと準備をして、家を出たのが11時ちょっと前。
「県南は山桜がきれいだねえ。」
と車窓の風景を楽しむこと約一時間。
景色がクリアでないのがちょっと残念だけれど。
目的のお魚を買う前に
お弁当を調達して佐伯城に登ることにする。
佐伯城は、「城山」として市民に親しまれている城跡だ。
ヨットレースでお馴染みの佐伯だが、
車で来るのはずいぶん久しぶりだし、城山に行くのも初めて。
お城の下、佐伯市歴史資料館に車を置かせてもらって、
ざっと看板を眺めただけで適当に歩き始めたら、「登城の道」とあるので
そこから登り始める。
これがまあ、急坂の山道。でも、岡城で鍛えた足は負けない。
「石が違う、岡城と石が違う!!花が違う!花が早い!」
などと騒ぎつつ登れば、わあ、海が見えてきた。
ヨットレースの海面はどっちだ?
城山は高さは約140メートル。
まずは西出丸と呼ばれる場所へ。
おお、番匠川!
西出丸から二の丸を通って本丸の方向へ。
「ここ、いいねえ!いいところだねえ!」
番匠川の上流方向を眺める。
看板にお馴染みの山の名が。
「ここからも、祖母山や傾山が見えるんだって!」
「残念、今日はかすんでいるね。」
おお、国木田独歩だ。
岡城が滝廉太郎なら、城山は国木田独歩だよねえ。
「岡城の石垣とは違うねえ!おもしろーい!」
とまあ、興奮の私たちの前に突然「案内人」が。
城山に詳しい地元の方である。
どこから来たのか聞かれ、
初めて城山に登ることなどお伝えすると、
「こっちにおいで、面白い石垣があるから。」とあちこち説明しながら夫を連れていく。
眺めはよいし、岡城とは違った趣の石垣に気をとられていると、置いていかれた。
慌てて追いかける。
本丸を通り過ぎて、北出丸の端っこまで説明しながら案内してくださって、
珍しい石垣のよく見える場所や帰り道を教えてくださった。
「今日はかすんで四国が見えない。またお天気のよいときに来てください。では、これで。」
そうおっしゃって、さくさく歩いて帰られた。
87歳、毎日城山に登っていらっしゃるという健脚ぶり。
散歩に来る地元の方がけっこう多かった。
城山で会った佐伯の方はとても親切。
この後、城を下りる途中でもそんな地元の方に出会った。
(その話題は次に。)
「城山は佐伯市民の心のよりどころ」
家に帰って城山のことを調べていたら、
そんな言葉を見たが、何だかとても納得してしまった。
http://oitaisan.com/heritage/%E5%9F%8E%E5%B1%B1/
……歴史的にも面白い城山、もう少し続きます。
お母ちゃんをデイサービスに送り出して、
曇り空ではあるし、岡城歩きをどうしたものかと相談中。
唐突に「佐伯のお魚が食べたい。」と私。
10年前、ヨットレースの時に佐伯で一夜干しなど買って帰ったら、
今は亡きお父ちゃんが喜んで食べたことなど思い出したのだ。
「では行こう。」
急な思いつきにバタバタと準備をして、家を出たのが11時ちょっと前。
「県南は山桜がきれいだねえ。」
と車窓の風景を楽しむこと約一時間。
景色がクリアでないのがちょっと残念だけれど。
目的のお魚を買う前に
お弁当を調達して佐伯城に登ることにする。
佐伯城は、「城山」として市民に親しまれている城跡だ。
ヨットレースでお馴染みの佐伯だが、
車で来るのはずいぶん久しぶりだし、城山に行くのも初めて。
お城の下、佐伯市歴史資料館に車を置かせてもらって、
ざっと看板を眺めただけで適当に歩き始めたら、「登城の道」とあるので
そこから登り始める。
これがまあ、急坂の山道。でも、岡城で鍛えた足は負けない。
「石が違う、岡城と石が違う!!花が違う!花が早い!」
などと騒ぎつつ登れば、わあ、海が見えてきた。
ヨットレースの海面はどっちだ?
城山は高さは約140メートル。
まずは西出丸と呼ばれる場所へ。
おお、番匠川!
西出丸から二の丸を通って本丸の方向へ。
「ここ、いいねえ!いいところだねえ!」
番匠川の上流方向を眺める。
看板にお馴染みの山の名が。
「ここからも、祖母山や傾山が見えるんだって!」
「残念、今日はかすんでいるね。」
おお、国木田独歩だ。
岡城が滝廉太郎なら、城山は国木田独歩だよねえ。
「岡城の石垣とは違うねえ!おもしろーい!」
とまあ、興奮の私たちの前に突然「案内人」が。
城山に詳しい地元の方である。
どこから来たのか聞かれ、
初めて城山に登ることなどお伝えすると、
「こっちにおいで、面白い石垣があるから。」とあちこち説明しながら夫を連れていく。
眺めはよいし、岡城とは違った趣の石垣に気をとられていると、置いていかれた。
慌てて追いかける。
本丸を通り過ぎて、北出丸の端っこまで説明しながら案内してくださって、
珍しい石垣のよく見える場所や帰り道を教えてくださった。
「今日はかすんで四国が見えない。またお天気のよいときに来てください。では、これで。」
そうおっしゃって、さくさく歩いて帰られた。
87歳、毎日城山に登っていらっしゃるという健脚ぶり。
散歩に来る地元の方がけっこう多かった。
城山で会った佐伯の方はとても親切。
この後、城を下りる途中でもそんな地元の方に出会った。
(その話題は次に。)
「城山は佐伯市民の心のよりどころ」
家に帰って城山のことを調べていたら、
そんな言葉を見たが、何だかとても納得してしまった。
http://oitaisan.com/heritage/%E5%9F%8E%E5%B1%B1/
……歴史的にも面白い城山、もう少し続きます。
中川覚左衛門屋敷の椿 竹田市「岡城跡」㉓ [お城(跡)歩き]
「椿と山茶花の違いがわかる? 」と夫に聞きました。
これはわが家の山茶花。
「花びらがバラバラになって落ちるのが山茶花で、椿はポトリと落ちる。」
正解。
わが家の山茶花はスズメやメジロのお宿になるほど大きいので
下の道を掃くのが大変でした。
葉にも違いがあって、開花も山茶花の方が早いですね。
岡城跡の中川覚左衛門屋敷跡にもよい山茶花の木がありました。
椿の赤はいいですね。
赤い花の椿の花言葉は「控えめな素晴らしさ」「謙虚な美徳」。
ほう、初めて知りました。
ちょうど椿が見頃になった頃、
近戸門の七曲がりを登っていたら、
岩の壁の祠に
椿が一枝、お供えしてありました。
地元の方が散歩の途中にでも……?
さて、近戸門近く、本丸から谷を挟んだ北の方向にある中川覚左門屋敷跡は、
間取りが正確に復元されています。
ここでは縁側に荷物を置いて、ゆっくり過ごします。
紅葉が終わる頃、スマホで動画を撮っていました。
本丸方向から復元された屋敷の間取りまで。
お昼ご飯のおにぎりを落として、がっくり肩を落としたのはこのとき?
夏、本丸から見た中川覚左衛門屋敷跡。
これは冬の終わり。覚左衛門屋敷の石垣は、草が全くなくなって見事な眺めです。
本丸方向の石垣とは違った趣があります。
ここに来ると、何故だかぼおっと時間を過ごしてしまいます。
いつの間にか時間が経っているんですよ。
庭も何だか落ち着きます。
古田織部の庭造りの伝統が生きているのでしょうか。
本丸や西の丸より過ごしやすいのではないかしら?
下は初夏の庭の写真です。
(紅葉の頃は言うまでもなくすばらしくて、写真は山ほど。また何かの機会に。)
ここにはよい椿の木もあるのです。
上の写真の右端の木です。
ヤブツバキの一種だと思うのですが、花の形がとてもかわいらしい。
そして、花の蕾の付き方がすごいのです。
びっしりと蕾をつけて、
これが咲いたらどんなになるのだろうと思うほど。
3月になって行ったときには、残念ながら
花は盛りを過ぎたようでした。
でも、咲いている椿とたくさん落ちている椿が一つの作品のようで、
ちょっと加工して遊んでみました。
他にもいろいろな花が咲いていて、ここは特に私たちのお気に入りの場所です。
「今日は別邸でお昼にしようか。」と夫。
「別邸?」
「覚左衛門屋敷。」
「そうしましょう、そうしましょう。」
勝手に別邸にしてすみません。
他には人も居ないので、
花を見ながら、何とも贅沢な時間が過ごせるのでした。
これはわが家の山茶花。
「花びらがバラバラになって落ちるのが山茶花で、椿はポトリと落ちる。」
正解。
わが家の山茶花はスズメやメジロのお宿になるほど大きいので
下の道を掃くのが大変でした。
葉にも違いがあって、開花も山茶花の方が早いですね。
岡城跡の中川覚左衛門屋敷跡にもよい山茶花の木がありました。
椿の赤はいいですね。
赤い花の椿の花言葉は「控えめな素晴らしさ」「謙虚な美徳」。
ほう、初めて知りました。
ちょうど椿が見頃になった頃、
近戸門の七曲がりを登っていたら、
岩の壁の祠に
椿が一枝、お供えしてありました。
地元の方が散歩の途中にでも……?
さて、近戸門近く、本丸から谷を挟んだ北の方向にある中川覚左門屋敷跡は、
間取りが正確に復元されています。
ここでは縁側に荷物を置いて、ゆっくり過ごします。
紅葉が終わる頃、スマホで動画を撮っていました。
本丸方向から復元された屋敷の間取りまで。
お昼ご飯のおにぎりを落として、がっくり肩を落としたのはこのとき?
夏、本丸から見た中川覚左衛門屋敷跡。
これは冬の終わり。覚左衛門屋敷の石垣は、草が全くなくなって見事な眺めです。
本丸方向の石垣とは違った趣があります。
ここに来ると、何故だかぼおっと時間を過ごしてしまいます。
いつの間にか時間が経っているんですよ。
庭も何だか落ち着きます。
古田織部の庭造りの伝統が生きているのでしょうか。
本丸や西の丸より過ごしやすいのではないかしら?
下は初夏の庭の写真です。
(紅葉の頃は言うまでもなくすばらしくて、写真は山ほど。また何かの機会に。)
ここにはよい椿の木もあるのです。
上の写真の右端の木です。
ヤブツバキの一種だと思うのですが、花の形がとてもかわいらしい。
そして、花の蕾の付き方がすごいのです。
びっしりと蕾をつけて、
これが咲いたらどんなになるのだろうと思うほど。
3月になって行ったときには、残念ながら
花は盛りを過ぎたようでした。
でも、咲いている椿とたくさん落ちている椿が一つの作品のようで、
ちょっと加工して遊んでみました。
他にもいろいろな花が咲いていて、ここは特に私たちのお気に入りの場所です。
「今日は別邸でお昼にしようか。」と夫。
「別邸?」
「覚左衛門屋敷。」
「そうしましょう、そうしましょう。」
勝手に別邸にしてすみません。
他には人も居ないので、
花を見ながら、何とも贅沢な時間が過ごせるのでした。
二の丸で「吹雪」に遭遇 竹田市「岡城跡」㉒ [お城(跡)歩き]
岡城跡に通い始めてちょうど一年。
「雪景色を撮るチャンスがなかった、今年はもう無理かも。」なんて
先日の記事に書いたばかり。
ところが、昨日2月17日、岡城跡できわめつけの雪景色に遭遇しました。
(例のお墓のことは後回しにしますね。)
いつもの大手門入り口。
「風が強くて雪が舞っているけれど、一週間ぶりにきちんと歩きましょう。」
ちょうど一年前も小雪の舞う日でしたが、今日はふっと明るく陽がさすことも……。
いつもの岡城跡です。
歩けば、体もぽかぽかします。
昨日は、御廟所の梅を撮るつもりで、マクロレンズを装着していました。
整備の進む岡城跡です。
この辺りは、ちょっと前から遺構の調査中です。
排水をよくするための工事にあたって、
遺構をきちんと使うのだと教育委員会のお兄さんが教えてくださいました。
寒いのに、一つ一つ置き石の具合を書き記していらっしゃいました。
お兄さんと話しているうちにだんだん風が冷たくなってきて、
雪が舞い始めました。
そのとたん激しく雪が舞い始めて、あっという間にブリザード。
二の丸にいたのですが、
風に吹き倒されそうだし、周囲は真っ白で何も見えない。
とにかく冷たくて、指先が凍えてきました。
廉太郎さんも見えなくなってきた!
こりゃ、大変!と休憩所に逃げ込みました。
(休憩所のそばに居てよかった。)
この様子を動画でどうぞ。
ここの休憩所はきれいだし、トイレもあります。
自販機もあるから、温かい飲み物も確保できます。
事務所の人たちが心配しているかもね……なんて話しています。
「こんな寒い日は観光客もいなくて。がんばってウォーキングしてください。」
と励まされて登城してきたのでした。
お茶をご馳走してくださるお土産屋のおばちゃんも
今日はお店を閉めると言っていました。
おばちゃん、正解でしたね。
しばらくすると、手先の冷たさも消えてきました。
階段を使って建物の中から本丸に登ることができるので、そちらに行ってみます。
本丸へのドアを開けると、わあ、こんな本丸の風景、初めて見た!!!
下原門方向も見えない……。
雪があまり降らない地域なので、ちょっとわくわく。
写真を撮りまくっていたのですが、
すっと明るくなってきました。
雪雲は通り過ぎたようです。
あっさり雪は止みました。
そして、下原門の方向へのウォーキングは続くのでありました。
見たかった雪景色とはちょっと違うけれど、
まあよかったかな?
三寒四温とは言いますが、
今日も冷たい風が吹いて家から出られません。
皆様、ご自愛くださいませ。
「雪景色を撮るチャンスがなかった、今年はもう無理かも。」なんて
先日の記事に書いたばかり。
ところが、昨日2月17日、岡城跡できわめつけの雪景色に遭遇しました。
(例のお墓のことは後回しにしますね。)
いつもの大手門入り口。
「風が強くて雪が舞っているけれど、一週間ぶりにきちんと歩きましょう。」
ちょうど一年前も小雪の舞う日でしたが、今日はふっと明るく陽がさすことも……。
いつもの岡城跡です。
歩けば、体もぽかぽかします。
昨日は、御廟所の梅を撮るつもりで、マクロレンズを装着していました。
整備の進む岡城跡です。
この辺りは、ちょっと前から遺構の調査中です。
排水をよくするための工事にあたって、
遺構をきちんと使うのだと教育委員会のお兄さんが教えてくださいました。
寒いのに、一つ一つ置き石の具合を書き記していらっしゃいました。
お兄さんと話しているうちにだんだん風が冷たくなってきて、
雪が舞い始めました。
そのとたん激しく雪が舞い始めて、あっという間にブリザード。
二の丸にいたのですが、
風に吹き倒されそうだし、周囲は真っ白で何も見えない。
とにかく冷たくて、指先が凍えてきました。
廉太郎さんも見えなくなってきた!
こりゃ、大変!と休憩所に逃げ込みました。
(休憩所のそばに居てよかった。)
この様子を動画でどうぞ。
ここの休憩所はきれいだし、トイレもあります。
自販機もあるから、温かい飲み物も確保できます。
事務所の人たちが心配しているかもね……なんて話しています。
「こんな寒い日は観光客もいなくて。がんばってウォーキングしてください。」
と励まされて登城してきたのでした。
お茶をご馳走してくださるお土産屋のおばちゃんも
今日はお店を閉めると言っていました。
おばちゃん、正解でしたね。
しばらくすると、手先の冷たさも消えてきました。
階段を使って建物の中から本丸に登ることができるので、そちらに行ってみます。
本丸へのドアを開けると、わあ、こんな本丸の風景、初めて見た!!!
下原門方向も見えない……。
雪があまり降らない地域なので、ちょっとわくわく。
写真を撮りまくっていたのですが、
すっと明るくなってきました。
雪雲は通り過ぎたようです。
あっさり雪は止みました。
そして、下原門の方向へのウォーキングは続くのでありました。
見たかった雪景色とはちょっと違うけれど、
まあよかったかな?
三寒四温とは言いますが、
今日も冷たい風が吹いて家から出られません。
皆様、ご自愛くださいませ。
「線彫磨崖仏」に会いたくて 竹田市「岡城跡」㉑ [お城(跡)歩き]
この頃寒暖の差が激しすぎて、
ちょっとでも寒いと動くのがおっくうになります。
しかし、引っ張り出されております。
1月16日は岡城の北にある愛宕山、願成院跡の探索。
前回の続きです。
近戸門への七曲がりの途中にある入り口から
驚きの立派な道を通って(黄色の←)、藪をくぐり抜け、愛宕山の端っこまで行きました。
ここは例のアブナイ旧道を下りてきたとき(赤の☆印)、こんなふうに見えます。
水色↓の辺りが見えています。
川沿いの道から。(ピンクの☆印)
反対に愛宕山から下を眺めると……。
高流寺やいつも歩く道が見えています。
神仏習合の聖地にふさわしい遺構がかなり見られました。
……(学術調査みたい?いえいえ、単なる好奇心。)
帰りに事務所に立ち寄って愛宕山を歩いてきた話をしたら、
「線彫磨崖仏を見ましたか?」と聞かれ、「まだです。」と答えると、
行き方を教えてくれたのでした。
そこで、1月25日。
「線彫磨崖仏」に会いに行ったのでした。
案内板には
「5分ほど進むと右下に道が分かれる」
「右に坂道を下ったところの左上岩壁にある」
ところが、右下の道への入り口がわからない……。
ここかな?と入ってみて、
またまた転びました。転びながらシャッター切ってたんですね。
磨崖仏がありそうな岩壁はありません。
あきらめて帰ってきました。
事務所の方に「見つからなかったです。」と話すと、
さらに詳しく行き方を教えてくださいました。
訪れる人もなく笹に覆われている道なので、
案内板とは違ったアクセスをするようアドバイスをくださいました。
この日の収穫?
再挑戦は、1月27日。
年間パスを見せに事務所に行くと、この日は別の方がいて、
「磨崖仏が見つからなかったって?道もわかりにくいし、磨崖仏自体も消えかかっているからなあ。」
……(事務所の中で、私たちの情報はどんな風に伝えられているんだろう?)
夫が「もう一度行ってみます。」と言うと、
「気を付けてね!」
「はあい。」
……(困った人たちだなんて思われてないかな。迷惑を掛けないようにしますね。)
本丸辺りからみた愛宕山。
近戸門で作業している方にあいさつをし、
再び藪の道をたどり、愛宕山の先まで行き、
笹に覆われた場所から古い石垣の裾を廻り
杉山の斜面を滑落しないように進みます。
もう意地というか何というか……。
先に行った夫の声が杉林に響きます。
「あったよ!」
ええ~、こんなところに?
いらっしゃいました!
確かに線彫り。でも、全体像はもうわからないくらいに苔むしています。
朝日が当たると浮かび上がるらしいのですが、さて。
下の写真の夫の指先のあたりでした。
で、藪を通り抜け、こんな場所を這うようにして帰ってきました。
……(家に帰ったら、即、お風呂に入らなくちゃ。)
磨崖仏は苔やシダを剥がないとわからないのですが、
たどりついたという達成感は味わえました。
……(5分じゃ行き着かないです。案内板、文面を変えた方が……。)
帰り道で休憩。
事務所の方に報告をすると、えらい感心してくださいました。
……(今後、ご心配をおかけするような動きは慎みますね。私ももっと気楽にウォーキングしたい。)
その次に行ったとき(1月29日)は、
アドバイスをしてくださった方がいて、
「(たどりついて)おめでとう!」
「今日も頑張って、ウォーキングしてください!」
私たち、岡城ではかなり「変わり者」で通っているのでは?
「要注意人物」指定されないよう、行動には気を付けたいと思います。
ちょっとでも寒いと動くのがおっくうになります。
しかし、引っ張り出されております。
1月16日は岡城の北にある愛宕山、願成院跡の探索。
前回の続きです。
近戸門への七曲がりの途中にある入り口から
驚きの立派な道を通って(黄色の←)、藪をくぐり抜け、愛宕山の端っこまで行きました。
ここは例のアブナイ旧道を下りてきたとき(赤の☆印)、こんなふうに見えます。
水色↓の辺りが見えています。
川沿いの道から。(ピンクの☆印)
反対に愛宕山から下を眺めると……。
高流寺やいつも歩く道が見えています。
神仏習合の聖地にふさわしい遺構がかなり見られました。
……(学術調査みたい?いえいえ、単なる好奇心。)
帰りに事務所に立ち寄って愛宕山を歩いてきた話をしたら、
「線彫磨崖仏を見ましたか?」と聞かれ、「まだです。」と答えると、
行き方を教えてくれたのでした。
そこで、1月25日。
「線彫磨崖仏」に会いに行ったのでした。
案内板には
「5分ほど進むと右下に道が分かれる」
「右に坂道を下ったところの左上岩壁にある」
ところが、右下の道への入り口がわからない……。
ここかな?と入ってみて、
またまた転びました。転びながらシャッター切ってたんですね。
磨崖仏がありそうな岩壁はありません。
あきらめて帰ってきました。
事務所の方に「見つからなかったです。」と話すと、
さらに詳しく行き方を教えてくださいました。
訪れる人もなく笹に覆われている道なので、
案内板とは違ったアクセスをするようアドバイスをくださいました。
この日の収穫?
再挑戦は、1月27日。
年間パスを見せに事務所に行くと、この日は別の方がいて、
「磨崖仏が見つからなかったって?道もわかりにくいし、磨崖仏自体も消えかかっているからなあ。」
……(事務所の中で、私たちの情報はどんな風に伝えられているんだろう?)
夫が「もう一度行ってみます。」と言うと、
「気を付けてね!」
「はあい。」
……(困った人たちだなんて思われてないかな。迷惑を掛けないようにしますね。)
本丸辺りからみた愛宕山。
近戸門で作業している方にあいさつをし、
再び藪の道をたどり、愛宕山の先まで行き、
笹に覆われた場所から古い石垣の裾を廻り
杉山の斜面を滑落しないように進みます。
もう意地というか何というか……。
先に行った夫の声が杉林に響きます。
「あったよ!」
ええ~、こんなところに?
いらっしゃいました!
確かに線彫り。でも、全体像はもうわからないくらいに苔むしています。
朝日が当たると浮かび上がるらしいのですが、さて。
下の写真の夫の指先のあたりでした。
で、藪を通り抜け、こんな場所を這うようにして帰ってきました。
……(家に帰ったら、即、お風呂に入らなくちゃ。)
磨崖仏は苔やシダを剥がないとわからないのですが、
たどりついたという達成感は味わえました。
……(5分じゃ行き着かないです。案内板、文面を変えた方が……。)
帰り道で休憩。
事務所の方に報告をすると、えらい感心してくださいました。
……(今後、ご心配をおかけするような動きは慎みますね。私ももっと気楽にウォーキングしたい。)
その次に行ったとき(1月29日)は、
アドバイスをしてくださった方がいて、
「(たどりついて)おめでとう!」
「今日も頑張って、ウォーキングしてください!」
私たち、岡城ではかなり「変わり者」で通っているのでは?
「要注意人物」指定されないよう、行動には気を付けたいと思います。
岡城は「奥が深い」。 竹田市「岡城跡」⑳ [お城(跡)歩き]
「つきあいきれんわ!」
と、怒りが沸騰することもあります。
1月16日の岡城跡歩きです。
この日、夫は滑瀬(ぬめりぜ)坂近辺の武家屋敷跡に夢中になったのでした。
石垣下の道からさらに岡城のずっと下の大野川沿いまで下りて
そこから今は藪と雑木林になっている南斜面で
旧道と屋敷跡の痕跡を探したかったのでした。
由学館のジオラマで見るとこのあたり。
私たちの遠い祖先がいたあたりなんだとか。
スマホで、武家屋敷跡の地図を確認しています。川向こうは国道502号。
私は、藪が嫌い。
前にも書きましたが、ツツガムシが怖いから。
夫は好奇心に駆られるとずいずい藪の中を進む……。
川岸にポツンと座って夫を待ちますが、帰って来ない。
少し追いかけて、藪の中に向かって声を掛けるけど返事もなし。
対岸の国道から見たら、
オバチャンが一人でウロウロしている……と、変な目で見られそう。
ぷちっと切れる音がして、
スマホを取り出して夫を呼び出すと、
「私はもう先に上がるからっ!」
藪の中を動き回って何やら確認してきた夫は、
「ごめん、ごめん。」
滑り瀬坂を登り、岡城の石垣下の道から下原門へ向かいますが、
道らしきものがあるとまた入っていく……。
また、ポツンと待ってるわけだけど、
お腹も空いていた私は、だんだん不機嫌に……。
「道があって、廃屋があったよ。」との報告にも
心の中で、
「もう、つきあいきれんわ!」
下原門から岡城跡に上がって東中仕切のあたりでお昼ご飯を食べたところで、
ちょっと不機嫌が治りました。
で、城内をぶらぶら歩いて、近戸門から下りていたところで、
「願成院跡に行こう。」
え~、やはり行くのか。
家を出るとき、そんなことを言っていたけれど、
私はあまり気が乗らなくて返事はしなかったんだけどな。
近戸門から七曲がりを下っていく途中に、
こんな案内板があって、あまり人の行きそうにない道があるのです。
道の奥は見えません。
下の写真(夏に撮った写真)の奥です。
この先は愛宕山と言って、「この一帯は築城時代から元禄時代にかけて、願成院や愛宕社ほか密教寺院が六社ほど建立されていた神仏習合時代の聖域」だったそうです。
(竹田市広報2019年12月号より)
城の北側の稲葉川沿い、碧雲寺界隈を歩くとき、
愛宕山の遺構であろうことは想像できていました。
何か石垣のようなものが見えていましたから。
現在、七曲がりの途中にある道の入り口は
草が刈られることもなく、やれ茎が風になびいています。
ちょっと何があるのかわからない道です。
「冬じゃないと行けないよ。奥には立派な道があるんだよ。」
以前、私は入り口で待っていて、夫はちょっとだけ入っていったことがあるのでした。
しかたない……ついていきます。
「線彫磨崖仏」というのも気になります。
で、びっくりしました。
「岡城の北の斜面に、こんな道があるなんて!!!」
広いし、城内と同じような石が敷いてあるし、石垣もある。
ずっと奥まで続いているこの道は、けっこう立派なのです。
蒲鉾石もあり、なるほど「聖地」だったとうなずける痕跡です。
殿様も祈願のために通ったことでしょう。
岡城って、「奥が深い~!!」
さっきまでの不機嫌やツツガムシへの恐怖はどこへやら、
一緒に道の痕跡をたどる始末です。
林の切れ間から南の方に本丸が見えました。
ただ、ここはもう岡城の案内図には載っていない道。
由学館のジオラマでこの道を確認することができます。
愛宕山に向かう道は、「案内図には載せられない道」と言ってもよいでしょう。
観光ではお薦めできません。
まず、落石の危険性。
足場も傷んでいて、崩れるかも知れない。
夏はマムシ、冬はツツガムシなどのダニに遭遇する危険性。
イノシシにも遭うかも知れない。
整備されてないから滑落の危険性もある。
私たちは、それでも昔の痕跡を求めて「自己責任」で歩いてきました。
この日の帰り道
では、「線彫磨崖仏」は……というと、
これがなかなかお目にかかれなくて……続きはまた今度。
この日、家に急いで帰ると、急いでお風呂の準備をして、
最後は洗濯までやって、すべてきちんと洗い流したのでした。
と、怒りが沸騰することもあります。
1月16日の岡城跡歩きです。
この日、夫は滑瀬(ぬめりぜ)坂近辺の武家屋敷跡に夢中になったのでした。
石垣下の道からさらに岡城のずっと下の大野川沿いまで下りて
そこから今は藪と雑木林になっている南斜面で
旧道と屋敷跡の痕跡を探したかったのでした。
由学館のジオラマで見るとこのあたり。
私たちの遠い祖先がいたあたりなんだとか。
スマホで、武家屋敷跡の地図を確認しています。川向こうは国道502号。
私は、藪が嫌い。
前にも書きましたが、ツツガムシが怖いから。
夫は好奇心に駆られるとずいずい藪の中を進む……。
川岸にポツンと座って夫を待ちますが、帰って来ない。
少し追いかけて、藪の中に向かって声を掛けるけど返事もなし。
対岸の国道から見たら、
オバチャンが一人でウロウロしている……と、変な目で見られそう。
ぷちっと切れる音がして、
スマホを取り出して夫を呼び出すと、
「私はもう先に上がるからっ!」
藪の中を動き回って何やら確認してきた夫は、
「ごめん、ごめん。」
滑り瀬坂を登り、岡城の石垣下の道から下原門へ向かいますが、
道らしきものがあるとまた入っていく……。
また、ポツンと待ってるわけだけど、
お腹も空いていた私は、だんだん不機嫌に……。
「道があって、廃屋があったよ。」との報告にも
心の中で、
「もう、つきあいきれんわ!」
下原門から岡城跡に上がって東中仕切のあたりでお昼ご飯を食べたところで、
ちょっと不機嫌が治りました。
で、城内をぶらぶら歩いて、近戸門から下りていたところで、
「願成院跡に行こう。」
え~、やはり行くのか。
家を出るとき、そんなことを言っていたけれど、
私はあまり気が乗らなくて返事はしなかったんだけどな。
近戸門から七曲がりを下っていく途中に、
こんな案内板があって、あまり人の行きそうにない道があるのです。
道の奥は見えません。
下の写真(夏に撮った写真)の奥です。
この先は愛宕山と言って、「この一帯は築城時代から元禄時代にかけて、願成院や愛宕社ほか密教寺院が六社ほど建立されていた神仏習合時代の聖域」だったそうです。
(竹田市広報2019年12月号より)
城の北側の稲葉川沿い、碧雲寺界隈を歩くとき、
愛宕山の遺構であろうことは想像できていました。
何か石垣のようなものが見えていましたから。
現在、七曲がりの途中にある道の入り口は
草が刈られることもなく、やれ茎が風になびいています。
ちょっと何があるのかわからない道です。
「冬じゃないと行けないよ。奥には立派な道があるんだよ。」
以前、私は入り口で待っていて、夫はちょっとだけ入っていったことがあるのでした。
しかたない……ついていきます。
「線彫磨崖仏」というのも気になります。
で、びっくりしました。
「岡城の北の斜面に、こんな道があるなんて!!!」
広いし、城内と同じような石が敷いてあるし、石垣もある。
ずっと奥まで続いているこの道は、けっこう立派なのです。
蒲鉾石もあり、なるほど「聖地」だったとうなずける痕跡です。
殿様も祈願のために通ったことでしょう。
岡城って、「奥が深い~!!」
さっきまでの不機嫌やツツガムシへの恐怖はどこへやら、
一緒に道の痕跡をたどる始末です。
林の切れ間から南の方に本丸が見えました。
ただ、ここはもう岡城の案内図には載っていない道。
由学館のジオラマでこの道を確認することができます。
愛宕山に向かう道は、「案内図には載せられない道」と言ってもよいでしょう。
観光ではお薦めできません。
まず、落石の危険性。
足場も傷んでいて、崩れるかも知れない。
夏はマムシ、冬はツツガムシなどのダニに遭遇する危険性。
イノシシにも遭うかも知れない。
整備されてないから滑落の危険性もある。
私たちは、それでも昔の痕跡を求めて「自己責任」で歩いてきました。
この日の帰り道
では、「線彫磨崖仏」は……というと、
これがなかなかお目にかかれなくて……続きはまた今度。
この日、家に急いで帰ると、急いでお風呂の準備をして、
最後は洗濯までやって、すべてきちんと洗い流したのでした。